DAWN FANTASY
1章:心臓に茨、手に角燈 - 6 -
階段をおりていくことしばらく、奇妙な扉が顕れた。
向こう側にも階段は続いており、ただ扉だけがぽつんと佇んでいる。
「何この扉……」
「****」
その怪しさ満点な扉を、ランティスは躊躇なく開いた。すると想像とは違って、扉を開いた先に全く別の景観――暗闇が覗いていた。
ますます怪しい扉に、ランティスが脚を踏み入れようとするので、
「ちょ、ちょっと、ランティスさんっ」
七海は慌てて、ランティスの外套を掴んだ。彼はちらと視線をよこしたものの、構わずに脚を踏み入れた。
「えぇ~……いくんですかぁ?」
世にも情けない声で七海はいった。飛びこむ決心がつかず、その場で足踏みしていると、ランティスに腕を掴まれた。
「わわ、ちょっと!」
問答無用で引っ張りこまれた。
扉の向こうに全身が入った瞬間、たった今くぐり抜けてきたはずの扉が、跡形もなく消え失せた。
前にも後ろにも、ただただ暗闇が拡がっている。
「ランティスさん~~っ」
不安げな七海の肩を抱き寄せ、ランティスは歩いていく。
「怖いよぅ、いきたくないよぅ……」
もはや涙声だが、彼に立ち止まる気はないらしい。この先に何があるのか知っているかのように、足取りに迷いがない。
やがて彼が立ち止まると、七海は身構えた。固唾を飲んで見守っていると、足元に朱金に赫 く文字が顕れた。
「何っ!?」
七海は、思わずランティスにしがみついた。
青い鬼火が連鎖的に円を描くように灯されていき、辺りは急に明るんだ。
かなり広い空間のようだが、碧白い靄が漂っていて、上も左右もはっきり見透せない。
恐怖の序曲が始まった。
不気味な地鳴りと共に、灰白の床に浮きあがった魔法陣と文字は、縦横無尽に朱金を走らせていく。その中央には、苦悶の表情の怪物――巻きあがる二本の角を戴く狼――が今にも動きだしそうな禍々しさで浮き彫りにされている。
地面が唸った。
表面を覆う灰色の石が罅割 れて、ごぅっと紅蓮大紅蓮の焔が噴きあがった。
「ひゃッ」
割れた地面の下、灼熱の溶岩のなかから、とてつもなく危険な何かが顕れようとしている。
黒煙と金粉を煽った火の粉とが、この世の終わりとばかりに舞い狂うなか、煉獄 の怪物が顕れた。
信じられないほどの長身巨躯――百メートルはあろうかという巨大な焔の狼だ。頭に巻きあがる二本の角を戴いて、焔の入り混じる黒い長毛から、火の粉を撒き散らせている。
「コゥダリ」
ランティスは敵を見据えていった。それがあの火焔狼の名前なのだろうか?
敵 の姿を認めたらしく、八つの臙脂 色の瞳孔が爛と赫 き、焔の毛皮は烈しく燃えあがった。
「ひっ」
七海は掠れた悲鳴をあげると同時に、凍てつく冷たさで、心臓をぞっとさせた。
猛烈な熱に、滝のように汗が流れでる。これ以上近づいては、火炎熱波に炙られ、見るも無残に火膨れてしまうだろう。
「オオォォォオオォォォォォォォォ―――ッ!!!」
火焔狼 は腹に響く咆哮をあげた。
鼻に皺を寄せ、唇をまくりあげて、凶器のように鋭い牙を剥きだしにして、その隙間から焔の吐息をこぼしている。
七海は巨体に圧倒され、恐怖し、全身の肌を総毛立たせながら、一言も発することができなかった。
だがランティスは、毅然と前を向いて、恐ろしい魔物に近づいていこうとした。
「ランティスさんっ」
思わず七海は、彼の腕を掴んだ。
「逃げなきゃ!」
七海は真剣に訴えた。
しかしランティスは頸を振り、待っていなさい、というように後方を指さした。
「ナナミ。リセトバ*********、リセトバ!」
緊張を帯びた口調で、いつにない鋭さでいい放つ。
「何?鮭 とば!?」
困惑しながら、七海は必死にランティスを見つめた。
「ランティスさん、早く逃げましょう!」
渦巻く熱波が七海の感覚を燃えたたせた。全身からアドレナリンが噴きだして、心臓が大音量で鳴り響いている。
「ナナミ! リセトバ!」
七海はパニックに陥りながら、ともかく後方の壁際に寄った。
次の瞬間、朱金の火雨 が頭上から降り注いで、七海は腕で頭をかばった。
「うぁっ!」
死を予感したが、大気の歪みに跳ね返された。
驚いて目を凝らすと、淡い虹色が燦 めいた。まるで不可視の膜に守られているみたいだ。ランティスを見やると、彼も七海を見ていた。
「******」
恐らく、そこにいなさい、といわれている。ここにいれば、彼の魔法が護ってくれるから。
七海は両手を胸の前で組み、言葉にならぬ思いを伝えようとした。
(お願い、死なないで)
ランティスは一つ頷いて、再び敵に向きあうと、杖を掲げた。
水晶のように澄んだ音色と共に、神秘の紋様が宙に顕れる。
魔法円は朱金に燃えあがり、力ある文字が浮きあがった。光が錯綜 し、弾丸のような威力をもって、怪物に襲いかかる。
「グウゥゥゥゥワァァァァ――ッ!」
怪物は黒く長大な舌を、大きく開いた口からだらりとこぼし、呪詛めいた呻きともつかぬ唸り声を発した。
焔を撒き散らして威嚇するが、ランティスは光速移動したかのように怪物の死角に顕れ、杖をさし向ける。
魔法の発露を告げる、氷結音。
迸 る青白い閃光から、無数の鋭利な氷柱 が顕れ、怪物の巨体に再三再四、突き刺さった。
怪物の血なのか、躰から溶岩のような瀝青 のような、嚇 と燃える赤黒い液体が溢れでる。
「オォォォォグオォォォォッ!!」
耳を聾 する、憤怒の雄叫び。
空気がびりびりと振動して、七海は両手で耳を塞ぎ、死にそうな思いでランティスを見つめた。
無理だ。
あんな化け物、倒せるはずがない。このままでは彼が殺されてしまう!
大槌のような前脚がふりおろされ、ランティスを叩き潰さんとするが、彼はまたしても光速で移動した。全く別の場所に顕れ、氷の鋭刀 を放つ。
人智を越えた魔法攻撃は凄まじいが、火焔狼 は流血しながらも、いささかも衰える気配がない。
俊敏且 つ兇悪な猛攻。煉獄 の焔と鋭い爪を自在に操り、足場や遺跡を撃砕 していく。
瞬きすら赦されない激闘。
ランティスは悪魔の凶暴性に怯むことも捕まることもなく、空隙 を衝 いて、神秘の杖を揮 った。
放たれる必殺の一撃――青白く貫く雷霆 の凄まじい火柱が横薙ぎに怪物を襲い、胴をまっぷたつに切り裂いた。
「グウゥゥゥゥワァァァァ……ッ!」
身の毛も弥立 つ断末魔が響き渡る。
ぐらりと巨体は歪に傾 いで、自らの黒い血の海に倒れ伏した。
勝敗は決した。
ダビデが巨人のゴリアテを倒したように、ランティスはこの信じられないほどの怪物を倒してしまったのだ。
自らの焔に飲みこまれて黒炭化した死骸は、悪鬼たちと同じように、粉々になって大気に溶け消えた。
(信じられない……倒しちゃった。ランティスさんって何者?)
七海は、あいた口が塞がらなかった。
近づいていいものか判らず、ランティスの背中をじっと見ていると、彼は遺骸の消えた場所に屈みこみ、なにかを拾う仕草をした。一瞬、きらっと金色の輝きが見えた気がした。
固唾を呑んで見守っていた七海は、彼が立ちあがり、こちらを振り向いた途端に走りだした。
「ランティスさん!」
駆け寄りながら叫ぶと、ランティスも軽く手をあげて応えた。たった今の激闘が嘘のように、悠然とした足取りで七海の方へ歩いてくる。
「どこも怪我していませんか? 歩いて平気なんですか?」
傍にやってきた七海は、ランティスの全身に視線を走らせながら訊ねた。
「****……」
どうやら怪我はなさそうだが、声には疲労が滲んでいた。無理もない。獅子奮迅 の戦いぶりだったのだ。
彼は腕を伸ばすと、掌のなかにあるものを七海に見せた。
「綺麗……」
直径五センチほどの円型の黄金に、古代を思わせる聖刻文字 が意匠されている。
「あっ、これ……」
見覚えがある。精神感応 で視た黄金と同じだ。
「*****、**********……」
ランティスの手のなかにある黄金が、宙に浮かびあがる。そのまま、ふぅっと消えた。
「色々と、どこにしまっているんですか?」
思わず七海はランティスの背後を覗きこもうとしたが、背中に腕を回されて、歩くように促された。
霞のせいで視界は悪いが、奥に大きな扉の影が見える。
あれだけの戦闘をやってのけた後で、彼が興奮した様子もなく、驕り高ぶることもなく、変わらぬ泰然とした態度を保っていることに、七海は密かに畏敬の念を覚えた。
(いつもあんな怪物と戦っているのかな……怖くないのかな……)
石床に深く刻まれた破壊の跡を見て、改めて戦闘の凄まじさに身震いした。
超常の力も然 ることながら、精神力も尋常ではない。彼と同じ力を持っていたとしても、七海なら怪物に秒殺されていただろう。
遠目にも大きいと感じた扉は、いざ目の前にやってくると、巨大さに圧倒されるほどだった。
扉を支える蝶番 は鞄ほどもある大きさで、七海の頭の横に並んでいる。
両開きの灰白の扉には、大樹と、その傍らで憩う一角獣 の重厚な浮き彫りが施されている。
ようやくこの部屋からでられるという期待の一方で、この先には何があるのだろうという、別の恐怖がもたげた。
(もうこれ以上は勘弁して……)
疲労困憊の極地で、目には見えぬ重りが肩に乗っているかのように感じる。
そもそも、これほど巨大な扉をどうやって開くのだろう?
疑問が頭をかすめた時、壁の内部で、盛大に蒸気が放出される音が響いた。
重たい扉がゆっくりとこちらへ開き始め、驚くべき世界がその向こうに拡がっていた。
向こう側にも階段は続いており、ただ扉だけがぽつんと佇んでいる。
「何この扉……」
「****」
その怪しさ満点な扉を、ランティスは躊躇なく開いた。すると想像とは違って、扉を開いた先に全く別の景観――暗闇が覗いていた。
ますます怪しい扉に、ランティスが脚を踏み入れようとするので、
「ちょ、ちょっと、ランティスさんっ」
七海は慌てて、ランティスの外套を掴んだ。彼はちらと視線をよこしたものの、構わずに脚を踏み入れた。
「えぇ~……いくんですかぁ?」
世にも情けない声で七海はいった。飛びこむ決心がつかず、その場で足踏みしていると、ランティスに腕を掴まれた。
「わわ、ちょっと!」
問答無用で引っ張りこまれた。
扉の向こうに全身が入った瞬間、たった今くぐり抜けてきたはずの扉が、跡形もなく消え失せた。
前にも後ろにも、ただただ暗闇が拡がっている。
「ランティスさん~~っ」
不安げな七海の肩を抱き寄せ、ランティスは歩いていく。
「怖いよぅ、いきたくないよぅ……」
もはや涙声だが、彼に立ち止まる気はないらしい。この先に何があるのか知っているかのように、足取りに迷いがない。
やがて彼が立ち止まると、七海は身構えた。固唾を飲んで見守っていると、足元に朱金に
「何っ!?」
七海は、思わずランティスにしがみついた。
青い鬼火が連鎖的に円を描くように灯されていき、辺りは急に明るんだ。
かなり広い空間のようだが、碧白い靄が漂っていて、上も左右もはっきり見透せない。
恐怖の序曲が始まった。
不気味な地鳴りと共に、灰白の床に浮きあがった魔法陣と文字は、縦横無尽に朱金を走らせていく。その中央には、苦悶の表情の怪物――巻きあがる二本の角を戴く狼――が今にも動きだしそうな禍々しさで浮き彫りにされている。
地面が唸った。
表面を覆う灰色の石が
「ひゃッ」
割れた地面の下、灼熱の溶岩のなかから、とてつもなく危険な何かが顕れようとしている。
黒煙と金粉を煽った火の粉とが、この世の終わりとばかりに舞い狂うなか、
信じられないほどの長身巨躯――百メートルはあろうかという巨大な焔の狼だ。頭に巻きあがる二本の角を戴いて、焔の入り混じる黒い長毛から、火の粉を撒き散らせている。
「コゥダリ」
ランティスは敵を見据えていった。それがあの火焔狼の名前なのだろうか?
「ひっ」
七海は掠れた悲鳴をあげると同時に、凍てつく冷たさで、心臓をぞっとさせた。
猛烈な熱に、滝のように汗が流れでる。これ以上近づいては、火炎熱波に炙られ、見るも無残に火膨れてしまうだろう。
「オオォォォオオォォォォォォォォ―――ッ!!!」
鼻に皺を寄せ、唇をまくりあげて、凶器のように鋭い牙を剥きだしにして、その隙間から焔の吐息をこぼしている。
七海は巨体に圧倒され、恐怖し、全身の肌を総毛立たせながら、一言も発することができなかった。
だがランティスは、毅然と前を向いて、恐ろしい魔物に近づいていこうとした。
「ランティスさんっ」
思わず七海は、彼の腕を掴んだ。
「逃げなきゃ!」
七海は真剣に訴えた。
しかしランティスは頸を振り、待っていなさい、というように後方を指さした。
「ナナミ。リセトバ*********、リセトバ!」
緊張を帯びた口調で、いつにない鋭さでいい放つ。
「何?
困惑しながら、七海は必死にランティスを見つめた。
「ランティスさん、早く逃げましょう!」
渦巻く熱波が七海の感覚を燃えたたせた。全身からアドレナリンが噴きだして、心臓が大音量で鳴り響いている。
「ナナミ! リセトバ!」
七海はパニックに陥りながら、ともかく後方の壁際に寄った。
次の瞬間、朱金の
「うぁっ!」
死を予感したが、大気の歪みに跳ね返された。
驚いて目を凝らすと、淡い虹色が
「******」
恐らく、そこにいなさい、といわれている。ここにいれば、彼の魔法が護ってくれるから。
七海は両手を胸の前で組み、言葉にならぬ思いを伝えようとした。
(お願い、死なないで)
ランティスは一つ頷いて、再び敵に向きあうと、杖を掲げた。
水晶のように澄んだ音色と共に、神秘の紋様が宙に顕れる。
魔法円は朱金に燃えあがり、力ある文字が浮きあがった。光が
「グウゥゥゥゥワァァァァ――ッ!」
怪物は黒く長大な舌を、大きく開いた口からだらりとこぼし、呪詛めいた呻きともつかぬ唸り声を発した。
焔を撒き散らして威嚇するが、ランティスは光速移動したかのように怪物の死角に顕れ、杖をさし向ける。
魔法の発露を告げる、氷結音。
怪物の血なのか、躰から溶岩のような
「オォォォォグオォォォォッ!!」
耳を
空気がびりびりと振動して、七海は両手で耳を塞ぎ、死にそうな思いでランティスを見つめた。
無理だ。
あんな化け物、倒せるはずがない。このままでは彼が殺されてしまう!
大槌のような前脚がふりおろされ、ランティスを叩き潰さんとするが、彼はまたしても光速で移動した。全く別の場所に顕れ、氷の
人智を越えた魔法攻撃は凄まじいが、
俊敏
瞬きすら赦されない激闘。
ランティスは悪魔の凶暴性に怯むことも捕まることもなく、
放たれる必殺の一撃――青白く貫く
「グウゥゥゥゥワァァァァ……ッ!」
身の毛も
ぐらりと巨体は歪に
勝敗は決した。
ダビデが巨人のゴリアテを倒したように、ランティスはこの信じられないほどの怪物を倒してしまったのだ。
自らの焔に飲みこまれて黒炭化した死骸は、悪鬼たちと同じように、粉々になって大気に溶け消えた。
(信じられない……倒しちゃった。ランティスさんって何者?)
七海は、あいた口が塞がらなかった。
近づいていいものか判らず、ランティスの背中をじっと見ていると、彼は遺骸の消えた場所に屈みこみ、なにかを拾う仕草をした。一瞬、きらっと金色の輝きが見えた気がした。
固唾を呑んで見守っていた七海は、彼が立ちあがり、こちらを振り向いた途端に走りだした。
「ランティスさん!」
駆け寄りながら叫ぶと、ランティスも軽く手をあげて応えた。たった今の激闘が嘘のように、悠然とした足取りで七海の方へ歩いてくる。
「どこも怪我していませんか? 歩いて平気なんですか?」
傍にやってきた七海は、ランティスの全身に視線を走らせながら訊ねた。
「****……」
どうやら怪我はなさそうだが、声には疲労が滲んでいた。無理もない。
彼は腕を伸ばすと、掌のなかにあるものを七海に見せた。
「綺麗……」
直径五センチほどの円型の黄金に、古代を思わせる
「あっ、これ……」
見覚えがある。
「*****、**********……」
ランティスの手のなかにある黄金が、宙に浮かびあがる。そのまま、ふぅっと消えた。
「色々と、どこにしまっているんですか?」
思わず七海はランティスの背後を覗きこもうとしたが、背中に腕を回されて、歩くように促された。
霞のせいで視界は悪いが、奥に大きな扉の影が見える。
あれだけの戦闘をやってのけた後で、彼が興奮した様子もなく、驕り高ぶることもなく、変わらぬ泰然とした態度を保っていることに、七海は密かに畏敬の念を覚えた。
(いつもあんな怪物と戦っているのかな……怖くないのかな……)
石床に深く刻まれた破壊の跡を見て、改めて戦闘の凄まじさに身震いした。
超常の力も
遠目にも大きいと感じた扉は、いざ目の前にやってくると、巨大さに圧倒されるほどだった。
扉を支える
両開きの灰白の扉には、大樹と、その傍らで憩う
ようやくこの部屋からでられるという期待の一方で、この先には何があるのだろうという、別の恐怖がもたげた。
(もうこれ以上は勘弁して……)
疲労困憊の極地で、目には見えぬ重りが肩に乗っているかのように感じる。
そもそも、これほど巨大な扉をどうやって開くのだろう?
疑問が頭をかすめた時、壁の内部で、盛大に蒸気が放出される音が響いた。
重たい扉がゆっくりとこちらへ開き始め、驚くべき世界がその向こうに拡がっていた。