FAの世界

2章:慶びごと - 5 -

 奇妙な躰のうずきで目が醒めた。
 寝台を囲う緞子どんすとざされて視界は薄暗いが、仄かに陽が透けている。
 思考がぼんやりして、状況をうまく把握できない。今何時だろう?
 ともかく寝台を降りようとしたが、腰がくだけて動けなかった。
「な、なんだ?」
 声がしゃがれている。
 絹に指をすべらせ、はっとなる。
 昨夜、寝台の絹は乱れに乱れて、池のように濡れていたはずだ。虹はおびただしい体液にまみれて……
「お早うございます、虹様。入ってもよろしいでしょうか?」
 虹は射たれたように顔をあげた。彼の声を聴いた途端に、淫らな情交が脳裏をよぎり、全身が強張った。
「ぁ、しぇる……」
 かすれた声がでて、虹は喉を押さえた。胸が激しく動悸している。
「失礼いたします」
 しきいにかけられた金襴きんらんの垂れ布をめくって、アーシェルが入ってきた。持ってきた盆を傍机に置き、寝台の緞子どんすを片側にまとめて結ぶと、翡翠の杯に冷えた檸檬水を注いで虹に手渡した。
「ありがとう……」
 杯を受け取った虹は、くちをつけようとして、奇妙な既視感に眉をひそめた。
「檸檬水ですよ」
 疑懼ぎくを溶かそうとするように、アーシェルが穏やかに答える。
「……」
 虹は恐る恐るひと口飲み、檸檬水と確信すると、一気に中身を飲み干した。
「……昨日飲んだ柘榴酒、何が入っていたんですか?」
 強張った口調で虹は訊ねた。
「躰に害をなすものではありません。軽い幻覚を伴う、精神高揚飲料です」
 虹は、怒りに両頬がかっと燃えるのを感じた。
「昨日は――」
 文句をいいかけた次の瞬間、破廉恥極まりない己の痴態が脳裏をよぎり、言葉を失った。
(――なんてことだ。あれは現実なのか!)
 えもいわれぬ芳香と輝き。照明の灯が、瞼の奥にちらついている。
 狂気の沙汰だ。
 己はいったい、何人の男と交わったのだろう?
 この秘境世界は楽園などではない。呪われている。徹頭徹尾てっとうてつび、頽廃のきょくに達した暗い神秘を崇める、醜悪な種族の棲み処なのだ!
 彼らが虹に仕えるしもべだなんて、とんでもない。獲物を貪る魔物ではないか。
 しかし、激しい非難の念を抱いた後で、眉をひそめた。
 被害者面で断じるには、淫楽的すぎたのだ。輪姦……といえるのだろうか。甘すぎる愛撫の余韻が、躰のそちこちに残っている。信じたくはないが、崇愛の生贄にされたことを、頭の片隅で、心のどこかで、まさか、悦んでいたのかと思うと、嗚呼――厭だ――脳がねじれそうになる。
「うぅ……っ」
 苦悶の獣じみた呻き声が、くちびるから漏れた。
 嗚呼、嗚呼。取り返し難い醜態をさらしてしまった。常識のいっさいを忘れて酔い痴れた記憶が、一種道徳的義憤のような鉄輪で心臓をめつける。
「お躰は大丈夫ですか?」
 強烈な自己嫌悪に沈む虹の背中に、アーシェルは優しく手をあてた。
 そっと彼の顔色をうかがうと、心配そうな目でこちらを見ていた。その平穏さが、逆に恐ろしかった。あれだけのことをしておいて、なぜ、平然としていられるのだろう?
「……昨日のこと、覚えています……?」
 もしかして己は、強烈な淫夢を見たのだろうか?
 一縷いちるの願いをこめて訊ねると、アーシェルは花が綻ぶようにほほえんだ。
「もちろんでございます。昨夜は真に、素晴らしいひとときでした」
 腹に強烈な一撃を喰らったような心地で、虹は震えた。
 だというのに、天使長然と微笑するアーシェルに、昨夜の獣めいた雰囲気は微塵も感じられない。
「虹様の胎はまさしく原始の熱い土壌。燃えあがる一瞬のときのごとく、最初の種を注げたこと、まことに僥倖ぎょうこうでございました」
 海よりも碧い瞳を甘く蕩けさせて、蜜月ハネムーンのような空気をかもしているが、虹は、躰が凍りついていくように感じられた。
「……夢じゃないのか」
 昨日の朝まで、俗界離れした里の美しさに心を洗われ、清浄無垢な気持ちでいたのに、たったの一晩ですべて塗り替えられてしまった。
 打ちのめされている虹の隣で、アーシェルは白皙はくせきの頬を薄紅色に染めて、花のようなため息をもらしている。
「まさしく夢のように幸せなひとときでしたが、幸福な現実でございます。交歓は実を結び、腹にたねを宿していらっしゃる」
 するりと下腹部を撫でられ、虹はびくりと震えた。
「え……」
「水晶がおりてきていますね。祝着しゅうちゃく至極に存じます」
 畏敬と感嘆のいりまじった声だった。
「まじわりが実を結び、結晶として生まれ落ちるのです。さぁ、生誕の儀を始めましょう。虹様の蕾を拓かせてくださいませ」
「ぅわ、待って!」
 足首を掴まれて、虹は慌てる。
「やめてくれ! 嫌だ、昨夜みたいなことは」
 悲愴な声で訴える虹に、アーシェルは安心させるように笑みかけた。
「虹様、大丈夫ですよ。種蒔きはつつがなく終了しました。これから収穫するのです」 
 あからさまな表現に虹は眉をひそめる。
「収穫?」
「ええ、虹様の蕾が花開いて、無垢なる結晶が生まれるのですよ」
「えっ!?」
 虹は腕を突きだして押しのけようとするが、びくともしない。溶接された鋼のごとく、強靭な力で足を開かされ、その間にアーシェルが膝をつく。
「やめて……」
 また犯されるのかと怯えたが、アーシェルは慈しむように腹をさすっている。
「ここにたねを宿していらっしゃいますね。感じますか?」
「……いや……?」
 虹は暴れるのをやめて、己の躰の異変に意識を向けた。腹は大きくなっていないし、命を宿しているとも思えない……が、奥処おくか蠕動ぜんどうする奇妙な気配がした。
 まさか本当に、尻から産まれるのだろうか?
 そこは産むための器官ではないと思うが、そもそも、排泄行為が以前とは変わってしまった……老廃物の代わりに、蜜を噴きあげるのだ。乳首から、性器から、そして尻から。
 表情の変化を注意深く見守っていたアーシェルは、始まりましたね、と冷静に告げた。背後を振り向いて手を鳴らすと、そこに待機していたのか、数人のしもべが間を置かずに寝室に入ってきた。
「なんで人を呼ぶんですか?」
 怯える虹の手をとって、アーシェルは優しく両手で包みこんだ。
「一族のよろこびごとですから、本当は、皆が立ちあいたいのですよ。しかし全員は呼べませんから、出産補助をする聖術師に限らせていただきます」
「しゅっさん……出産????」
「決して痛くしませんから、御心配なさらず。どうか安心して身をお任せください」
「え、マジですか? 僕が子供を産むんですか??」
 確かに下腹に異変は感じるが、赤ん坊が生まれる気配はない。陣痛など知るよしもないが、痛みはなく、それどころか甘い疼きを感じている。
「力を抜いて、楽にしてください。我々にお任せください」
「いや、無理です。やめて、嘘でしょ?」
 躰のうちから恐怖がせりあがってくる。
「嘘ではありません。我ら生命の真理まことでございます」
 左右にそれぞれしもべかしずき、ぐっと虹の足を持ちあげた。腰が浮いた隙に、アーシェルは下着ごと虹の衣を脱がせてしまった。
「待って!」
 股間が外気にふれて、きゅっと縮む気がした。しかし蕾はひくついて、ぬめりのある蜜があふれでる錯覚がした。
「厭だ……っ」
 顔を横に倒してぎゅっと目をつむる。
 彼らは真面目な恭しい態度でいるが、虹は、滑稽で不合理に思えてならない。こちらの羞恥心などお構いなしに、脚を割り開いて、局部を覗きこもうとする。そのように軽蔑されていい行為を、なんら疑問を抱かず、神聖な儀式のように粛々と盲進するなんて信じられない。
「虹様、怖くありませんよ」
 優しく囁いて、アーシェルは虹の顔に素早く小さなキスの雨を降らせた。その間にも下腹部を優しく撫でさすり、虹は秘孔がほころぶ感じに戦慄した。
「うぅ……何かでそう……厭だ、怖い……っ」
 破滅に向かってき立てさせる、抗し難い、熱病じみた力が働きかけてくる。
「大丈夫ですよ。私がついております、虹様」
 アーシェルは虹の肩や腕を撫で摩り、木の葉のように震える手を優しく握った。
「僕は、何を産むんですか?」
「ごく小さな水晶の珠でございますから、痛みはございません」
 虹は唸った。
「……嘘だろ、なんで一日で生まれてくるんだ……」
 昨日蒔かれた種がもう実を結ぶだなんて、いくらなんでも早すぎる。
 心が追いつかない。
 しかし躰のなかの燃える熱が、これから起こることを無慈悲に突きつけてくる。
 太陽が大地を芽吹かせるように、虹のうちで命が醗酵し、心と躰を熱く燃やす。それは、抵抗のしようのない急激で力強い開花であり、命の奔騰ほんとうだった。
「ん、んんっ……なんか、くるっ!」
 混乱と恍惚のなかで、虹は歓喜を叫んだ。次の瞬間、押し拓かれた秘孔から小さな丸い水晶がぽんっと飛びだした。
「ぁっ!?」
 一瞬、粗相をしてしまったのかと恐怖したが、すぐに違うことを悟った。
「なんて美しい水晶でしょう!」
「嗚呼、素晴らしい!」
「ありがとうございます、水晶の君」
 しもべたちは口々に感嘆の声を洩らした。
「御覧ください、虹様。清らかな水晶ですよ」
 小さな丸い透明水晶が、アーシェルのたなごころにきらめいた。まさしくたまのような……たまだ。
「……これ、僕が産んだのですか?」
 虹は水晶を凝視したまま訊ねた。
 比喩でもなんでもない、まごうなき透明水晶である。これが虹の体内から、尻から産まれたなんてとても信じられないが、アーシェルも他のしもべも瞳を潤ませ、笑顔で頷いている。
 恐る恐る指でつつくと、想像通りの無機質な、硬い感触が指先に伝わってきた。無色透明で清らかに美しいが、いにしえの沈黙を封じこめた琥珀のような、奇妙な脈動を感じる。
 なぜ?
 どうして?
 疑問が胸に渦巻いたが、すぐに霧散した。尻の奥が、かぁっと熱くなったのだ。
「げっ」
 蠕虫ぜんちゅうめいた蜜が、太腿を流れ落ちていく。慌てて尻を引き締めるが、アーシェルは尻をぐっと掴んで開かせた。
「ぁ、何をっ!?」
「水晶の君、つぎの水晶がおりてきていますよ」
「えぇッ!?」
 こぷりと蜜がさらに溢れて、甘い香りが漂う。ごくり……しもべは喉を鳴らしながら、産まれる瞬間を――ひくつく孔を凝視している。
「お上手ですよ、水晶の君。水晶が見えてきました。さあ、もっと力んで」
 屈みこんで孔の奥を凝視しながら、アーシェルがやや興奮気味にいった。
「黙って!」
 悪態をつきながら、虹は、下腹部に精一杯力をいれる。
肉筒をとおって生まれ落ちる瞬間、肉体全体を春の微風に撫でられたように乱れ慄いた。
「ぁん……っ」
 艶めかしい声と共に、またひとつ、ころりと透明水晶が産まれた。
「なんと珠のような水晶であることか。御覧ください、虹様。貴方様の御子でございます」
 アーシェルは産まれたばかりの水晶を、虹に見せた。
(御子って、水晶じゃねぇか)
 心のなかで突っこむが、言葉にする余裕はなかった。まだ尻の奥が疼いているのだ。
 アーシェルは水晶玉を綿にくるむと、傍にいる聖術師に渡した。恭しい手つきで受け取ったしもべは、産まれたばかりの水晶を丁寧にぬぐい、どこかへ運んでいく。
 その様子を、息を喘がせながら虹が見つめていると、アーシェルはほほえんだ。
「ご安心ください。揺籃ようらんの泉に寝かせにいかせました。じきに孵化することでしょう」
(孵化??)
 疑問に思うが、考えている暇はない。すぐにまた胎が熱くなり、身もだえながら、虹は丸い水晶を産んだ。四つ五つと産み落とすと、尻から大腿は蜜にまみれて、てらてらと淫靡に光っていた。
「うぅ、もう厭だ……っ」
 絹を掴んで総身を震わせる。最後のひとつがどうしても産まれてこないのだ。躰の奥にあって、どうにも動いてくれない。
「でてこない……っ」
 虹が弱弱しく訴えると、アーシェルは虹の足の間に膝をつき、大腿をもちあげた。
「何っ」
 あらぬところに暖かな吐息が触れて、虹はびくりと震える。脚を閉じようとするが、万力のような力に阻まれる。
「手伝います、力を抜いて……ン」
 しとどに濡れた隘路あいろを、熱い舌がなぞりあげた。
「ぁっ!」
 昨夜の淫らな情事がいっぺんによみがえり、虹は身もだえた。アーシェルは大腿をがっちり押さえこみ、優しく、だが有無をいわせず舌を挿しいれた。
 じゅる、じゅるる……っとすすられると、からだの奥の水晶が、少し動く気配がした。
「ふぅ、動いたっ」
「お上手ですよ、虹様。続けますね……ン」
 あられもない声が迸りそうで、虹は己の拳に歯を立てる。しかし、左右に屈みこんだしもべによって、無情にもその手をはがされてしまう。
「ぁンッ! あ、あっ、はぁっ、くふぅ、んッ」
 甘い声がひっきりなしに迸り、しもべたちはさっと頬を紅潮させた。
 濃密な空気が部屋を満たすが、アーシェルのほかには誰も、虹に不必要に触れようとしなかった。ただ水晶が無事に生まれれる瞬間を待ちわびて、愛撫に打ち震える肢体を熱心に観察しているのだった。
「やだ……ぁ、いやぁぁッ!」
 ころん。最後の一つが、とうとう産まれ落ちた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ」
 荒い息を繰り返す虹の髪を、アーシェルは優しく、労りをこめて撫でた。
御恵みめぐみ深き、我が水晶の君。虹様のおかげで、我ら千年の悲願は成就されました。幾千の感謝を。誠にありがとうございます」
 感極まったように告げるアーシェルから、虹は目をそむけた。躰のうちから己の世界が崩壊して、二度と修復できなくなっていくのを感じていた。