HALEGAIA

1章:鳥籠 - 2 -

 波の音が聴こえる……
 風が唸っている……
 陽一は茫然自失状態で、虚空を見つめたまま、鳥籠のなかで両膝を抱えて座っていた。
 この鳥籠で、もうどれくらいの時間が過ぎただろう?
 救いのきざしになりそうな船や飛行機はさっぱり見かけないが、明らかに地球外の生き物なら何度も見た。
 眼下の緑生い茂る森に、巨大な鯨が悠々と泳いでいる姿を目撃した。かと思えば、巨大な飛竜が空を渡っていった。どっちを向いても、架空の物語にでてきそうな生き物たちであふれかえっていた。
 異世界は驚きと変化に満ちているが、鳥籠の住人に限っては別だ。
 一番手前の檻に入っている黒い靄は、あいかわらずよく判らない。怖いので、なるべく直視しないようにしている。
 その奥にいる鷲獅子グリフォンは、殆ど動かない。寝そべっている背中しか見えない。たまに起きあがって毛繕いしているが、すぐに丸くなってしまう。
 その向かいの甲虫も滅多に動かないが、たまに檻のなかをぐるぐる回っている。五周くらいすると、しばらく動かなくなる。時には、天井にへばりついていることもある。じっと動かないかと思えば、ぼたっと落ちてきて、ちょっと驚いたりする。
 陽一はしょっちゅう彼等を観察しているが、向こうは陽一など眼中になさそうである。
 一体、彼等はいつからここにいるのだろう? 水や食事はどうやって調達しているのだろう?
 その疑問は、絶望的な思考に拍車をかけた。
 もし、長い時間を彼等がここで過ごしているのだとしたら……待ち受ける運命は……自分もそうなる運命なのだろうか?

 ずっと昼が続いていたが、唐突に夜がきた。
 無数の星が宝石のように瞬く夜空は、東京では考えられないほど美しく、天文観察に興味のない陽一であっても惹きつけられずにはいられなかった。
 地上に落ちてこんばかりの星屑が空にかれ、星雲をかけた大宇宙が拡がっているのだ。
 驚くほど多くの彗星が、右から左へ、左から右へと流れていき、たとえようのない感覚的な気持ちをもたらした。
 こんな状況だというのに、束の間、全ての苦痛を忘れて夜空に魅入っていた。
 しかし、夜空は長くは続かず、唐突に昼がやってきた。
 空は明るくて、陽射しが嫌いになりそうだった。
 躰を横たえて少し休もうとしたが、床は硬くて、躰が痛んだ。
 目を閉じると、ここへやってくる直前のことが、思い浮かんだ。
 謎が深まるだけなのだが、考えずにはいられない。
 普段とは違うなにか、見落としている何かを探ろうとしても、何も思い浮かばない。何遍考えてみても、いつもと同じ、学校からの帰り道だった。
 それなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう……
 波の音。
 風の音。
 波の音。
 風の音。
 少し眠ったようだ。
 空は薄暗く、朝もやのように白み始めていた。快晴とはほど遠く、鉛色の空から今にも雨が降りだしそうである。
 立ちあがろうとして、陽一は顔をしかめた。硬い檻のなかで丸まって眠ったので、躰中が痛んだ。節々が悲鳴をあげている。
 気をまぎらわせるために、一つのことに考えを集中しようと試みた。
(なんとかして、ここを脱出しないと)
 少しでも力を温存して、ここを抜けだすのだ。今は、そのことだけに集中しなければいけない。
 膝を抱えたまま、夜明けを見守った。かと思えば、すぐに夜がきた。文字通りの意味で、昼をすっ飛ばして夜がきたのだ。そのあとは黄昏に戻り、また夜がきて、今度は朝がきた。
 希望のきざしがない時間は過酷でてがなく、何度となくくじけそうになり嗚咽がこみあげた。その弱った思考も朦朧としてくると、うとうとと転寝をした。
 景色は変わらない。
 どこかも判らぬ遠い異国のて。鳥籠から世界を見ていると、外の空間の無限さと、時間の悠久とを痛いほど感じる。途切れることなく続く単調さが、漠然とした恐怖の源だった。
 そして、喉が渇いた。
 喉のなかが砂漠のようにからからに乾いていて、もはや唾液すら滲まない。
 ふと、極限状態に陥った主人公が致し方なく自分の尿を飲む、という実話に基づいた映画のワンシーンが脳裡を過った。が、すぐさま否定した。考えるだけでも吐き気がする。そのような行為に及ぶくらいなら、死んだ方がマシだ。
(あ――……水が欲しい……)
 状況があまりにも常軌を逸していて、これが現実のこととは思えない。
 アレを飲むしかないのか……究極の選択に差し迫られた時、不意に物音がした。振り向いた陽一は、極限まで目を見開いた。
「ひっ……」
 見たこともない長身巨躯の怪物が、鳥籠の扉を開けて、なかに入ってきたのである!
 人間に似た二足歩行だが、食屍鬼グールのように奇怪で恐ろしい姿をしている。頭髪はなく、全身は焼け爛れたように赤黒い。真っ赤な瞳に、耳まで避けた口は糸で縫いつけられている。
 あまりに恐ろしい形相なので、仮面でもつけているのかと思ったが、違うらしい。このような仕打ちを誰かがしたのだとしたら、悪魔の仕業としか思えない。
「なんだよお前っ」
 陽一は慄然し、少しでも怪物から距離をとろうと、檻の淵に逃げた。怪物は陽一をじっと見つめた。罰糸を受けた顔貌は不気味の一言に尽きる。顔を縫いつけられているというのに、にたにたと笑っており、痛覚が麻痺しているのだろうか?
 暗鬱なる怪物は、真鍮の盥を置いたと思ったら、背負っていた水甕をおろし、盥のなかに水をばしゃばしゃと注いだ。
 水だ。
 陽一の喉が鳴った。