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2章:楽園コペリオン - 6 -

 空は青い。雲一つなく、青い。
 美しい景観を眺めながら、陽一はミラと軍馬に跨り、空中疾駆を愉しんでいた。
 風邪が治ったので、約束通り、鳥籠のそとへ連れだしてもらえたのだ。
 てっきり例の台座を使って移動するものと思っていた陽一は、ミラの連れてきた軍馬を見て、最初は驚いた。立派な体躯の艶やかな黒馬で、火の粉をまき散す焔のたてがみと長い尾、四肢には蹄鉄ていてつを嵌めていたのである。
 そのような馬に跨ったら燃えてしまうのではないかと危惧したが、そうはならなかった。これも舌にある刻印スティグマのおかげらしく、朱金に燃える鬣に触れても熱くなく、肌を焦がすこともない。
 ミラは、自分の前に陽一を座らせ、左右から両腕を回し、手綱を握っている。
 密着しすぎだと陽一は思ったが、乗馬はおろか、空を飛ぶ焔の馬に跨ったことのない身としては、ミラの支えが必要不可欠だった。
 だが、そんな不満も、宙を飛翔する馬のうえではすぐに忘れた。
「うわーっ」
 陽一の笑みが大きくなる。烈しい風を受けて目を細め、浮き立った気分で声をあげて笑う。
 普段は鳥籠から眺めている世界が、眼前に拡がっている。
 天へ跳ねあがるような力に乗って、風に吹かれ、全身が汗ばむ火照りと、炎の高揚とを感じている。こんなにも心が浮き立つは随分と久しぶりだ。
 と、陽一は好奇心に目を輝かせたまま、ミラを振り向いた。
「鳥籠は幾つあるの?」
「三万個ほど」
 えっ、と陽一は驚いた声をあげた。
「マジか。どんだけ集めたんだ」
「そうですねぇ、いつの間にか増えてしまいました」
「三万って、相当だぞ? ミラって年は幾つなの?」
「さぁ、よく判りません。天文学的な数字を生きている気はしますが」
「ふぅん……外見は同い年に見えるけど。ちなみに、俺は十六歳です」
 なんとなく畏まって告げると、ミラは思わずうっとりしてしまうような笑みを浮かべた。
「赤ちゃんですね」
「違ぇよ。赤ちゃんじゃねーよ」
 まさか、ミラが最近、育児に関する本を読んでいるのは、陽一を幼児だと思っているからなのだろうか?
 由々しき疑念が沸いたが、ひとまず思考の隅に追いやり、あのさ、と別の疑問を口にした。
「どうして、楽園を創ったの?」
「ただの暇潰しです。結界が閉じている間は仕事もないし、手持無沙汰で……何かを創造していれば、気が紛れると思いまして」
「ふぅん……一人で造ったの?」
「そうですよ。僕の蒐集趣味で、楽園をここまで拡張しました」
 時間だけは嫌というほどありましたからね。と、ミラはつけ加えた。平穏な声だったが、かすかな孤独が滲んでいることに、陽一は気がつかなかった。
「どうして鳥籠の形をしているの?」
「なんとなく、人間界で見た鳥籠を連想して……空に浮かべるし、ちょうどよい形態に思えたのです」
「なるほど……」
 と、陽一は頷きながら、例の図鑑をとりだして、ミラに見せた。付箋の貼られたページを開くと、雪狐のようなかわいらしい生き物が立体的に浮きあがった。
「次はこれを見てみたい」
「判りました」
 ミラは快く案内してくれた。
 真っ白な体躯の狐が、藁を敷いた金籠のなかに、ぽつねんと座っている。その愛らしい姿に、陽一は思わず笑顔になった。
「うわー、かわいい」
 笑顔のままミラを振り向くと、紫の瞳が細められた。
「……本当だ」
 ミラはほほえむと、身を屈めて、陽一の頬にできたえくぼにキスをした。
「何?」
 慌てて頬をおさえる陽一を見て、ミラは楽しそうに笑っている。
「とても貴重種なんですよ。幻獣界でも殆ど生息していません」
「オイ。そんなに貴重な子を攫ってきたのかよ」
 狐はあくびをして、交差したまえ足に顔をのせた。これからお昼寝するのだろうか?
「ちゃんと世話しているんだろうな?」
 心配になり、睨みつけるようにしていうと、ミラは肩をすくめてみせた。
「大丈夫ですよ。それにああ見えて、凶暴なんです。食屍鬼グールより強いですから」
「そうなの?」
 陽一は驚いて白狐を見つめた。天使を思わせる愛らしさだが、食屍鬼グールより強いとは……
 不意に、鳥籠のそとから雪狐を眺めている自分に、奇妙な罪悪感を抱いた。自分も囚われの身ではあるが、今この瞬間は、歴然とした彼我ひがの違いがある。
 あの小さな生きものが、たとえ束の間でも、鳥籠の外へでられることはあるのだろうか?
 ミラは、黙りこんでしまった陽一の顔を覗きこみ、次へいきましょう、と明るい声をだした。
 しかし、彼が案内した先にある鳥籠は、がらんと空っぽなので、陽一は首を傾げた。
「空いている鳥籠もあるんだね」
「いえ、入っていますよ。貴重な蠅が入っています」
「蠅?」
「一つの街を壊滅させた、非常に強力な病原菌を持つ蠅です」
「怖っ! なんでそんなものまで鳥籠にいれるんだよ」
 優美な金格子の鳥籠なのに、なかにはいっている生きものが恐ろしすぎる。
 ミラは楽しげに笑い、自慢の蒐集した生き物たちを、次から次へと陽一に見せた。
 例えば、黒髪に人面の巨大な蜘蛛。煌々と輝く八つの赤い瞳に射抜かれ、陽一は小さく悲鳴をあげてしまった。
 例えば、硬い装甲によろわれた蠍。軍刀のような尾を高く掲げて、威嚇してきた。びくっとする陽一を背中から抱きしめながら、ミラは、毒針の凶悪さを得意げに語ったりした。
 どうやら、陽一のような脆弱な生きものは殆どいないらしく、大抵は凶悪で強力な生きものばかりだった。
 鳥籠のなかの、驚くほど多種多様な生きものを眺めたあとで、森のすぐうえを走りもした。
 そこは確かに自然公園といわれてもおかしくないもので、亜熱帯を思わせる羊歯植物や、がじゅまるのようにうねりのある樹々、そうかと思えば細いもみの樹々が乱立し、生きものたちの息遣いがうかがえた。
 そうするうちに、陽一の楽園コペリオンに対する見方も変わっていった。
 小さい頃は、よく動物園や水族館へ連れていってもらった。その度に驚嘆に目を輝かせ、大喜びしたものだ。檻や水槽に閉じこめられている動物がかわいそうだとか、人間のエゴだとか考えもしなかった。ただ、無邪気に楽しかった。
 いざ檻の住人になってみると、閉塞感や不満に囚われ、冗談じゃないという念でいっぱいだったが……
 この楽園には、滅びた世界の種も、多く生息しているという。
 鳥籠に閉じこめられている生きものがいる一方で、広大な森と大洋に生息している生きものもたくさんいる。
 ミラは、人間が抱くエゴとは無縁な、無邪気な気晴らしから楽園を作ったわけだが、娯楽や種の保存という観点では、人間の運営する動物園と変わらないのではないだろうか?
 そう考えると、頑是ない子供のように無邪気に生き物を眺めて楽しむのも、判ったような顔でミラを非難するのも、少し違うような気がしてくる。
 元の状態に戻してほしいというねがいだけは、絶対に譲れないが……
 複雑で神妙な心地に陽一が囚われている間も、疲れ知らずの軍馬は力強く足を動かし、どこまでも二人を運んだ。
 星砂の続く海岸沿いと、エメラルドグリーンに輝く大洋のうえも駆けた。
 頬に風を受けて、空と海の境界線を走るのは、言葉にはいいつくせないほどの高揚感を陽一にもたらした。
 新緑の香る河川敷を、風を切って走っている時の高揚感に似ている。脚を踏みだすことに、悩みや考え事から解放されて、無心になっていく……あの感覚が思いだされた。
 このあと鳥籠に戻されるとしても、しばらくは、この瞬間の興奮を反芻して、明るい気分で過ごせるだろう。
 一言ではいいつくせない体験を終えたあとで、陽一は鳥籠に戻された。ミラを振り向いて、思わず満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう! すごく楽しかった!」
 その笑みの素直さに、ミラは心を奪われた。
 こんなにも単純なことで、これほど喜ばれるとは思ってもみなかった。なにを贈っても、ギターを贈った時でさえ、控えめな微笑だったのに。演奏に泣いてしまう姿もかわいらしかったが、こんな風に、眩い笑みを見せたことはなかった。
 彼の純粋な喜びが伝播でんぱし、ミラの胸は締めつけられた。たいしたことは何もしていないのに、陽一は、こんにも喜んでくれる。他にはどんなことで、陽一は感謝するのだろう? ミラは急に、あらゆるものを陽一に与えたくなった。
「空腹ですか?」
 陽一はちょっと考え、首を振った。
「いや、それより眠くて……もう休んでいいかな?」
 ミラは頷いた。彼の生き生きとした様子に惹かれて、思っていたよりも長く、連れまわしてしまった自覚はある。慣れない軍馬に乗り、さぞ疲れたことだろう。
 本当は、まだ傍にいたかったし、もっといえば精を貪りたかった。いかようにも奪えたが、どういうわけか、蠱惑を前面に押しだす気にはなれなかった。彼の見せてくれた無垢で純粋な喜びを、情欲の焔で飲みこみたくなかった。
「お休みなさい、陽一」
 このまま、満ち足りた状態で眠ってほしい……額に唇を押し当てると、陽一は珍しくじっとしていた。照れたように視線を逸らし、かと思えば再び戻して、ミラに笑みかけて手を振った。
「お休み。またあとで」
 眠たそうな、少しとろんとしている目で、陽一は笑った。ミラは、奇妙な胸のむず痒さを覚えながら、ほほえみ返した。
 彼は、明るい昼の空を、眠るのにちょうど良い夜空に変えて、数千もの星を瞬かせると、満足して姿を消した。