DAWN FANTASY
2章:最後の黄金 - 7 -
目隠しにより幻覚の心配はなくなったが、別の恐怖がもたげた。
目が塞がれている分、他の感覚が鋭くなる。聴覚は冴え渡り、聴覚は冴え渡り、己の鼓動の音すら聴こえてきそうなほどだ。
視界を得られないことが、これほど心許ないとは……暗闇から恐ろしい怪物が飛びだしてくる妄想が止まらない。
そうした不安が膨らむせいか、幻聴もいつもにまして騒ぎたてる。
“ナナミ、その男を信用しないで”
特に彼女 の声。
小さな囁きだが、感情のこもった、完璧に聞き取れる声で、言葉の意味を正確に理解できる。
(……貴女は誰なの? どうして、貴女の言葉は判るの?)
“わたくしはナナミの味方よ。貴女を助けたいの”
七海は困惑して視線を泳がせた。精神的なストレスから、多重人格を発症してしまったのだろうか?
己の正気を疑っていると、怖がらないで、と彼女が囁いた。
怖いに決まっている。
もうどんな反応もせずに、心を空虚にしようと思うが、同情と共感を寄せられると、つい返事をしてしまう。
最初はぎこちないやりとりで、ぽつぽつと言葉を返す程度だったが、やがて怒涛のように言葉が脳裡を駆け巡った。
ひどく辛い目に遭っているのだと、時間の感覚も麻痺してしまって、もう幾日経ったか判らない。どれだけ歩いても、尽きることのない無限の空間に、今も囚われているのだと、積もりに積もった悲憤慷慨 を、ずっと誰かに聞いて欲しかったのだ。
いつ外にでられる? 生きてでられる?
疑問をぶつければ、彼女は優しく耳元で囁いてくれる。
“きっともうすぐよ。辛いわよね……よく判るわ”
そういってくれるだけで、弱った七海の心は幾らか救われた。
彼女の正体は判らない。
空想の存在、或いは彷徨える魂、もしくは塔に棲む悪魔……どれも憶測に過ぎないが、空想の存在というのは、排除してもいいかもしれない。
幻聴は七海の頭がおかしくなってしまったせいかと疑ったが、それは違う。幸か不幸かまだ正気を保っている。では別の人格がこの身に共存しているのかというと、それも少し違う……彼女 は存在しているのだ。
声しか聴こえないのに、その姿を胸のうちに描写することができる。
すらりと背が高く、優雅で美しいミステリアスな女 。艷やかな黒髪、白い肌に紅い唇……瞳は何色だろう? 黒? 碧? それとも菫色? どれも似合いそうだが、しっくりこない。印象的な瞳をしていることは確かだ。魅惑的で、ランティスのように煙草を喫う姿がきっと様になるのだろう。
存在の良し悪しは判別つかないが、言葉が通じるという事実は、麻薬のような甘美さがあった。
彼女との会話は安心をくれる一方で、不安な気持ちになりもする。
“あの男を信用してはだめ……ナナミを守っているのは、この塔をでるために、ナナミの魂が必要だからよ。このままでは、殺されてしまう”
相変わらずのランティス批判だが、いつもより内容が具体的だ。七海の魂が必要というのは初耳である。
(……どうして貴女は、ランティスさんを敵視するの?)
“七海を殺そうとしているからよ”
「はぁ?」
思わず声にでてしまった。
「七海?」
ランティスの声が聴こえて、七海は誤魔化し笑いを浮かべた。
(ちょっと、変なこといわないでよ。ランティスさんがそんなことするわけないでしょ)
“七海は、彼に対して盲目過ぎる。見返りもなく、無償で助けてくれると、本気で思っているの?”
痛いところをつかれて、七海は一瞬言葉に詰まった。けれども、すぐに反駁 を唱える。
(貴女こそ、どんな根拠があってランティスさんが私を殺そうとしているというのよ)
“わたくしは、心を見抜けるの。話しかけることもできるわ。だから、あの男が何を企んでいるのか判るのよ”
「……」
“安心して、ちゃんと出口はあるわ。ただし、対価が必要よ。生者の心臓よ。あの男はナナミを出口まで案内して、心臓を抜きとるつもりなのよ”
七海は凍りついた。
あの最初の部屋に降りたった時に感じた胸苦しさ、心臓に疾 った衝撃が思いだされた。
どっくん。どっくん、胸郭 を破りそうな勢いで鼓動が鳴っていた。あの時、忌まわしい何かがこの胸に入りこみ、心臓を、茨の鎖に絡め捕られたような苦痛に貫かれたのだ。
あの場所にはランティスがいた。まさか。あれはまさか、彼の仕業だったのか?
(……そんなの、信じない。ランティスさんは親切で優しい人よ)
そうであってほしいと、自分にいい聞かせているみたいだった。
“ホホホ……親切にしているのは、七海の心臓が欲しいからよ。そうでなければ、あのように美しい男が、七海に優しくすると思って?”
噛んで含めるようにいう。劣等感を刺激されながら、七海は意味深長に吟味しようと試みた。
(……味方なら、どうして惑わすことばかりいうの)
“わたくしは真実しかいわないわ。目に見えるものを鵜呑みにしないで。表と裏を見透 すのよ……”
親切な忠告めいているが、得体の知れぬ放電に触れたように感じた。
なにか薄汚いものが、躰のなかに染みこんでくるような、背筋を虫が這うような厭悪感に冷やされている。
囁きを遮断しようとしても、意識のなかで執拗に反響する。
――七海の心臓が欲しいからよ。そうでなければ、あのように美しい男が、七海に優しくすると思って?
……違うと思いたい。
だけど、否定しきれない。ランティスが眩しすぎて、彼の真摯な言動は全て、下心があるといわれたほうが納得がいく卑屈な自分がいる。
真相を彼の口から聞けたらいいのに、言葉が通じないから判らない。
もし、塔をでるためにどちらかが死ぬ運命にあるとしたら――彼のために心臓をさしだせるだろうか? 生き汚く助かりたいと懇願せずにいられるだろうか?
(――死にたくない)
小狡 い云々 ではなく、七海の本心だ。それが彼の死を意味するのだとしても。
心の醜さを自覚した瞬間、瞼の奥に、とぐろを巻いた蛇のような、昏い窖 が視えた。
“ホホホホホホ……ホホホホホホホホホホホホ……”
彼女が嗤っている。
ほら見たとことかと嗤っている。彼女を責めた七海の猜疑心を嗤っている。一つ穴の貉 だと嗤っている。
「七海?」
気遣わしげに声をかけられ、七海は狼狽えた。強張った笑みを返しながら、猛烈な自己嫌悪に襲われた。
自分は今、どんな顔をしているのだろう? きちんと笑えているのだろうか?
目隠しをしていても、澄み透った眸に見つめられているような、何もかも暴かれているような心地を味わった。
彼を疑うなんてどうかしている。そう自分にいい聞かせても、黒い感情は七海のなかに爪を立ててしまった。
良心の呵責 に耐えきれず、目隠しをしている顔を、さらに俯けた。
目が塞がれている分、他の感覚が鋭くなる。聴覚は冴え渡り、聴覚は冴え渡り、己の鼓動の音すら聴こえてきそうなほどだ。
視界を得られないことが、これほど心許ないとは……暗闇から恐ろしい怪物が飛びだしてくる妄想が止まらない。
そうした不安が膨らむせいか、幻聴もいつもにまして騒ぎたてる。
“ナナミ、その男を信用しないで”
特に
小さな囁きだが、感情のこもった、完璧に聞き取れる声で、言葉の意味を正確に理解できる。
(……貴女は誰なの? どうして、貴女の言葉は判るの?)
“わたくしはナナミの味方よ。貴女を助けたいの”
七海は困惑して視線を泳がせた。精神的なストレスから、多重人格を発症してしまったのだろうか?
己の正気を疑っていると、怖がらないで、と彼女が囁いた。
怖いに決まっている。
もうどんな反応もせずに、心を空虚にしようと思うが、同情と共感を寄せられると、つい返事をしてしまう。
最初はぎこちないやりとりで、ぽつぽつと言葉を返す程度だったが、やがて怒涛のように言葉が脳裡を駆け巡った。
ひどく辛い目に遭っているのだと、時間の感覚も麻痺してしまって、もう幾日経ったか判らない。どれだけ歩いても、尽きることのない無限の空間に、今も囚われているのだと、積もりに積もった
いつ外にでられる? 生きてでられる?
疑問をぶつければ、彼女は優しく耳元で囁いてくれる。
“きっともうすぐよ。辛いわよね……よく判るわ”
そういってくれるだけで、弱った七海の心は幾らか救われた。
彼女の正体は判らない。
空想の存在、或いは彷徨える魂、もしくは塔に棲む悪魔……どれも憶測に過ぎないが、空想の存在というのは、排除してもいいかもしれない。
幻聴は七海の頭がおかしくなってしまったせいかと疑ったが、それは違う。幸か不幸かまだ正気を保っている。では別の人格がこの身に共存しているのかというと、それも少し違う……
声しか聴こえないのに、その姿を胸のうちに描写することができる。
すらりと背が高く、優雅で美しいミステリアスな
存在の良し悪しは判別つかないが、言葉が通じるという事実は、麻薬のような甘美さがあった。
彼女との会話は安心をくれる一方で、不安な気持ちになりもする。
“あの男を信用してはだめ……ナナミを守っているのは、この塔をでるために、ナナミの魂が必要だからよ。このままでは、殺されてしまう”
相変わらずのランティス批判だが、いつもより内容が具体的だ。七海の魂が必要というのは初耳である。
(……どうして貴女は、ランティスさんを敵視するの?)
“七海を殺そうとしているからよ”
「はぁ?」
思わず声にでてしまった。
「七海?」
ランティスの声が聴こえて、七海は誤魔化し笑いを浮かべた。
(ちょっと、変なこといわないでよ。ランティスさんがそんなことするわけないでしょ)
“七海は、彼に対して盲目過ぎる。見返りもなく、無償で助けてくれると、本気で思っているの?”
痛いところをつかれて、七海は一瞬言葉に詰まった。けれども、すぐに
(貴女こそ、どんな根拠があってランティスさんが私を殺そうとしているというのよ)
“わたくしは、心を見抜けるの。話しかけることもできるわ。だから、あの男が何を企んでいるのか判るのよ”
「……」
“安心して、ちゃんと出口はあるわ。ただし、対価が必要よ。生者の心臓よ。あの男はナナミを出口まで案内して、心臓を抜きとるつもりなのよ”
七海は凍りついた。
あの最初の部屋に降りたった時に感じた胸苦しさ、心臓に
どっくん。どっくん、
あの場所にはランティスがいた。まさか。あれはまさか、彼の仕業だったのか?
(……そんなの、信じない。ランティスさんは親切で優しい人よ)
そうであってほしいと、自分にいい聞かせているみたいだった。
“ホホホ……親切にしているのは、七海の心臓が欲しいからよ。そうでなければ、あのように美しい男が、七海に優しくすると思って?”
噛んで含めるようにいう。劣等感を刺激されながら、七海は意味深長に吟味しようと試みた。
(……味方なら、どうして惑わすことばかりいうの)
“わたくしは真実しかいわないわ。目に見えるものを鵜呑みにしないで。表と裏を見
親切な忠告めいているが、得体の知れぬ放電に触れたように感じた。
なにか薄汚いものが、躰のなかに染みこんでくるような、背筋を虫が這うような厭悪感に冷やされている。
囁きを遮断しようとしても、意識のなかで執拗に反響する。
――七海の心臓が欲しいからよ。そうでなければ、あのように美しい男が、七海に優しくすると思って?
……違うと思いたい。
だけど、否定しきれない。ランティスが眩しすぎて、彼の真摯な言動は全て、下心があるといわれたほうが納得がいく卑屈な自分がいる。
真相を彼の口から聞けたらいいのに、言葉が通じないから判らない。
もし、塔をでるためにどちらかが死ぬ運命にあるとしたら――彼のために心臓をさしだせるだろうか? 生き汚く助かりたいと懇願せずにいられるだろうか?
(――死にたくない)
心の醜さを自覚した瞬間、瞼の奥に、とぐろを巻いた蛇のような、昏い
“ホホホホホホ……ホホホホホホホホホホホホ……”
彼女が嗤っている。
ほら見たとことかと嗤っている。彼女を責めた七海の猜疑心を嗤っている。一つ穴の
「七海?」
気遣わしげに声をかけられ、七海は狼狽えた。強張った笑みを返しながら、猛烈な自己嫌悪に襲われた。
自分は今、どんな顔をしているのだろう? きちんと笑えているのだろうか?
目隠しをしていても、澄み透った眸に見つめられているような、何もかも暴かれているような心地を味わった。
彼を疑うなんてどうかしている。そう自分にいい聞かせても、黒い感情は七海のなかに爪を立ててしまった。
良心の