DAWN FANTASY

4章:一つの解、全ての鍵 - 8 -

 七海は、ランティスから躰を離した。海に浮かぶ碧氷のような瞳が七海を見つめてくる。七海の一挙一動を見逃さないというように、強い眼差しで。
 初めてあった時から、不思議な邂逅感に囚われていた。ずっと昔から知っているような……懐かしいような……
 彼は全てを理解していたのだ。塔のけがれも、封印が解かれようとしている危機も、七海が何者なのかも。宇宙樹ユグドラシルを敬っていたのは、塔の護り手と知っていたからだ。
 おびただしい数の黄金を集めるために、どれほどの時間を費やしたのだろう?
 何十枚もの地図を編纂へんさんしながら、ひたむきな努力で暗黒迷宮を踏破とうはしてきた。超人的なひとだけれど、傷つかないわけじゃない。七海には想像もつかない万難があったはずだ。
 聖域――ティ・ティ・パプラス――で真珠の入った硝子の箱を渡された時、ぽかんとする七海を見て、彼が落胆した理由が今なら判る。
 ようやく見つけた“鍵”はポンコツで、活躍を期待できないうえに足手まといで、どれほどもどかしかったことだろう。
「ごめんなさい……すみませんカヒーム。やっと判りました」
 七海はランティスの手をとり、赦しを乞うように己の額に押し当てた。
「七海……」
 彼は、七海が世界の秘鑰ウテ・カ・エリキサだと知っていたけれど、七海に自覚がないから、気づかせるために、言葉を教えて、心象のくちづけモア ティナで情報を共有し、立体パズルジローマで練習させていたのだ。
 気の遠くなるような回り道をしながら、一度も不満を七海にぶつけなかった。恐るべき忍耐力を発揮し、七海をここまで導いてくれた。
 今こそ役に立つ時だ。
 七海は、決意を秘めた目を陳列棚に向けた。
 瓶のなかには得体の知れぬ心臓が液体に浸かっている。凝視したくはないが、見透すように、遠景を鳥瞰ちょうかんするように眺めれば、不気味な臓器が変容するように揺らめいた。
 あと少しで看破できる――そう思われた時、眼前に彼女・・が顕れた。
「ひっ」
 一瞬にして七海は恐怖に支配された。色蒼ざめて、震えおののく躰をランティスがきつく抱きしめる。
 力強い腕と温かい体温。彼の存在を意識した途端に、一望てのない闇が晴れていくように、びっしりとまとわりついていた冷たい恐怖が魂から離れて、心は平衡をとり戻した。

“ナナミ、やめて……”

 彼女が泣いている。
 弱々しく哀願されると、七海は一種後ろめたいような気持ちになって視線を伏せてしまう。
「七海」
 戸惑いながらランティスの方に目を向けると、彼の顔がすぐ傍にあった。大丈夫、ランティスがこんなにも近くにいてくれる。七海は勇気をもらい、顔をあげた。今度こそ陳列棚を見透そうとすると、忌々しげに彼女が唸った。

“やめなさい、ナナミ……やめろ! ヤメロッ!!!”

 恐ろしい恫喝どうかつだが、七海に手をだそうとはしてこない。だしたくてもだせないのだ。異界に続く隧道ずいどうは、もはや黄金で封じられてしまったから。
 これはただの幻影。威嚇にすぎない。
「ダイジョウブ。開けてタト
「はい!」
 七海は豁然かつぜんと答えた。
 再び無限の棚を眺めると、不気味な臓器から一変して、仄青い光に変わった。
(――解けた!)
 瓶のなかに入っているのは臓器ではない。魔塔の餌食にされた、憐れな魂だ。
 視覚的なからくりを見破った途端に、千紫万紅せんしばんこうに彩る万華鏡のように光が煌めいて、水晶が割れるがごとく破裂音があたりに轟いた。

“いやああぁぁぁぁぁここからだしてええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ”

 力の媒介を失った妖魔が、怨嗟の悲鳴を迸らせる。
 あまりの大絶叫――此の世ならぬ恐ろしい断末魔に、七海は全身を凍りつかせた。反射的に目を閉じると、ランティスに抱きしめられた。
「七海」
 背後から抱える腕に、落ち着け、というように力が加わる。
「七海、目を開けてリィン タト
 瞼の向こうが明るいことを不思議に思い、七海は恐る恐る目を開けた。
「……えっ?」
 空間時間を超越して、無限の棚は消えて、宇宙に浮いているみたいだった。いつの間にか、断末魔も消えている。
 監獄に囚われていた魂は解き放たれ、ゆっくりと天に昇っていく……きらきらと瞬きながら、夜空に浮かぶ数千那由他なゆたの星に溶け消えていく。
 塔は凄まじい勢いで形を変えていき、無限階段も消え失せ、星の光の射す空洞に変わり、宇宙樹ユグドラシルの梢が往古の壁にはわされていく。
 再生の魔法だ。
 一秒ごとに偉大なる原始の力が満ちて、塔を浄化していく。
 薄靄の冷気は、真珠母貝しんじゅぼがいのにわか雨のように煌めいて、七海とランティスを優しく包みこんだ。
 気がつけばふたりは、塔の入口であり出口に立っていた。