COCA・GANG・STAR
3章:C9H - 4 -
意識が戻った時、視界に灰色の壁が映った。
「うっ!?」
身じろごうとして、身体が拘束されていることに気付いた。頑丈な紐で、椅子ごと縛られている。足も椅子の脚に固定されていて、少しも動かせない。
(ここは、どこなんだ?)
冷光灯に照らされた、無機質な四角い部屋だ。誰もいない。物音も聞えない。配線がむき出しの天井から、鎖のついた手錠が垂れている。
突然、部屋の扉が開いた。
硬質な足音を響かせて、眞鍋が入ってきた。その後ろから、
「杏里ッ!?」
武装した男達は、暴れる楠を引きずり、天井から垂れ下がった手錠に両腕を固定した。
「ン――ッ」
楠は必死に暴れているが、両腕を上げた状態で戒められ、身動きが取れない。口をテープで塞がれていて、声も奪われている状態だ。
「おいッ! どうする気だよ!?」
「ハロー、優輝ちゃん」
楠を拘束し終えると、眞鍋は優輝を振り返った。両腕を広げて、親しげに笑いかける。傍までやってくると、腰を曲げて顔を近付けた。
アンフェタミン系の甘ったるい匂いが、ぷんと漂った。傍にいるだけで、頭が可笑しくなりそうだ。
「彼氏は元気にしてる?」
「はっ?」
「木下遊貴の女なんだろ?」
絶句する優輝を見下ろして、眞鍋は酷薄な笑みを口元に刻んだ。
「痛い思いをしたくなけりゃ、大人しく彼氏に電話しな。助けてー、ってかわいくお願いしてみろよ。ホモ野郎」
携帯を頬に押し当てられ、優輝は鬱陶しそうに顔を背けた。
「ふざけんなよ、てめぇッ」
「いっておくけど、生意気な態度を取ってると、死ぬよ? マジで」
武装した男の一人が、眞鍋に鈍色のバットを手渡した。無言で受け取ると、震え上がる優輝を無視して、楠の傍へ寄った。調子を整えるように、コンコンと床を叩く。
「おい……」
恐ろしい予感がする。楠も蒼白な顔で、必死にもがいている。手錠はガチャガチャと音を立てるばかりで、楠を離そうとしない。
「下手打ったなぁ、楠。目を掛けてやったのによ。
「お、おいッ! 杏里を離せよッ!!」
眞鍋は優輝を振り返ると、にんまり笑った。優輝の身体に戦慄が走る。
「優しいね、優輝ちゃん。こんな奴でも心配?」
「やめろよ……何する気だよ」
「おい。優輝ちゃんの縄を解いてやれ」
その一言で、優輝の戒めは解かれた。血流が一気に身体を巡り、ふわりと軽くなる。椅子から立ち上っても、誰も止めようとしない。
呆然と立ち尽くす優輝の前で、眞鍋は素振りを始めた。
ブンッと、風を切る音がする。
素振りをやめると、眞鍋は無造作に腰のホルターから抜いた自動拳銃――イスラエル製のデザートイーグル五〇AEを、優輝の足元に滑らせた。
「度胸があるなら、そこから撃ってみろよ」
「え……」
「ただし、一歩でも動いたら撃つぜ」
周囲の男達は、無言で優輝を照準した。
「カウントダウンだ。五秒数えたら、楠の頭を、スイカみたいにかち割るぜ」
狂気の沙汰だ。
唖然とする優輝の前で、眞鍋は大きな声で、イーチ、と叫んだ。吊るされた楠は目を見開き、優輝を見た。
「ンン――ッ!!」
「え、嘘だろ?」
カウントダウンは続く。
ニーィ、サーン――……震える手で、拳銃を拾った。
当然だが、優輝は拳銃の扱いを知らない。へっぴり腰で、震える腕から今にも取りこぼしそうだ。
「ゴーォ――」
心臓が破裂しそうだ。極限の精神状態で、眞鍋に照準した。
ブンッ、風を切ってバットは弧を描いた。
「ヒットォ――ッ!!」
「やめろぉ――ッ!!」
天井に向けて、引き金を引いた。
「うわぁぁッ!?」
銃声が鼓膜を震わすことはなく、優輝の眼の前で、楠の頭は、おかしな方向にねじ曲がった。
(狂ってる! 狂ってる! 狂ってる!!)
頭の螺子が、ぶっ飛んでいるとしか思えない。普通、人の頭を狙ってフルスイングできるか? バットで!?
楠は、腕を吊るされた状態で、だらんと
血のついたバットを握ったまま、眞鍋は優輝を振り向いた。心の底から、優輝は震えあがった。
「く、くるな……」
絞り出した声は、無様に震えていた。
殺される。アイツを
「ばぁーか!」
盛大に狼狽える優輝を見て、眞鍋はげらげらと笑った。こうなることを、予期していた者の残酷な嗤いだった。
「スライドを引きもしねェで、それじゃ弾は出ないぜ」
がたがたと震える優輝を見て、眞鍋は気持ちの悪い笑顔を浮かべた。
「びびってんね? いいね、その顔……」
眼を見開く優輝を、武装した男達が後ろから羽交い絞めにした。零れ落ちた拳銃を、眞鍋はゆっくりとした動作で拾った。
「助けて……ッ」
情けない声が出た。眞鍋は優輝を見つめたまま、拳銃のスライドを滑らせた。カチリ。初弾が薬室に送り込まれる音が鳴った。
「震えちゃって、かわいそうに。上物、キメてみるか? 今すぐハッピーになれるぜ」
男の一人が、
「やめろッ!」
必死に暴れたが、鋼のような拘束はびくともしない。慄く優輝を見下ろして、眞鍋は不気味に笑った。
「心配すんなよ、俺うまいから」
「嘘だろッ!? 嫌だ嫌だ嫌だッ!!」
「もう一回聞いてやるよ。今すぐ、木下遊貴を呼び出せたら、お前を家に帰してやる」
拘束されたまま、無機質なメタルカラーの携帯を握らされた。持ち主は不明だが、アドレス帳には、遊貴の番号だけが登録されていた。
「木下遊貴に電話しな。あんな風になりたくねェだろ?」
ぴくとりとも動かない楠を見て、優輝は涙を流した。
選択肢なんてない……歯が鳴りそうな恐怖を堪えて、携帯を操作した。遊貴の番号にかけると、すぐに通話に切り替わった。
『優輝ちゃん!』
「遊貴ッ」
『判ってる。すぐにいくから』
「ッ、俺、眞鍋に捕まって、あ、杏里が、血流してて……ッ」
『大丈夫だよ。絶対、助けるって約束する。いい子で待っていて』
声を聞いただけで、感情は嵐のように揺さぶられた――今すぐ、遊貴の傍にいきたいッ!
更に状況を伝えようとしたら、眞鍋に電話を取り上げられた。
「判った? 優輝ちゃんを無事に返して欲しかったら、武器を捨てて投降しろ。サツに垂れこんだら、かわいい優輝ちゃんをリンチした上で
通話を終えると、眞鍋は機嫌良さそうに、優輝を見下ろした。
「ブチ切れてたぜ、木下遊貴。マジでお前のことが大切みてェだな。酔狂な野郎だぜ」
涙に濡れた眼で、優輝は睨み上げた。
「……何が目的なんだよ?」
「ぶっ殺すんだよ。木下遊貴を殺れば、俺も北城組の幹部だ」
この男ならやりかねない。蒼白な顔で、優輝は喉を鳴らした。
「そんなことをして、只で済むわけ、ない」
「上等だよ。十代なら、刑期明けんのも早ェしな?」
人を殺すことなんて、どうとも思っていなさそうな顔で、眞鍋はへらりと笑った。