アッサラーム夜想曲
聖域の贄 - 11 -
また悪夢を見ている……
誰もがジュリアスに注目して、頬を染めてうっとり見つめている。
それ自体はいつものことだが、彼は今かつての婚約者、美しいシェリーティア姫と並んで歩いていた。
輝くばかりに美しい彼女は、恋する眼差しでジュリアスを見つめている。彼の方もまた、一途な青い双眸に彼女を映して煌めいている。
非の打ち所のない美男美女は、お互いを見つめたまま、光希の前を素通りしていく。
ふたりは並んで歩く姿も完璧で、まわりのものを全て無色透明にしてしまいそうな幸福感に包まれていた。それこそ光希の入りこむ余地など、まったくないほどに。
夢ならさっさと醒めてくれ……切に願うが、一向に醒める気配がない。
不快感に苛まれているところに、ふたりが顔を寄せるのを見せつけられ、光希は心の臓が張り裂けそうなほどの激昂に駆られた。
(嫌だ! 見たくない!!)
強い感情が迸 り、眠りという軛 にようやく罅が入った。
瞼が震えて、ぱちっと勢いよくもちあがる。心臓は胸郭 を打ち破りそうなほど激しく波打っていて、自分の息遣いと、どくどくと流れる血潮が耳の奥に響いていた。
(――夢? 夢だよな?)
あまりにも動揺しているせいか、夢と現 の区別がつきかねた。得体の知れない焦燥に駆られた時、視界に黄金色が映った。
「はぁ~……夢だった……」
安堵のあまり声にでてしまった。
まだ眠っているジュリアスをじっと見つめていると、黄金のまつ毛が震えて、青い瞳が光希を映した。
「お早う」
少し掠れた声が、酷く懐かしく感じられた。
「おはよ、ジュリ」
手を伸ばして、額にかかる緩やかなウェーブの金髪を梳いてやると、ジュリアスは朝のぼんやりとした状態から脱した。躰を起こしてお返しのように光希の髪にキスをすると、じっと目を見つめてきた。
「体調はどうですか?」
「大丈夫だよ」
「夜中にうなされていましたよ」
「え、ごめん。うるさかった?」
「いいえ。ただ少し心配で……今度はどんな夢を見たのですか?」
人生で三指に入るほどの悪夢を見た……そう続けようとしてやめた。
「うーん……忘れちゃった」
惚けたふりをして寝台をおりたが、後頭部にジュリアスの視線は感じられる。追求されたらやっかいだと思い、光希はさっさと寝室をでていった。
しかし平常通りに振る舞いながら、身支度している間も、食事をしている間も、食後の紅茶を飲む時分になっても、まだ夢に囚われていた。
(久しぶりに見たな、ああいう夢……)
以前ほどではないが、ジュリアスの傍にいることに対して自信喪失を味わうことがある。誰もが彼に夢中になっていて、自分はちっとも釣りあっていないんじゃないかと怯えてしまうのだ。
意識の深いところに染みついた劣等感は、調子が悪い時に顕れやすい。とはいえ、思っている以上に己の劣等感は深刻なのだろうか?
ちらりと隣に座っているジュリアスを窺う。彼はいつでも優雅で気品があり、部屋でくつろいでいる時ですら貴公子然としている。
それに比べて光希は……いや、身だしなみに関しては問題ない。ナフィーサがきちんと整えてくれている。しかし、我儘で放縦 な躰はどうだ? ジュリアスと比べるのもおこがましい。おまけに今は発疹まである。
公宮に引きこもっていた頃の方が、まだ外見に気を配っていたように思う。クロガネ隊に勤めるようになってからというもの、必要最低限の身だしなみにしか気を配っていない。
考えても無駄だと自分にいい聞かせても、夢に見た美姫の姿が脳裏から消えてくれない。
(実際、綺麗なお姫様たちと過ごしていたんだよなぁ……ハァ……)
嫉妬というよりは劣等感に沈んだ。ジュリアスの愛情を疑ったことはないが、不思議に思う時はある。
素晴らしい肢体の女性と比べて、はたして自分はどうなのだろう? 彼は満足しているのだろうか?
……やれやれ、少し夢に見たくらいで、反射的に恋人の女性遍歴を想像してしまう自分が厭になる。もともと朝は低空飛行気味だが、今朝は特に酷い。
憂鬱を振り払うように頭を一つ振ると、青い目と遭った。
いつから見つめられていたのだろう?
もの問いたげに見つめ返すと、彼は椅子の背もたれに手を置いて、光希の方に身を屈めてきた。
(あれ、キスされそう?)
そう思った時には、唇が重なっていた。すぐに離れていったが、ジュリアスは心を汲み取ろうとするように、光希の瞳を覗きこんできた。
「何を考えているのですか?」
「……ジュリのこと」
「私の、何?」
「うーん……」
曖昧に濁して席を立とうとしたが、ジュリアスは動かない。
「ジュリ、どいて」
腕の檻から抜けだそうとする光希の肩を、ジュリアスは押さえつけた。
「教えてください」
「いいたくない」
光希が顔をそむけると、ジュリアスは嫣然 と微笑した。
「……困りましたね。そういわれると、教えてくれるまで貴方を寝室に閉じこめたくなるのですが」
長い指に顎をすくわれて、青い眸に見つめられた途端に、光希の鼓動は跳ねた。
彼の美貌に見慣れていても、不意打ちで蠱惑 にかけられる度に失語症に陥ってしまう。
「教えてくれませんか?」
色気の籠もった含みある調子で訊ねた。
「……発疹が全身に拡がる夢を見たんだよ」
真実とは違うが、嘘でもない。相変わらず治らない発疹も悩みの種だ。
ジュリアスは物言いたげに光希を見つめたが、ちょうどナフィーサが医者に処方された煮出し茶を運んできたので、光希の前から躰をどかした。
「殿下、熱いので気をつけてください」
「ありがとう」
湯呑を受け取った光希は、琥珀色の表面に息を吹きかけ、ゆっくりすすった。
「今日は仕事を休んでは?」
「どうして?」
光希は驚いた顔で訊き返した。
「ぼんやりしているし、具合も悪そうですし……」
「大丈夫、いくよ」
被せるように答えると、ジュリアスも言葉を飲みこんだ。数秒ほど見つめあったあと、彼は思いだしたように席を立ち、ややしてから小瓶を手に戻ってきた。
「良かったら使ってください。木蓮 の香油です。髪や頸につけて眠ると、安らぎをえる効果があるそうですよ」
茶色の瓶を眺めながら、光希はほほえんだ。
「……ありがとう。優しいね」
「どういたしまして」
「どうしてそんなに優しいの?」
ちょっとおどけた風に訊ねてみると、碧眼がとろりと甘くなる。
「かわいい貴方のことだもの」
優しく髪を撫でられ、光希も気分がほぐれて浮上するのを感じながら、莞爾 と笑み返した。
誰もがジュリアスに注目して、頬を染めてうっとり見つめている。
それ自体はいつものことだが、彼は今かつての婚約者、美しいシェリーティア姫と並んで歩いていた。
輝くばかりに美しい彼女は、恋する眼差しでジュリアスを見つめている。彼の方もまた、一途な青い双眸に彼女を映して煌めいている。
非の打ち所のない美男美女は、お互いを見つめたまま、光希の前を素通りしていく。
ふたりは並んで歩く姿も完璧で、まわりのものを全て無色透明にしてしまいそうな幸福感に包まれていた。それこそ光希の入りこむ余地など、まったくないほどに。
夢ならさっさと醒めてくれ……切に願うが、一向に醒める気配がない。
不快感に苛まれているところに、ふたりが顔を寄せるのを見せつけられ、光希は心の臓が張り裂けそうなほどの激昂に駆られた。
(嫌だ! 見たくない!!)
強い感情が
瞼が震えて、ぱちっと勢いよくもちあがる。心臓は
(――夢? 夢だよな?)
あまりにも動揺しているせいか、夢と
「はぁ~……夢だった……」
安堵のあまり声にでてしまった。
まだ眠っているジュリアスをじっと見つめていると、黄金のまつ毛が震えて、青い瞳が光希を映した。
「お早う」
少し掠れた声が、酷く懐かしく感じられた。
「おはよ、ジュリ」
手を伸ばして、額にかかる緩やかなウェーブの金髪を梳いてやると、ジュリアスは朝のぼんやりとした状態から脱した。躰を起こしてお返しのように光希の髪にキスをすると、じっと目を見つめてきた。
「体調はどうですか?」
「大丈夫だよ」
「夜中にうなされていましたよ」
「え、ごめん。うるさかった?」
「いいえ。ただ少し心配で……今度はどんな夢を見たのですか?」
人生で三指に入るほどの悪夢を見た……そう続けようとしてやめた。
「うーん……忘れちゃった」
惚けたふりをして寝台をおりたが、後頭部にジュリアスの視線は感じられる。追求されたらやっかいだと思い、光希はさっさと寝室をでていった。
しかし平常通りに振る舞いながら、身支度している間も、食事をしている間も、食後の紅茶を飲む時分になっても、まだ夢に囚われていた。
(久しぶりに見たな、ああいう夢……)
以前ほどではないが、ジュリアスの傍にいることに対して自信喪失を味わうことがある。誰もが彼に夢中になっていて、自分はちっとも釣りあっていないんじゃないかと怯えてしまうのだ。
意識の深いところに染みついた劣等感は、調子が悪い時に顕れやすい。とはいえ、思っている以上に己の劣等感は深刻なのだろうか?
ちらりと隣に座っているジュリアスを窺う。彼はいつでも優雅で気品があり、部屋でくつろいでいる時ですら貴公子然としている。
それに比べて光希は……いや、身だしなみに関しては問題ない。ナフィーサがきちんと整えてくれている。しかし、我儘で
公宮に引きこもっていた頃の方が、まだ外見に気を配っていたように思う。クロガネ隊に勤めるようになってからというもの、必要最低限の身だしなみにしか気を配っていない。
考えても無駄だと自分にいい聞かせても、夢に見た美姫の姿が脳裏から消えてくれない。
(実際、綺麗なお姫様たちと過ごしていたんだよなぁ……ハァ……)
嫉妬というよりは劣等感に沈んだ。ジュリアスの愛情を疑ったことはないが、不思議に思う時はある。
素晴らしい肢体の女性と比べて、はたして自分はどうなのだろう? 彼は満足しているのだろうか?
……やれやれ、少し夢に見たくらいで、反射的に恋人の女性遍歴を想像してしまう自分が厭になる。もともと朝は低空飛行気味だが、今朝は特に酷い。
憂鬱を振り払うように頭を一つ振ると、青い目と遭った。
いつから見つめられていたのだろう?
もの問いたげに見つめ返すと、彼は椅子の背もたれに手を置いて、光希の方に身を屈めてきた。
(あれ、キスされそう?)
そう思った時には、唇が重なっていた。すぐに離れていったが、ジュリアスは心を汲み取ろうとするように、光希の瞳を覗きこんできた。
「何を考えているのですか?」
「……ジュリのこと」
「私の、何?」
「うーん……」
曖昧に濁して席を立とうとしたが、ジュリアスは動かない。
「ジュリ、どいて」
腕の檻から抜けだそうとする光希の肩を、ジュリアスは押さえつけた。
「教えてください」
「いいたくない」
光希が顔をそむけると、ジュリアスは
「……困りましたね。そういわれると、教えてくれるまで貴方を寝室に閉じこめたくなるのですが」
長い指に顎をすくわれて、青い眸に見つめられた途端に、光希の鼓動は跳ねた。
彼の美貌に見慣れていても、不意打ちで
「教えてくれませんか?」
色気の籠もった含みある調子で訊ねた。
「……発疹が全身に拡がる夢を見たんだよ」
真実とは違うが、嘘でもない。相変わらず治らない発疹も悩みの種だ。
ジュリアスは物言いたげに光希を見つめたが、ちょうどナフィーサが医者に処方された煮出し茶を運んできたので、光希の前から躰をどかした。
「殿下、熱いので気をつけてください」
「ありがとう」
湯呑を受け取った光希は、琥珀色の表面に息を吹きかけ、ゆっくりすすった。
「今日は仕事を休んでは?」
「どうして?」
光希は驚いた顔で訊き返した。
「ぼんやりしているし、具合も悪そうですし……」
「大丈夫、いくよ」
被せるように答えると、ジュリアスも言葉を飲みこんだ。数秒ほど見つめあったあと、彼は思いだしたように席を立ち、ややしてから小瓶を手に戻ってきた。
「良かったら使ってください。
茶色の瓶を眺めながら、光希はほほえんだ。
「……ありがとう。優しいね」
「どういたしまして」
「どうしてそんなに優しいの?」
ちょっとおどけた風に訊ねてみると、碧眼がとろりと甘くなる。
「かわいい貴方のことだもの」
優しく髪を撫でられ、光希も気分がほぐれて浮上するのを感じながら、