COCA・GANG・STAR

2章:ビバイル - 3 -


 六月の終わり。
 しとしと降る優しい雨音を聴きながら、優輝はぼうっと頬杖をついていた。
 楠とは、三日と開けずにLINEで会話しているが、今のところ特に変化はない。ビバイルに入ったと聞いた時は慌てたが、日が経つにつれて、焦燥感は和らいでいった。

「眠いの、ユッキー?」

 前の席の竹内に声をかけられて、優輝は眼を瞬いた。

「いや、平和だなぁと思って」

 束の間の休憩を、クラスメート達は思い思いに過ごしている。
 寝ている者、復習している者、弁当を広げる者、友達と喋っている者……
 いじめもないし、ビバイルの人間もいない。居心地の良いクラスだと思う。
 ジャニーズ好きの女子が大半だが、アニメや漫画好きも多くて、優輝とも話が合う。可愛い眼鏡っ娘もいて目の保養だ。
 男子も気の合う奴が多い。多少の裏表、八方美人はいても、弱い者をなぶる根っからの悪人はいない。

「その平和も、今日で終わりかもよ」

「なんで?」

「三年の黒田恭平が復学したんだよ。朝から、閃光とビバイルの人間がやり合ってたんだぜ。見なかった?」

 いわれてみれば、朝、昇降口に人だかりができていた。妙にピリピリしていたのはそのせいか。

「木下いる?」

 噂をすれば影。黒田恭平が教室の外に立っていた。

「やべぇ……」

 誰かが、呆けたように呟いた。ざわめいていた教室は、一瞬で静まりかえった。
 黒田は長身で、長めの黒髪のサイドに、青メッシュを入れている。ポケットに手を突っ込み、面白くもなさそう顔で突っ立っている。端正な顔立ちをしているが、非常に近寄り難い。

「久しぶり、黒田」

 クラス全員が固唾を呑んで見守る中、遊貴は鷹揚に手を上げて応えた。

「ちょっといいか?」

 タメ口を指摘するでもなく、黒田は顎をしゃくった。
 間もなく授業が始まるというのに、二人は堂々と教室を出て、どこかへ消えた。

「……あの二人、知り合いなのかな?」

 竹内の呟きに、さぁ、と優輝は応えた。これまで遊貴の口から聞いたことはないし、並んで歩く姿を見たのも今日が初めてだ。
 どんな関係なのだろう?
 アオコーにもビバイルの構成員はいる。
 黒田恭平は“閃光”と呼ばれる不良グループの総代で、ビバイルとは睨み合いの状態だ。噂では、ビバイルの幹部が黒田恭平を勧誘したけど、彼は断ったらしい。
 ちなみに、遊貴はどちらにも属していない。停戦を兼ねてビバイルの勧誘があったと本人の口から聞いたが、はっきり断ったらしい。
 アオコーの最大勢力は、いわずもがな、末端含めて三〇〇〇人を従えるビバイルだが、彼等がナンバー・ワンを名乗ることは許されない。
 五十名余で構成されるものの、少数精鋭を誇る黒田恭平の率いる閃光と、C9Hをバックに持つ木下遊貴の存在があるからだ。
 この絶妙なパワー・バランスは渋谷近郊の注目の的で、まさに群雄割拠のアオコー制覇を誰が成し遂げるか、賭けの対象になっているくらいだ。

 放課後になっても、遊貴は戻ってこなかった。
 かと思えば、昇降口で女子に囲まれていた。相変わらず人気者だ。強請られるままに、お手軽なキスをしている。
 現場を見てしまった優輝は、胸がむかむかしてくるのを感じた。妙に腹立たしくて、無言で遊貴の前を素通りした。

「優輝ちゃん」

 振り向くと、綺麗な笑みを浮かべて遊貴がやってきた。

「帰るところ?」

 不機嫌そうに優輝が応えても、遊貴はお構いなく、優輝の腰を引き寄せようとする。横腹にパンチをお見舞いしようとすると、笑いながら躱された。

「送るよ」

「いいよ。電車で帰る」

「遠慮しなくていいのに」

「いや、いいから」

「そう? じゃあ、俺も途中まで一緒にいこうかな」

 並んで歩き出そうとする様子を見て、優輝は足を止めた。衝動的な不快感を抑えきれず、睨むように長身を仰いだ。

「ああいうのやめなよ」

 平坦な口調で告げると、遊貴は不思議そうに首を傾げた。

「ああいうのって?」

「……所構わず、キスするなよ」

「嫉妬?」

「はぁ?」

 イラッときて、綺麗な顔をめつけた。冷たい視線に怯むことなく、遊貴は嬉しそうに菫色の瞳を細めた。

「ペテン師にキスをされたら、歯が何本残っているか数えた方がいい」

「はぁ?」

「今まで平気だったんだけどな……without conscience良心の呵責を感じずwithout guilty罪悪感を感じず

 彼の言葉は時々、芝居がかっていて判り辛い。しかめ面を浮かべる優輝の眉間を、遊貴は人差し指で突いた。

「何だよ」

 煩げに指を払うと、紫の瞳を和ませて甘く微笑する。

「判ったよ。適当なキスは、もうしない」

 そう言った傍から、端正な顔を寄せて、素早く優輝の唇にキスをした。

「おいッ!!」

「今のは、適当なキスじゃないよ」

 耳朶に囁かれて、優輝の頬はカッと熱くなった。
 誰かに見られやしなかったか、周囲に視線を走らせながら、心臓はおかしいほど高鳴っている。
 悔しいが、遊貴に夢中になる女の子の気持ちが判る。
 ほほえみ一つで、男の優輝ですらドキドキしてしまうのだ。甘い言葉を嬉しく思うなんて、どうかしている!

「……遊貴って、黒田先輩と知り合いなの?」

 迷想に蓋をして訊ねると、遊貴は曖昧に頷いた。

「家の付き合いで、ちょっとね」

「家って? 黒田先輩もセレブなの?」

「黒田の家は、極道だよ」

「えっ!?」

 勢いよく顔を上げる優輝を、遊貴は意外そうに見つめた。

「知らないの? 三合会にも通じている、有名な指定広域暴力団だよ。黒田恭平は、黒田組三代目、黒田義男の息子だよ」

「ヤクザかよ!」

「ビバイルと喧嘩ばかりしている、問題児だよ。危ないから、近付かない方がいい」

 そういう自分はどうなのだ?
 胡乱げに隣を見上げたが、遊貴は機嫌良さそうに、Fall Out Boyを口ずさみ始めた。
 高校生になってから、否。遊貴と出会ってから、悪名ばかり耳に入ってくる気がするのは、決して気のせいではないだろう……