HALEGAIA

6章:悪魔トランス - 7 -

 月曜日の朝。
 全校朝礼があり、生徒は体育館に集合した。
「お早うございます、皆さん」
 マイクで拡声された校長先生の声が響く。それからいつもの長い前置きが始まると、生徒たちの集中力は乱れ始めた。皆うわの空で、考え事をしている。
 しかし、新たな教師と留学生のお知らせの段になると、彼らの意識は再び呼び覚まされた。
「魔界のコペリオン学園から赴任してくださった、オデュッセロ先生です。今後皆さんのコミュニケーション英語を担当してくださいます」
 壇上に顕れた青年を見て、陽一は思考が停止した。
 艶めいたメープルシロップ色の肌に、新雪みたいに青みを帯びた白髪の髪を後ろでひとつに結び、サイドに垂れた前髪から、刀みたいに鋭い蒼氷色の瞳がのぞく。均整の取れた長身で、軍人みたいに姿勢が良い。
「オデュッセロだ。魔王様にお仕えすべく、魔界ヘイルガイアからはせ参じた。“天使の輪”は身につけているが、人間を殺せないわけではない。言動には重々気をつけるように」
 絶世の美青年がぎろりと睨み渡すと、体育館にいる全員が震えあがった。特に陽一を睨んでいる。獲物を見つけた猟犬のようだ。外見は人間の姿をしているが、発言がそのまま過ぎて、日本語を喋っているのに外国語に聴こえる。
(オデュッセロさんに教師は無理だろ。殺すとかいっちゃってるし)
「続いて、同じく魔界のコペリオン学園からの留学生、ルネ君です。クラスは一年五組です!」
 校長先生が拍手で迎えると、緞帳どんちょうから小柄な少年が顕れた。彼は壇上の中央で足をとめると、マイクを受けとり、
「僕はルネ。魔王様にお仕えすべく、魔界ヘイルガイアからきたよ。よろしくね☆」
 ぱちっと星が散るようようなウィンクをした。
 キャ――ッと大きな歓声が沸き起こる。興奮の坩堝と化した体育館で、ひとり、陽一は眩暈を覚えた。
(おいおい、アイドルか?)
 拍手喝采を浴びて、ルネはまんざらでもなさそうに愛想を振りまいている。
 金髪を真鍮のように煌めかせ、黄金と緑のオッドアイ――右目は蜂蜜みたいな黄金きん色、左は緑色……緑と形容するには、明るすぎる。夏のミントのような、暗闇でも光る不凍液めいた緑だ。人外めいた配色はカラーコンタクトを思わせるが、ルネの自前である。
 彼は全身に銀とボーン製のアクセサリーを身につけて、耳には幾つものピアス、頸に骨髏と牙のチョーカー、両手首にゴツいカフブレスレットと“天使の輪”、それからテディベアのバックパックを背負っている。
 この学校はある程度ピアスや染髪を認めているが、ルネの恰好はいきすぎだ。
 制服はジャケットこそ指定のものだが、色は黒よりのストライプ入りにアレンジされていて、なかはフリルのブラウスにリボン、おまけに短パン。踵のある黒いエナメル靴を履いて、まるでゴシックの世界から飛びだしてきた王子様みたいだ。素晴らしく似合っているが、全く制服に見えない。
 だが悪魔の魅了にかけられた校長先生は、奇抜なふたりを注意することもなく、にこやかに紹介を続けている。生徒の方も、魔界からきたという紹介に困惑することもなく、ただただ目を輝かせている。
「オデュッセロ先生、ルネ君、よろしくお願いします。皆さんも仲良くしてください!」
 興奮気味に校長先生がしめくくると、
「「はい!!」」
 男子も女子も頬を染めて、異口同音に唱和した。魔界からやってきたふたりのとりこになったことは一目瞭然だった。
 解散して教室に戻る途中、悪魔ふたりはミラのところへやってくるなり、何事かと驚く周囲には目もくれず、恭しく片膝をついてひざまずいた。
「「魔王様、ご機嫌麗しく」」
「よろしくね」
 当然のように、ミラは艶やかに微笑した。
 その一角だけ別世界みたいだった。美しすぎる少年たち、此の世ならぬ危険な魅力を纏う悪魔たちに、誰もが見惚れてしまっている。
 ルネはたちあがると、陽一を見てにこっとした。
「チン・ジャオ・ロース! 陽一☆」
「いや、意味わかんねぇよ」
 思わず陽一はつっこんだ。
「あの……ふたりは何しにきたの?」
 まさか地球を滅ぼしに?
 身構える陽一に、ルネはにっこりほほえんだ。
「もちろん、文化祭のバンド出演のためだよ」
 えっ、と陽一はミラを見た。
「オデュッセロはベース担当、ルネはマリンバとヴィブラフォン担当です」
「すげぇ、パーカッション豪華だな」
 わくわくとした気持ちがこみあげるのを感じながら、陽一は不安にもなった。
「いや、でも、ルネはともかく、オデュッセロさんは人間界向いてないんじゃないか?」
 陽一がミラにこそっと耳打ちすると、ミラも陽一に顔を寄せて囁き返した。
「でも他の側近は、もっと攻撃的で危険なんですよ」
「心配だ……」
 陽一は呻いた。地球を脅かしかねない、危険な悪魔たちが身の回りに増えすぎだ。
「心配しないで、陽一。僕がついていますよ」
 腰を抱き寄せるミラの脇腹に、すかさず陽一が肘鉄を喰らわせると、黙って観ていたオデュッセロがカッと目を見開いた。
「貴様、よくもッ!!」
 彼の全身から殺気が漏れいでる、一刹那いちせつな、その長身は体育館の壁に叩きつけられた。
 すごい音がして、オデュッセロがくずおれる。あたりは水を打ったように静まりかえった。
「陽一の爪の先、髪の一筋でも傷つけたら殺しますよ」
 天誅てんちゅうならぬ魔誅とばかりに、ミラは死刑宣告をした。
「申し訳ありませんでした。二度といたしません」
 オデュッセロはミラの前に駆け寄り、忠臣のように跪くと、深くこうべを垂れた。
「……ミラ、俺は平気だから……」
 なかなか威圧を解かないミラに、陽一はそろそろと声をかけた。
 ミラは息を吐くと、威圧を治めて忠臣を見やり、
「お前たちを召喚した理由はただひとつです。必ず文化祭を成功させなさい」
「「お任せください、魔王様」」
 ふたりは手を胸にあてて、厳かな騎士のように唱和した。ミラは満足そうにしているが、陽一は不安しかない。
「けど、文化祭って今週の金曜だぞ?」
 今から練習するのか? そもそも楽器を弾けるのか?
「問題ありますか? 譜面はもう渡してあるし、木曜にリハーサルをすれば、あとは本番で演奏するだけですよ」
 軽くいってくれるが、はなはだ心許ない。
(……ほんとに、大丈夫か?)
 ふたりに視線を向けると、ルネはサムズアップして、オデュッセロは腕を組んで睥睨してきた。
 不安だ。
 仮に放送事故が起きたとしても、悪魔の美貌があれば許されるだろうか? だとしても、せっかく皆で練習してきたのだから、演奏を成功させたい。
 とはいえ、陽一の胸には不安しかなかった。

 放課後。
 陽一とミラが部活に向かう途中、火神先生に呼び止められた。今日も紳士然としたスーツ姿だが、病的というほどではないにしろ頬は少しこけており、不健康そうに見える。
「先生、先日はありがとうございました」
 陽一がお辞儀すると、火神先生は曖昧に微笑した。
「聞きたいことがあるんだけど、今いいかな?」
「はい。なんでしょう?」
 陽一は目をぱちくりさせた。
「オデュッセロ先生、それから留学生のルネ君は、魔王君の知りあい?」
 陽一は即答せず、ミラを見た。
「ええ、僕の部下です」
(オィ、ごまかす気が全くねぇな!)
「魔性じゃないのか?」
 平然としているミラの隣で、動揺する陽一の表情を、火神先生は注意深く見ていた。
「こんなことをいって、気を悪くしないでほしいんだけど、魔王君が転校してきてから、凶悪な磁場の中心に立っている気分なんだ。素晴らしい美貌だから、皆が虜になるのも頷けるんだが……僕には、何か、黒いかたまりのようにも見える。そもそも魔界だなんて、荒唐無稽な話だと思うはずなのに、なぜ許容してしまうのか……うっ」
 刹那、火神先生は呻いた。菫色の魔性に見つめられて、脳天から股間まで、痛覚にも似た灼熱の悦楽が槍のように貫きとおしたのだ。
「ミラ」
 陽一はミラを仰ぎ見たが、魔性の瞳は火神先生に向けられている。
「火神先生、余計な詮索はしない方が身の為ですよ」
 ミラが冷たくいった。
「ミラ!」
 陽一がミラの横腹に肘鉄を喰らわせると、彼はようやく威圧をほどいた。
「あの、心配しないでください。彼らは文化祭のバンド演奏に出演するために、ミラが呼んだ助っ人なんです」
「助っ人?」
「はい! 悪いことはしないんで。俺がよく見ているんで」
 拳を握る陽一に、淡い黄金の光が射した。火神先生は驚きに目を瞠った。どうしたことか痛覚も霧散無性している。
「すごいな……私にも、はっきり見える。君は一体何者なんだ?」
「僕は普通なんですけど、ただ、神様が力を貸してくれたっていうか」
 火神は、計りかねるといった微妙な表情を浮かべた。
「君の身に、尋常じゃないことが起きていることだけはわかるよ」
「……はい。俺も色々と思うところはあるんですけど、ミラがきてから、毎日楽しいんです」
 陽一が笑顔で答えると、
「僕もですよ」
 と、ミラは陽一を抱きしめた。
 愛おしそうに頭に頬ずりをされて、やめれ、と陽一は照れ隠しにいったものの、本気で抱擁をほどこうとはしない。
 じゃれているふたりを、火神は少し驚いたように見ていたが、間もなく親しみをこめた微笑に変えた。
「唯織もいっていたと思うが、何かあれば、いつでも相談に乗るから」
「はい! ありがとうございます」
 ぺこっと陽一がお辞儀すると、火神先生は軽く手をあげて応えつつ、踵を返した。
 姿勢のよい背中に目を注いでいると、ミラに背中を軽く押された。
「いきましょう」
「うん」
 歩き始めた陽一の足取りは軽い。ミラがきてから楽しいのは本当だが、非日常のプレッシャーにひとりで対処してきた陽一にとって、自分を気にかけてくれている大人がいるというのは、心強かった。