DAWN FANTASY

2章:最後の黄金 - 9 -

 七海が眠りから醒めたあとも、二人は休憩を続けた。
 その間会話は殆どなかったが、七海は心が穏やかに凪いでいくのを感じていた。
 少し前は沈黙が苦手だったが、今は違う。静かに傍にいてくれることに、癒やしと守護とを感じている。
 軽食をとり、七海の気力も大分回復すると、ランティスは荷を片づけ、出発の準備を整えた。
 その様子を傍で見守っていた七海は、いつもより入念な休息と準備は、この後に強敵が待ち構えているような嫌な予感に襲われていた。
 再び目隠し布をつけた七海は、ランティスに手を引かれて魔法の結界の外にでた。
 黙々と慎重に地下遺跡を歩いていく。進むごとに空気は重くなり、邪悪な気配はいや増した。
 幾つかの細道を抜けて、広々とした空間にでると、いよいよ緊張は最高潮に達した。
 が近いのだ。
 鋭敏になった第六感が警鐘を鳴らしている。
 におうともしないかすかな匂い、危険が待ち構えている妖気を感じとって、七海の肌は本能的に粟立った。
「ランティスさん……」
 彼は怯える七海の肩を抱き寄せ、頭のてっぺんにキスをすると目隠し布をとった。それから後方の壁を指さした。
「七海、隠れてリセトバ
「敵がくるの?」
「ジャジャ。******隠れてリセトバ
 ジャジャ?
 それは敵の名前なのだろうか? 不安に駆られながら、七海は素早く壁際へ寄った。
 ランティスは杖を掲げて、大気の魔法をかける。火焔狼コゥダリの時のように、大気の歪みのような、淡い虹色めいた防壁を張ってくれた。
「ランティスさん! 大丈夫ですか?」
 不安でたまらず七海が叫ぶと、彼は肩越しに振り向いて、小さく頷いてみせた。
 凶悪な何かが、すぐそこに迫っている。
 磁場が蠢いて、足元の砂が不気味にぱっぱっと飛び散った。
「*****……**********」
 ランティスの詠唱に応えて、杖の先端部が鋭く発光し、放射状の光で辺りを貫いた。
 光がはしり抜けていく瞬間、姿なき怪物の輪郭が、白く浮きあがって見えた。
 巨大な砂の頭蓋骨――砂髑髏ジャジャだ。
 七海は咄嗟に口を両手で覆った。ともすれば叫んでしまいそうだったが、ランティスの集中の邪魔をしてはいけないと、必死に恐怖を飲みこんだ。
 砂髑髏ジャジャは、くわっとあぎとを開いて、ランティスを飲みこもうとする。
「危ないッ!」
 たまらず叫んだ七海の心配は、杞憂だった。
 ランティスは優雅な所作で杖を相手へ向けると、古い力ある言葉を紡いだ。三日月型の杖の尖端部が、神懸かりの光を放つ。
 砂は粉砕されて大気に溶け消えた。
 物音ひとつ聴こえなくなり、七海は不安げに視線を揺らした。
 ……倒したのだろうか?
 けれどもランティスは全身に緊張感をみなぎらせて、戦いの構えを解いていない。
 七海も異常な興奮に支配されて、微動だにしていないにも関わらず、心臓はまるで烈火。尋常ではなく強い鼓動を打っていた。
 敵は近くにいる。狡猾に息を潜めている。
 優美な杖の先端から放射状の光が放たれると、再び砂髑髏ジャジャの輪郭が、白く浮きあがって見えた。
 それは完全に彼の死角を捉えており、七海は全身を恐怖に貫かれた。
「ランティスさん、後ろッ!」
 彼は瞬間移動としか思えぬ動きで、怪物の真後ろに顕れた。
 幻影を追いかけるようにして、砂の窪み、怪物の双眸そうぼうが爛々とかがやいた。死をもたらす邪悪な瞳で獲物を捕らえようとする。
 ランティスは両手で杖を掴むと、大地に弧を描いた。絢爛けんらんにして澄明ちょうめいな光のの結界が為され、悪しき力は跳ね返される。
「ヴオォォォォォォオオオオォォォォォォォォォ――ッ!!」
 苛立った怪物が、この世のものならぬ怒りの咆哮をあげる。
 魔法の膜に守られながら、七海は恐ろしさのあまり両手で耳を塞いだ。
 あれは、七海が目隠しをはずしてしまった時に、呪縛にかけようとした魔物ではないか?
 考えれば考えるほど恐怖感のとりこになる。
 あの眼光は命取りだ。彼が今にも囚われてしまうんじゃないかと、七海は気が気がでならなかった。
 まさしく生命をした闘いが繰り返された。ランティスの叡智と魔法が 砂髑髏ジャジャの邪智と妖力に拮抗した。
 砂髑髏ジャジャはもはや近接は避けて距離をとり、邪眼で彼を捕捉しようと狙っている。悪霊のような執念と狡猾さだが、ランティスも負けていない。超人としかいいのようのない正確無比の動きで、決して邪眼に捕まらない。敵の死角を捉えて苛烈な魔法攻撃を放つ。
 遺跡の大空間で、悪魔の舞踏が継続される。
 永劫えいごうにも続く闘いかと思われたが、ついに勝機が見えた。
 突然、砂の大地から、巨大な光の六角柱がった。
 ランティスは巧妙に敵の背後を捉えながら、地面に細工をしていたのだ。
 魔法の大結界に囚われ、怒り狂った砂髑髏ジャジャが暴れまくる。
 なんということか――およそ形のない正体不明の敵に捕まるどころか、逆に捕まえてしまうとは!
 戦局は一気にランティスに傾いた。待ったなしで王手をかける。
「**********……**********……」
 彼は古い呪文を滔々とうとうと紡ぎ始めた。嵐を呼ぶ呪文。敵を葬る必殺の魔法だ。
 不思議な韻律に耳を傾けながら、七海は戦慄を禁じえなかった。
 言葉に秘された意味は判らずとも、途方もない力を秘めていることは判る。辺りに満ちていく魔力に圧倒されて、全身の肌が総毛立っている。
 己の命運が尽きようとしているのが判るのか、砂髑髏ジャジャは、光の六角柱を壊そうと死にもの狂いで暴れている。
 だがもう遅い。詠唱は完成した。
 キィ……ン――冷たく鋭い氷結音と共に大魔法が発現し、六角柱のなかで壮麗なる光の歌劇オペラぜた。
 決して逃れることのできない光の焔に貫かれて、砂髑髏ジャジャが絶叫している。ガッとあぎとを開いて、断末魔を叫んでいる。
 だがその叫びが六角柱の外に漏れることはない。
 視覚の凄まじさに反して、完全な無音が辺りを支配していた。
 六角柱はまばゆい光を放つと、みるみるまに収斂しゅうれんしていき、最後は水晶が砕け散るような音を響かせ、粉々になって大気に溶け消えた。
 激闘の末に、勝敗は決した。
 辺りが平穏を取り戻しても、七海はまだ動けなかった。ランティスをじっと見守っていると、彼は屈みこんで何かを拾う仕草をした。間もなく身を起こすと、七海を振り向いた。
 目が遭った途端に七海は走りだした。彼が手を拡げてくれたので、思わず胸のなかに飛びこんだ。
「ランティスさんっ!」
 ぎゅっとしがみついたあと、慌てて腕を掴んで身を引いた。
「すみません! 思いっきり飛びついちゃった。大丈夫でしたか? 怪我はありませんか?」
 堰を切ったように訊ねる七海に、ランティスは穏やかな表情で頷いた。
「*****、ダイジョウブ。**********、七海?」
「はいっ、私も大丈夫です……っ!」
 意図せず語尾が潤みかけた。いまさらながら、恐怖におののいて、躰が震えてくる。
「七海……******、****」
 彼は優しく七海を抱きしめた。大丈夫、心配いらない、慰めの言葉をかけながら、震える背中を撫で擦る。
 暖かい好意の波動が伝わってきて、彼を信じたいという気持ちが、七海の胸のうちで膨れあがるのを感じた。
 ややしてどちらからともなく抱擁をほどくと、彼は掌のなかにあるものを見せてくれた。
「******、砂髑髏ジャジャ***黄金ジル
 円型の黄金だ。表面に聖刻文字ヒエログリフが意匠されている。
「これ……」
 火焔狼コゥダリを倒した時も、彼はこれによく似た黄金を拾っていた。怪物を倒したご褒美なのだろうか?
「*******……」
 ランティスは黄金をぐっと握りしめると、感慨深げに呟いて、天を仰ぎ見た。
 それから七海に視線を戻すと、珍しく杖を手離した――不思議と杖は宙に浮いている。自由になった両腕で七海を抱きしめると、七海のつま先が浮きあがるくらい、きつく抱きしめた。
「ランティスさんっ?」
 七海が驚いて脚をばたつかせると、彼はさらにぎゅっと抱きしめて、額にくちづけた。
「!?」
 紅くなる七海を見て、満足そうに、どこか達成感に満ちた表情でほほえんでいる。
「*****、七海」
 彼にしては珍しく興奮した様子だ。
「……よくできましたラーチェ?」
 戸惑いながら七海が感想を述べると、ランティスは思わずうっとりするような笑みを浮かべた。
ええィオ、七海。*******」
 そういってランティスは七海を地面におろすと、額と額をくっつける仕草をした。触れあったところから、彼の喜びが伝わってくる。
 ……やはり彼は、黄金を手に入れるために、この塔にやってきたのだ。もしかしたら、今手に入れた黄金が最後の一枚だったのかもしれない。
 そんなことを考えていると、不意に重たい音が響いた。
「地震っ!?」
 七海は忙しなく視線を彷徨わせた。まさかこの遺跡、崩れ落ちるのではなかろうか?
 背筋がひやりとしたが、ランティスは落ち着いた様子でいる。それどころか彼は不敵に笑った。何が起きているのか、何もかも知っているような顔だ。
 七海は地響きにおののきながら、どうやらこれは地震ではなさそうだと感じ始めていた。巨大なからくりが動き始めたような、振動と起動音とでもいえようか。
 やがて振動が収まった時、二人の目の前には、新たな黄金の扉が顕れていた。