FAの世界

3章:大水晶環壁 - 1 -

 気だるい罌粟けしの蟲毒にかけられたみたいに、精力を消耗し尽くす歓楽の夜の熱情は続いた。
 艶めかしい関係に、優しい恋の感情はない。
 毎回これで最期にしようと虹は自分にいい聞かせるのだが、甘く笑みかけられるたびに、欲望をかきたてられてしまう。とりわけ心が不安定な夜ほど、決意も虚しく躰を委ねてしまう。
 水晶めいた碧い瞳、くちびるは禁断の秘蜜があり、その魔性から常人は逃れられない。彼は幾度となく崇拝の言葉を口にするが、果たして傀儡かいらいはどちらなのだろうと疑問に思う。
 殆どの夜、アーシェルは情熱的に虹を求めたが、時には抱かれることも望んだ。後孔を犯されることは、彼にとっても禁断の蜜の味なのかもしれない。
 或いは、虹が関係を絶ちたいとくちにすることを遮るために、己を抱かせるのかもしれない。
 彼を組み敷くのは、主導権優勢の実感があり、抱かれるときにはない征服欲を刺激されることは確かだった。
 歪な関係だと思う。
 愛しあっていると錯覚しそうになるが、次の水晶ノ刻がくれば、淫らな輪姦の餌食にされるのだ。優しい声と表情で、他の男とまじわれと冷酷に命じるのだ。
 出口の見えないまま、いっときの癒しを求めて躰を重ねてしまう……
 その晩、星を歌いし者タワ・ダリがアーシェルのおとないを告げたとき、虹は寝室の照明をすべて落として、文目あやめも分かたぬ闇から、星ちりばめられた窓をぼんやり眺めていた。
「悪いけど、今夜は帰ってもらえないかな?」
 振り向いて、寝室のしきいに佇む鸚鵡おうむを見つめていった。
“なぜでしょうか?”
 悠久を生きる賢者だが、ちょこんと小首を傾げる風情は、なんだかいとけなく見えた。
「ひとりでいたいんだ」
“ですが、大切なお話があるそうです”
「大切なお話って?」
“アーシェルにお聞きください”
 虹は返事を躊躇ったが、ふぅと息を吐くと、ショールを肩にかけて居室に入った。目があうなり、アーシェルは恭しく跪いた。
「今宵もお会いできて光栄です、虹様」
 瑠璃色の絹の外套に金の装身具を留めた彼は、今夜も非の打ちどころがないほど美しい。潤んだ瞳に情熱を含ませて、まるで恋の陶酔に浸された少年みたいに、まっすぐ虹を見つめてくる。
 危険極まりないしたたるような色香から、虹は視線を逸らした。
 今日こそは拒んでみせる――強くいい聞かせていたのだが、
「虹様の奥ゆかしい主義は存じておりますが、衷心より切にお願い申しあげます。どうか、新生児に授乳をして頂けないでしょうか?」
 彼の言葉は、あまりにも突拍子がなかった。
「授乳?」
「はい。聖餐で誕生した水晶核が受肉しました。成体になるには、虹様の蜜が必要でございます」
 虹はくらりと眩暈を覚えた。
「本当ですか? あのときの水晶珠が、赤ん坊になったと?」
「はい。ぜひ御覧になってくださいませ」
 アレがかえったなんて信じられない。どう見ても透明な水晶だったのだ。
 半信半疑のまま浴衣に着替えた虹は、秘された洞窟の奥、揺籃ようらんの泉に連れていかれた。
 仄碧い光に満たされた洞窟は、うちから明るい。十数人の麗しい少年たちが、白い裸身を泉に浸していた。
 夢のように幻想めいた光景でありながら、名状しがたい雰囲気をかもしている。本能的な恐れから、虹は後ずさりしてしまう。
「水晶嬰児えいじたちです。虹様の第一世代の御子ですよ」
 慈愛に満ちた顔でアーシェルがいった。後退しかけた虹の背に手を押しあて、宥めるように優しく撫で摩る。
「いや、赤ん坊じゃないでしょう。こんなに大きい子たち……」
 嬰児えいじといわれても、とても赤子には見えない。外見年齢はまちまちだが、いずれも十代前半から後半の少年たちだ。
「水晶族は成体に近い姿で受肉します。強い水晶ほど、幼い外貌になりますが」
 アーシェルは虹の肩に手を置いて、そっと押した。
「何を……」
「さぁ、虹様も泉にお入りください」
 アーシェルは虹の手を優しく、だが有無をいわせぬ力で引いて、泉のなかへと導いた。
「彼らに蜜をお与えください」
 虹は絶句した。一番幼い子は、十三かそこらに見える。そんな子供に、いかがわしい真似をしろと本気でいっているのだろうか。
「子が健やかに育つには、水晶の君のお力が必要なのです。どうか」
 虹はすがる思いでアーシェルを見た。
「いや、無理ですよ。だって赤ん坊じゃない、どう見たって……」
「虹様」
 アーシェルは戸惑う虹の肩を後ろから抱きしめ、襟の釦をぷつん、ぷつんと三つはずし、指で襟をひろげて、右の乳首を露わにした。
「待って、ちょっと待って」
 人形めいた子供たちが近づいて、虹に手を伸ばす。美しい顔には細鱗さいりんめいた光彩が散っていて、表情が剥落はくらくしているせいか、いっそう超俗めいて見える。
 不本意な行為を強要されているはずなのに、脚が一歩も動かないのは、混乱し過ぎているせいなのだろうか? それともこの事態を頭の片隅で受け入れているから?
 乳首に吐息が触れたとき、虹はかすかに震えた。それを怯えととったのか、アーシェルは耳元で囁く。
「怖くありませんよ、虹様。私がついております。お傍におります」
 後ろから伸ばされた手に、そっと乳首を摘まれて、虹は小さく喘いだ。戯れめいた指の動きに、先端は紅く色づいて、官能の蜜をにじませる。
「お上手ですよ、虹様……」
 刺激されるうちに、つんと上向いた乳首から白い蜜があふれた。
「え、え……本当に?」
 少年のくちびるが近づいてくる――乳首をそっと含まれた瞬間、虹は躰に電流が流れた心地がした。したをみれば、美しい少年が舌を伸ばして、乳首をんでいる。彼が赤子なら授乳と思えたかもしれないが、十代半ばの少年の姿では、背徳の行為をしているというおそれが湧いた。
「っ、待って、やっぱりおかしいよ、なんで……っ」
「いいえ、虹様。これで良いのです……力を抜いて、楽になさってください」
「でも、こんな、」
 虹が身じろぐと、少年は吸引の勢いを増してしがみついてくる。背後にはアーシェルがいて、後ろにさがることもできない。
「んんッ」
 じゅうっと吸われて、虹は悩ましげに喘ぐ。見おろせば、燃ゆるごとき眸と遭った。
 親を慕い憧れるばかりの視線ではなかった。
 飢渇きかつの焔、情熱で燻っている。とても無垢むく無辜むこ嬰児えいじとは思えない。原始的な欲望に煽られて、乳を飲まれながら、自らも倒錯的快楽に飲まれていく。
 喘ぎの声をこらえて顔をそむけるが、いくつもの熱い眼差しが、己に注がれているのを感じた。
「ふ、ぅ……ン……」
 双つの乳首は、代わる代わる子供たちに吸われた。幼いくちびるが、必死な吸いつきで乳をせがむ。本能で知っているのか、小さな指で乳輪を揉みしだき、突起を口蓋と舌で挟んで刺激を与える。つと胸に垂れる白い筋も舐めとり、またくちに含んで飽かず舐めしゃぶる。
 官能的な授乳行為に、虹は最初から最後まで翻弄された。くちびるを噛み締め、堪えきれずに喘ぎ、背中を支えてくれるアーシェルの昂りを腰に押しつけられ、艶めかしい異教徒の踊りみたいに躰をくねらせた。彼を振り向いて、今すぐに燃えるようなキスをしたい――場違いな欲望を必死に宥めなければならなかった。
 子供たちがようやく満足し終える頃には、空は白み始めていた。
 身体的にも精神的にも疲労困憊した虹を、アーシェルは抱き起し、丁寧に清めてから邸へ運んだ。
 ……悪夢で済めば良かったのだが、泥のような眠りから覚めた翌昼、ふたたび洞窟に連れていかれた。
 泉には水晶嬰児えいじと呼ばれる少年たちがいて、やってきた虹に一斉に視線が集中した。
「待って……」
 麻痺していた思考回路が戻ってきた時には、すべてが遅かった。アーシェルは虹を後ろから抱きしめ、乳首を指で愛撫し、尖らせる。子供たちも近づいてきて細い指を虹へと伸ばした。
「こんなこと、間違っていると思う……っ」
「いいえ、虹様。子を育むためでございます」
 強めに乳首を吸われて、虹は唇をかみしめる。開いた胸に、天使もかくやという美しい少年ふたりが柔らかな桃色のくちびるをつけている。彼らの頭に手をやり、ぐっと押しのけようとするが、少年たちは吸いついて離れない。
 ――子を育てる? こんな淫らな行為で?
 自問自答しながら、やり場のない熱をひたすらに堪えて、子供たちが満足するまで淫らな授乳は続いた。
 部屋に戻される頃には、陽が傾いていた。
 半ば茫然としながら入浴を済ませると、アーシェルが夕餉を運んできた。いつものように囲炉裏を挟んで着座し、同じ膳を食したが、一切の会話もなく淡々と時間が過ぎた。
 食事を終えて、茶を運んできたあとも、アーシェルは傍を離れようとしなかった。
「……そろそろ休みます」
 虹が席を立とうとするのを見て、アーシェルは流れるような所作で虹の足元に跪いた。上目遣いに見つめて、
「私は愛のとりこでございます。哀れに思うのであれば、衷心より切にお願い申しあげますが、よければ御慈悲を授けてはいただけないでしょうか?」
 思いがけず鼓動が高鳴り、虹は咄嗟に言葉を返せなかった。中腰のまま、ただ碧い瞳を見つめている。
 アーシェルは臆病な動物にそうするように、そっと手を伸ばして、虹を胸のなかに抱きしめた。
「愛しております……」
 耳に触れるくちびるの感触、言葉の威力に虹は眩暈を覚えた。たくましい腕や胸、甘くて爽やかな匂いを意識して、切ないような、懐かしいような、泣きたいような気持ちになって、躰のどこにも力が入らなくなる。
「離してください」
 どうにか顔を背けると、アーシェルは、ほぅと悩ましげに吐息をついた。
「麗しくてつれない方……今宵も夢のような至福を、求めてもよろしいですか……?」
 耳にくちびるをつけながら、媚薬を流しこむように囁いた。
 虹は頸を振ったが、アーシェルは素早く虹の背中に掌を押し当てた。緊張に強張る虹を宥めるように、手はゆっくりと背を撫でおろしていき……腰のくぼみをそっと押した。
「やめて」
 虹は呻くようにいった。不埒な腕を掴んで止める。
「……いけませんか?」
「十分でしょう、もう……」
 昼も夜も子供たちに授乳して、疲れきっている。アーシェルにまで身を委ねたら倒れかねない。
「少しだけ、ほんのひとしずくで良いでのす……甘美な蜜を、憐れなしもべにお与えくださいませんか?」
 虹は力なく頸を振った。アーシェルは真っすぐに虹を見つめた。碧い瞳は、焔のように燃え輝いている。虹が黙っていると、彼は視線をさげて胸を見た。見られているのを感じて、乳首がちあがり、布地に擦れるのを感じた。
「少しだけ……」
 誘惑するように囁いて、アーシェルは脚のあいだに手をすべらせた。
「やめて!」
 強く断ったつもりが、悲鳴のようにか細く響いた。
「ここを、こんなにしているのに?」
 薄い絹に包まれた股間のふくらみを、そっと指が撫であげる。虹は刺激から逃れるように唇を噛み締め、視線をそむけた。子供たちに乳を与えるだけ与えて、下半身の熱は解消されていない。認めたくないが、淫蕩な躰が疼いていた。
「虹様……」
 アーシェルのくちびるが、愛撫するように虹のくちびるをかすめる。薔薇のような吐息だ。貪るようにキスをしたい――だけどそうしたら――きっと官能の檻から抜けだせなくなる。
 子供とその親とも躰を重ねているような背徳的嫌悪が沸き起こり、欲望の炎を弱めた。
「だめです。でていって」
 決意の顕れた表情を見て、アーシェルは身を引いた。とても名残惜しそうに。一度視線を伏せて、ふたたび顔をあげたとき、碧い瞳は静かに凪いでいた。
「お休みなさい、虹様。また明日」
 虹は目をあわせずに小さく頷いて、今度こそ立ちあがり、寝室に向かって歩きだした。
 念押しするように――いや、甘い約束をするみたいに――彼が後ろから呼びかけた。
「また明日、御迎えにあがります」