アッサラーム夜想曲
聖域の贄 - 24 -
五月五日。
濃い狭霧が漂うなか、合同供犠はしめやかに執り行われた。
参列者は失踪人の関係者に限られ、百名あまりが集まった。
青褪めた太陽のした清浄の焚火が燃やされ、葡萄酒に黒苺、斬り落とされた鶏頭とその生き血、豊穣の五穀が供物に捧げられた。
祭壇の前で祈祷師 が祈り文句を暗誦 すると、その黄昏のようにひっそりとした声に耳を澄ませながら、人々は讃嘆の思いで手を組み、祈りを捧げた。
薪の爆 ぜる音にまじって、誰かの啜り泣く声が幽 かに聴こていた。
前夜から警護に就いていた憲兵は、任務を終えて本部に戻る頃には憔悴しきっていた。目は充血して殺気立っているように見えるが、ジュリアスが部屋に入ってくると、目に活力を灯して居住まいを正した。
彼には人を従える魅力がある。あまりに強くて圧倒されるほどの――そう思いながら、ハイラートは一歩前に進みでた。
「報告いたします。本日の供犠は恙 なく夕刻に終了しました。参列者の多くは重工業組合関係者で、他には療養所や商業組合の関係者もきておりました」
ジュリアスは頷きながら、ナディアから渡された一覧を素早く一瞥した。オセロ石切場、マルタイ納材会社、カタリナ精機製作所、大カレル・ガレン屑鉄会社……そのほか大小様々の商業者の名が連なっている。
「大カレル・ガレン屑鉄会社の関係者は誰がきていましたか?」
二名の失踪届をだしておきながら、実際は十五名もの債務奴隷の事故死及び失踪を隠蔽していた会社である。総責任者のハムラホビトは七日前から失踪しており、現在は憲兵の監視のもと、副社長が運営している。
「副社長と現場責任者、事故死した従業員の遺族、失踪人の家族が列席しておりました」
ハイラートが答えた。
「現場責任者の詳細は判りますか?」
「はい。いずれも失踪した従業員のいる部署監督で、配送部門、廃棄部門、粉砕部門、溶解高炉部門の責任者四名になります」
「事故死は、粉砕作業場の従業員のみでしたね」
「はい。事故死の三名を除いた十二名は、いずれも不可解な失踪をしております」
「一月二〇日以降に失踪者はいないという情報は、今でも変わりありませんか?」
「変わりありません。その点は、弁護士も必死に弁明しておりましたよ」
沈黙が流れると、控えめにサンジャルが進みでた。
「すみません、療養所の件で報告してもよろしいでしょか?」
「何ですか?」
ジュリアスが視線を向けると、ご覧ください、とサンジャルは麻にくるまれた鋏を取りだしてみせた。
魔を祓う水晶が一緒にくるまれていることも奇妙だが、何より、その鋏にジュリアスは見覚えがあった。
「例の花切り鋏にお間違いありませんか?」
「ええ、療養所の鏡に映っていたものです。これをどこで?」
「看護婦長カルメンの私物だそうで、今朝、彼女の寝室で発見されました」
「彼女は今どこにいるのですか?」
「それが、今朝から行方が判らなくなっているそうです。昼を過ぎても起きてこないので、不審に思った修道女が彼女の部屋を訪ねて、失踪 かもしれないと憲兵に連絡を入れた次第です」
「検魂鑑識は手配しましたか?」
「はい、既に結果もでております。自ら頸を突き刺して失血死したのだろうと……」
サンジャルは緊張したように背筋を伸ばし、真相を看破したといわんばかりに、こう続けた。
「以前、彼女に花切り鋏について訊いた時は、知らないと答えました。嘘をついたのは、何か疚しいことがあったからではありませんか?」
ジュリアスはじっと鋏を見たまま、思案げに沈黙した。ややして顔をあげると、
「彼女も 鋏に憑かれていたのでしょう」
「鋏に?」
不可解といった顔つきで鸚鵡返しに訊ねるサンジャルを見て、ジュリアスは豁然 と頷いた。
「すぐに大カレル・ガレン屑鉄会社に向かいます。ヤシュム、ハイラート、それからサンジャルも一緒にきてください」
「今からですか?」
ぎょっとしたようにいうヤシュムを、ジュリアスは冷静に見つめ返した。
「まだ人は残っているでしょう。時間がないので急ぎましょう」
反駁 する者はおらず、全員の顔が引き緊 まった。
本部をでると、冷たい小雨が降っており、分厚い雲が星明りを隠していた。
防水衣もまとわず、ジュリアスたちは雨の襞 のなかへ溶けこんだ。
遠くから雷鳴が聴こえている。
夜更けで通りは空いており、速度をあげて馬を走らせた。
濡れた敷石に蹄鉄の音が響くと、梢に停まっていた烏は、何か不吉な徴 を告げるかのように啼きながら、一条の鎖となって羽撃 いていった。
間もなく目的地に到着すると、監視に就いている憲兵から先触れを受けた副社長が、緊張した様子で出迎えた。
「これはこれは……一体、どのような御用でしょうか?」
「夜分にすみませんが、粉砕機事故の起きた現場を見せてください」
「えっ? 本日の稼働は既に終了しておりますが……」
戸惑ったように聞き返す副社長の顔を、ジュリアスは冷静に見つめ返した。
「構いません」
「はぁ……では、詳しい者に案内させます」
副社長はいぶかしげな表情をしていたが、藍染の作業衣を纏った四十路の男を呼びつけた。
「粉砕現場の責任者を務めている、ベドと申します」
太い眉のしたから、意思の強そうな灰色の眸が警戒したようにジュリアスを見た。
「我々は今、聖都憲兵隊として失踪事件の捜査をしています。急ですみませんが、事故の起きた粉砕場を見せていただけますか?」
「事故ですか?」
「一月十日に粉砕機で三名が死亡したそうですね」
「確かにそうですが……何をお調べになりたいのですか?」
男は灰色の眸で、戸惑ったようにジュリアスを見つめ返した。
「見てみないことには判りませんが、検魂鑑識が必要になるかもしれません」
「検魂鑑識? しかし、死因は明らかなのでは……」
男は困惑げに副社長の顔を見やり、彼が頷くのを見て、再びジュリアスに視線を戻した。
「判りました。こちらへどうぞ」
強張った顔をしているが、それ以上疑問を唱えたりせず、先導して歩き始めた。
案内されたのは、広大な敷地の東にある工場で、銅で葺 かれたごく傾斜の緩い屋根から、雨滴がこぼれ落ちている。
なかへ入ると、焦げた鉄錆のような匂いがした。
「狭いので、足元に気をつけてください」
幅の狭い階段を上っていくと、吹き抜けの広大な空間にでた。
眼下には、鋼鉄を噛み砕く黒々とした大穴がぽっかり口を開けている。どこか魔物めいており、広々とした空間であるにも関わらず、息苦しく圧迫されるように感じられた。
「制御台の左右にある把手を、ふたりが同時に引くことで粉砕機の蓋は閉じます。あの日、蓋の開閉に不具合があり、調査していた三名が不運にも落下しました」
男の説明を聞いて、ハイラートは恐る恐る、制御台の細い通路から、冥界 をのぞきこむがごとく、鋼鉄の大穴を眺めおろした。
ここは人外魔境か――ぞっとするような鬼哭啾啾 、目には見えぬ霊の嘆き、或いは呪詛が、この空間に渦まいているかのようだ。
耳の奥で銅鑼が鳴り響いている。
奈落に人が転落し、鋼鉄と渾然一体に粉砕されたのだと思うと、奇怪千万 ――最も悍ましい事故死の一つに思えた。
黙りこくった面々を見て、ただならぬ異変を感じ取りながら現場責任者は、事件が起きた時に配置についていた作業員を呼びやった。
やってきた男は、何かに怯えた様子で、ジュリアスの目を見ようとしなかった。
「彼が制御台の担当者です。あの日のことを説明しなさい」
命じられた四十路の男は、恐る恐る顔をあげた。
「ぁ……俺、いえ私は……その……」
口ごもる男を見て、現場責任者のベドは眉を潜めた。
「きちんと説明せんか」
作業員の男はぐっと顔を渋面に歪め、観念したようにくちを開いた。
「すみません、俺のせいなんです。なんであんなことをしてしまったのか、まったくもって俺のせいなんです」
「おい、俺のせいとはどういうことだ?」
ベドがいぶかし気に訊ねる。
気の弱そうな作業員は両手で顔を覆い、しぼりだしたような呻き声を発した。それからぽつぽつと、懺悔するように、事件が起きた日の真実を話し始めた。
彼の話によれば、
鉄板蓋を閉じるために制御台の左右にある把手を、ふたりが同時に掴む必要があるところ、その日は把手の調子が悪くて、なかなか作動しなかった。
相方が制御台を降りて、ふたりの修理工と共に蓋の様子を見ている間、男は把手がおりないように見張っていた。すると、急に把手が軽くなるのを感じたという。はっとして反対側の把手を見れば、どうしたことか、ひとりでにおりていた。
これはまずい――そう思ってすぐに把手から手を離そうとしたが、不意に頭が朦朧となって、気がつけば把手をさげていた。相方の悲鳴が聞こえた瞬間、我に返ったのだという。
蓋が閉じれば鋼鉄の粉砕が始まる。すぐに把手を戻そうとしたが、ふたり同時に行わなければ叶わず、ようやく人がやってきた時には遅かった……
「なぜ、さげてしまったのか……何者かが耳元で囁いて、気がつけば私の指は、その通りに動いておりました。私のせいで三人も犠牲に……どう償えば良いのか判りません。すみません……本当に申し訳ありません……どうか私を罰してください。殺してください……っ」
頭を垂れて嗚咽をこぼす姿は、哀れを極めた。落ち窪んだ目を見れば、彼が罪の意識に苛まれていることは一目瞭然だった。
現場責任者もすっかり青褪めてしまって、言葉を失っているようだ。ナディアがくずおれた男の肩に手を置いて、何か言葉をかけている。
「鉄 か……」
彼らの様子を漠然と眺めながら、ジュリアスは静かに呟いた。
「え?」
訊き返したヤシュムを見、それから泣き崩れている従業員を見て、ジュリアスは彼に訊ねた。
「粉砕事故の起きた後、その鉄 はどうなりましたか?」
「不純物 を取り除いて、溶鉱炉に回されました。この工場は製造も兼ねていますから」
答えたのは、従業員をなだめている現場責任者だ。己の推論に確信を得たジュリアスは、彼に命じた。
「至急、一年内の溶解物について調べてください」
「溶解物ですか?」
ヤシュムが怪訝そうに口を挟んだ。ジュリアスは彼を振り向いて、
「断頭台はここで粉砕され、高炉で溶解されたのではないでしょうか。呪われた鉄 として再生され、各所に納品されたのではありませんか?」
全員がはっと目を瞠った。
ほんの数秒、沈黙が流れて、次の瞬間、ハイラートが閃きの声を発した。
「ああ! 確かに。鋳物 屋、療養所の鋏、アーナトラ工房の鑿 ……いずれも鋼鉄高炉で再生された鉄 が原料かもしれないということですか」
ジュリアスは首肯すると、困惑げな責任者と従業員を見て、こういった。
「償 いを求めるのなら、ここで事故が起きた際に処理した鉄について、至急調べてください。溶解元、溶解後の納品先について、分かり次第報告してください」
ハイラートもサンジャルも頷きながら、思考の閃きに賛嘆せずにはいられなかった。粉砕機の事故死は、原因が明らかであるが故に、これまで五里霧中の失踪怪異と紐づけて考えたことがなかったのだ。
(なんてことだ。ここを何度となく訪れていながら、断頭台が解体再生される可能性を失念しているとは!)
愕然たる思いに囚われるハイラートの隣で、サンジャルもまた当惑したように口元を手で覆っていた。
悄然としている従業員たちの傍に、ジュリアスは屈みこんでいった。
「気の毒ですが、ここで起きた不運な事故は、アッサラームを脅かしている怪異に繋がっています。今すぐに稼働を止めてください。我々が許可するまで、誰もこの場に入れてはなりません」
現場責任者はひどく緊張した様子でいたが、気丈にもジュリアスの目をまっすぐに見つめ返した。
「それは、いかほどでございましょう?」
「先ずは溶解物と出荷先を明らかにしなければなりません。神殿に依頼して、然るべき祈祷も必要です。少なく見積もっても十日はかかるでしょう」
男は半ば諦念の浮いた顔で、頷いた。
黙って会話を聞いていたヤシュムは、思案気にジュリアスに訊ねた。
「クロガネ隊はどうされるのですか?」
「サイードに事情を説明して、私が指示するまで、新たな鉄 を仕入れないよう伝えてください」
「御意」
ヤシュムは答えたあと、こうつけ加えた。
「殿下はお気になさるでしょうね」
「仕方がありません。彼には、もうしばらく療養してもらいます」
この知らせはきっと、憂悶 に沈む光希を、さらに気落ちさせてしまうだろう。そう思うと、さしものジュリアスも心に気鬱が射すのだった。
濃い狭霧が漂うなか、合同供犠はしめやかに執り行われた。
参列者は失踪人の関係者に限られ、百名あまりが集まった。
青褪めた太陽のした清浄の焚火が燃やされ、葡萄酒に黒苺、斬り落とされた鶏頭とその生き血、豊穣の五穀が供物に捧げられた。
祭壇の前で
薪の
前夜から警護に就いていた憲兵は、任務を終えて本部に戻る頃には憔悴しきっていた。目は充血して殺気立っているように見えるが、ジュリアスが部屋に入ってくると、目に活力を灯して居住まいを正した。
彼には人を従える魅力がある。あまりに強くて圧倒されるほどの――そう思いながら、ハイラートは一歩前に進みでた。
「報告いたします。本日の供犠は
ジュリアスは頷きながら、ナディアから渡された一覧を素早く一瞥した。オセロ石切場、マルタイ納材会社、カタリナ精機製作所、大カレル・ガレン屑鉄会社……そのほか大小様々の商業者の名が連なっている。
「大カレル・ガレン屑鉄会社の関係者は誰がきていましたか?」
二名の失踪届をだしておきながら、実際は十五名もの債務奴隷の事故死及び失踪を隠蔽していた会社である。総責任者のハムラホビトは七日前から失踪しており、現在は憲兵の監視のもと、副社長が運営している。
「副社長と現場責任者、事故死した従業員の遺族、失踪人の家族が列席しておりました」
ハイラートが答えた。
「現場責任者の詳細は判りますか?」
「はい。いずれも失踪した従業員のいる部署監督で、配送部門、廃棄部門、粉砕部門、溶解高炉部門の責任者四名になります」
「事故死は、粉砕作業場の従業員のみでしたね」
「はい。事故死の三名を除いた十二名は、いずれも不可解な失踪をしております」
「一月二〇日以降に失踪者はいないという情報は、今でも変わりありませんか?」
「変わりありません。その点は、弁護士も必死に弁明しておりましたよ」
沈黙が流れると、控えめにサンジャルが進みでた。
「すみません、療養所の件で報告してもよろしいでしょか?」
「何ですか?」
ジュリアスが視線を向けると、ご覧ください、とサンジャルは麻にくるまれた鋏を取りだしてみせた。
魔を祓う水晶が一緒にくるまれていることも奇妙だが、何より、その鋏にジュリアスは見覚えがあった。
「例の花切り鋏にお間違いありませんか?」
「ええ、療養所の鏡に映っていたものです。これをどこで?」
「看護婦長カルメンの私物だそうで、今朝、彼女の寝室で発見されました」
「彼女は今どこにいるのですか?」
「それが、今朝から行方が判らなくなっているそうです。昼を過ぎても起きてこないので、不審に思った修道女が彼女の部屋を訪ねて、
「検魂鑑識は手配しましたか?」
「はい、既に結果もでております。自ら頸を突き刺して失血死したのだろうと……」
サンジャルは緊張したように背筋を伸ばし、真相を看破したといわんばかりに、こう続けた。
「以前、彼女に花切り鋏について訊いた時は、知らないと答えました。嘘をついたのは、何か疚しいことがあったからではありませんか?」
ジュリアスはじっと鋏を見たまま、思案げに沈黙した。ややして顔をあげると、
「彼女
「鋏に?」
不可解といった顔つきで鸚鵡返しに訊ねるサンジャルを見て、ジュリアスは
「すぐに大カレル・ガレン屑鉄会社に向かいます。ヤシュム、ハイラート、それからサンジャルも一緒にきてください」
「今からですか?」
ぎょっとしたようにいうヤシュムを、ジュリアスは冷静に見つめ返した。
「まだ人は残っているでしょう。時間がないので急ぎましょう」
本部をでると、冷たい小雨が降っており、分厚い雲が星明りを隠していた。
防水衣もまとわず、ジュリアスたちは雨の
遠くから雷鳴が聴こえている。
夜更けで通りは空いており、速度をあげて馬を走らせた。
濡れた敷石に蹄鉄の音が響くと、梢に停まっていた烏は、何か不吉な
間もなく目的地に到着すると、監視に就いている憲兵から先触れを受けた副社長が、緊張した様子で出迎えた。
「これはこれは……一体、どのような御用でしょうか?」
「夜分にすみませんが、粉砕機事故の起きた現場を見せてください」
「えっ? 本日の稼働は既に終了しておりますが……」
戸惑ったように聞き返す副社長の顔を、ジュリアスは冷静に見つめ返した。
「構いません」
「はぁ……では、詳しい者に案内させます」
副社長はいぶかしげな表情をしていたが、藍染の作業衣を纏った四十路の男を呼びつけた。
「粉砕現場の責任者を務めている、ベドと申します」
太い眉のしたから、意思の強そうな灰色の眸が警戒したようにジュリアスを見た。
「我々は今、聖都憲兵隊として失踪事件の捜査をしています。急ですみませんが、事故の起きた粉砕場を見せていただけますか?」
「事故ですか?」
「一月十日に粉砕機で三名が死亡したそうですね」
「確かにそうですが……何をお調べになりたいのですか?」
男は灰色の眸で、戸惑ったようにジュリアスを見つめ返した。
「見てみないことには判りませんが、検魂鑑識が必要になるかもしれません」
「検魂鑑識? しかし、死因は明らかなのでは……」
男は困惑げに副社長の顔を見やり、彼が頷くのを見て、再びジュリアスに視線を戻した。
「判りました。こちらへどうぞ」
強張った顔をしているが、それ以上疑問を唱えたりせず、先導して歩き始めた。
案内されたのは、広大な敷地の東にある工場で、銅で
なかへ入ると、焦げた鉄錆のような匂いがした。
「狭いので、足元に気をつけてください」
幅の狭い階段を上っていくと、吹き抜けの広大な空間にでた。
眼下には、鋼鉄を噛み砕く黒々とした大穴がぽっかり口を開けている。どこか魔物めいており、広々とした空間であるにも関わらず、息苦しく圧迫されるように感じられた。
「制御台の左右にある把手を、ふたりが同時に引くことで粉砕機の蓋は閉じます。あの日、蓋の開閉に不具合があり、調査していた三名が不運にも落下しました」
男の説明を聞いて、ハイラートは恐る恐る、制御台の細い通路から、
ここは人外魔境か――ぞっとするような
耳の奥で銅鑼が鳴り響いている。
奈落に人が転落し、鋼鉄と渾然一体に粉砕されたのだと思うと、奇怪
黙りこくった面々を見て、ただならぬ異変を感じ取りながら現場責任者は、事件が起きた時に配置についていた作業員を呼びやった。
やってきた男は、何かに怯えた様子で、ジュリアスの目を見ようとしなかった。
「彼が制御台の担当者です。あの日のことを説明しなさい」
命じられた四十路の男は、恐る恐る顔をあげた。
「ぁ……俺、いえ私は……その……」
口ごもる男を見て、現場責任者のベドは眉を潜めた。
「きちんと説明せんか」
作業員の男はぐっと顔を渋面に歪め、観念したようにくちを開いた。
「すみません、俺のせいなんです。なんであんなことをしてしまったのか、まったくもって俺のせいなんです」
「おい、俺のせいとはどういうことだ?」
ベドがいぶかし気に訊ねる。
気の弱そうな作業員は両手で顔を覆い、しぼりだしたような呻き声を発した。それからぽつぽつと、懺悔するように、事件が起きた日の真実を話し始めた。
彼の話によれば、
鉄板蓋を閉じるために制御台の左右にある把手を、ふたりが同時に掴む必要があるところ、その日は把手の調子が悪くて、なかなか作動しなかった。
相方が制御台を降りて、ふたりの修理工と共に蓋の様子を見ている間、男は把手がおりないように見張っていた。すると、急に把手が軽くなるのを感じたという。はっとして反対側の把手を見れば、どうしたことか、ひとりでにおりていた。
これはまずい――そう思ってすぐに把手から手を離そうとしたが、不意に頭が朦朧となって、気がつけば把手をさげていた。相方の悲鳴が聞こえた瞬間、我に返ったのだという。
蓋が閉じれば鋼鉄の粉砕が始まる。すぐに把手を戻そうとしたが、ふたり同時に行わなければ叶わず、ようやく人がやってきた時には遅かった……
「なぜ、さげてしまったのか……何者かが耳元で囁いて、気がつけば私の指は、その通りに動いておりました。私のせいで三人も犠牲に……どう償えば良いのか判りません。すみません……本当に申し訳ありません……どうか私を罰してください。殺してください……っ」
頭を垂れて嗚咽をこぼす姿は、哀れを極めた。落ち窪んだ目を見れば、彼が罪の意識に苛まれていることは一目瞭然だった。
現場責任者もすっかり青褪めてしまって、言葉を失っているようだ。ナディアがくずおれた男の肩に手を置いて、何か言葉をかけている。
「
彼らの様子を漠然と眺めながら、ジュリアスは静かに呟いた。
「え?」
訊き返したヤシュムを見、それから泣き崩れている従業員を見て、ジュリアスは彼に訊ねた。
「粉砕事故の起きた後、その
「
答えたのは、従業員をなだめている現場責任者だ。己の推論に確信を得たジュリアスは、彼に命じた。
「至急、一年内の溶解物について調べてください」
「溶解物ですか?」
ヤシュムが怪訝そうに口を挟んだ。ジュリアスは彼を振り向いて、
「断頭台はここで粉砕され、高炉で溶解されたのではないでしょうか。呪われた
全員がはっと目を瞠った。
ほんの数秒、沈黙が流れて、次の瞬間、ハイラートが閃きの声を発した。
「ああ! 確かに。
ジュリアスは首肯すると、困惑げな責任者と従業員を見て、こういった。
「
ハイラートもサンジャルも頷きながら、思考の閃きに賛嘆せずにはいられなかった。粉砕機の事故死は、原因が明らかであるが故に、これまで五里霧中の失踪怪異と紐づけて考えたことがなかったのだ。
(なんてことだ。ここを何度となく訪れていながら、断頭台が解体再生される可能性を失念しているとは!)
愕然たる思いに囚われるハイラートの隣で、サンジャルもまた当惑したように口元を手で覆っていた。
悄然としている従業員たちの傍に、ジュリアスは屈みこんでいった。
「気の毒ですが、ここで起きた不運な事故は、アッサラームを脅かしている怪異に繋がっています。今すぐに稼働を止めてください。我々が許可するまで、誰もこの場に入れてはなりません」
現場責任者はひどく緊張した様子でいたが、気丈にもジュリアスの目をまっすぐに見つめ返した。
「それは、いかほどでございましょう?」
「先ずは溶解物と出荷先を明らかにしなければなりません。神殿に依頼して、然るべき祈祷も必要です。少なく見積もっても十日はかかるでしょう」
男は半ば諦念の浮いた顔で、頷いた。
黙って会話を聞いていたヤシュムは、思案気にジュリアスに訊ねた。
「クロガネ隊はどうされるのですか?」
「サイードに事情を説明して、私が指示するまで、新たな
「御意」
ヤシュムは答えたあと、こうつけ加えた。
「殿下はお気になさるでしょうね」
「仕方がありません。彼には、もうしばらく療養してもらいます」
この知らせはきっと、