アッサラーム夜想曲

響き渡る、鉄の調和 - 7 -

 期号アム・ダムール四五五年一二月二四日。
 ザインに潜入したジュリアスは、街の石工に扮して、会合に出席していた。
 ざっと見る限り、三〇名ほどが参加している。
 職人同士の情報共有を目的とする会合だが、取引の場としても使われており、海千山千な商人もちらほら交じっている。
 そのなかには、ココロ・アセロ鉱山の幹部もいる。
 第一坑を閉口した後、新たな採掘現場を起こすにあたり、多額の賄賂と引き換えに特定の組合を斡旋する裏取引の為だ。
 幹部の一人が部屋をでていくのを見て、ジュリアスは部下に目配せをした。凡庸な職人に扮した隠密が、静かに男の後を追いかけていく。
 頃合いを見て指示した部屋に向かうと、捕縛された男たちは、不安そうな顔でジュリアスを仰いだ。
「お前たちは誰なんだ? どこの組合だ?」
「我々はアッサラーム軍です」
「アッサラーム軍だと? どうしてここへ? 視察で鉱山にいっているんじゃないのか?」
 男は忙しなく眼球を揺らしながら、堰を切ったように訊ねた。
「ええ、そうですよ。我々は、取引の現場を押える為にここへきました」
「何のことだ」
「最初に断っておきます。我々は、知りたい情報は全て掴んでいます。偽って答えた場合は、アッサラームに報告した上で、厳しく罰しますので覚悟してください」
 覆面をさげたジュリアスを見て、男たちは震えあがった。額に輝く青い宝石――誰を敵に回したのかを理解して、己の運命を呪うように呻いた。
「鉱山の坑道新設の為に、今日この場で、三つの組合から資金を得ましたね?」
 淡々と言葉を紡ぐジュリアスを、青褪めた顔で髭面の男が見つめた。
「答えてください」
「……そうだ」
「第一坑の閉口を承認したのは、第三、四、七の坑道長に相違ありませんね?」
「ああ……」
 問答はしばらく続いた。
 こちらの掴んでいる情報を一つ提示する度に、男の顔から生気が失せていった。自信と敵愾心てきがいしんを十分に挫いたところで、ジュリアスは少し口調を和らげた。
「現在、争議が起きている第一坑の炭鉱夫を、新たな採掘現場で再雇用する意志はありますか?」
「それは、いや……」
「再雇用以外の手立てがあるのですか?」
 気まずそうに黙る男の顔を、ジュリアスは注意深く眺めた。
 この点だけは確証を得られていないのだが、もはや相手はこちらの質問口調に、気を回す余裕はないようだ。疾しいことでもあるのか、視線がしきりに動く。
「交渉材料が不十分なことが気掛かりです。このままでは、争議も長引きますよ」
 鉱山から遠く離れたザインで、それも小さな会合で取引をするほど警戒心の強い彼等が、鉱山の争議に頓着していないことをジュリアスは前から不審に思っていた。鎮静する目論みでもないとなると……
「そういえば、第一坑の保安に関して、炭鉱夫からの嘆願書を過去に何度か却下していますね」
 沈黙は肯定だ。怖気をふるったように俯く顔は、こちらを見ようとしない。
 背筋が冷えるのを感じながら、ジュリアスは部屋を飛びだした。バルコニーにでると空を仰いで、サーベルを抜く。
「光希?」
 くろがねに刻まれた“光希”のニ文字を指でなぞると、瞑目して神眼に集中する。
 普段とは異なる鉱山の様子が視えて、心臓が止まりかけた。
 坑内には入らないと約束をしたのに。
 危険な事故でも起きたのか、逃げ惑う人の波にさからって、光希は坑内に飛びこんでいった。
「光希ッ!」
 坑内の爆発。崩落。光希の頭上に巨岩が崩れる――ジュリアスは全身全霊を傾けて、光希を守ることに集中した。

 晴れた空と、翳った空。
 鉱山の頂は見えず、山の片側には暗雲が立ちこめ、今にも雨が降りそうだった。
 ここではよく見られる天候だが、光希には、山を挟んで分かつ空の色は、これから起こる未来の明暗を予言しているように思えた。
「殿下?」
 足を止めて空を仰ぐ光希を、ローゼンアージュが不思議そうに見ている。
「あ、ごめん……」
 選鉱作業に視線を戻した光希は、妙な胸騒ぎを覚えながら緩く首を振った。
「具合が悪そうですね。宿舎に戻りますか?」
 アルスランが思案げに訊ねた。
「いえ、少し休めば平気です」
 鉱石の調整が気になる光希は、気丈に告げた。アルスランは頷いたが、なるべく用事を早く済ませようとした。
「ダンカンを探してきます。工房でお待ちください」
 止める間もなく遠ざかっていく背中を見送りなら、光希は再び空を仰いだ。
(嫌な予感がする……)
 どうにも頭が重くて、いわれた通り工房に戻って少し横になっていると、警鐘を告げるような、大神殿の鐘の音が鼓膜の奥で反響こだました。
「――ッ」
 飛び起きた光希は、転がるように外へ飛びだした。驚いた顔をしている護衛兵には目もくれず、第一坑口を凝視する。
 血液が血管中を駆け巡り、心臓は煩いほど音を立てている。
 いつもと変わらぬ様子に、違った景色が重なって映る。これから起こる未来だ。坑内で爆発が起こる。先頭をゆくアルスランは、爆風に呑みこまれてしまう――
「アルスランッ!!」
 急に駆けだした光希の後ろを、ローゼンアージュはすぐに追いかけた。腕を取り、引き留めようとする。
「殿下ッ」
「爆発が起こる! アルスランがなかにいるんだ!」
 腕に縋りつき、真剣な顔で告げる光希を見て、ローゼンアージュは厳しい視線を坑口に向けた。
「全員今すぐ避難させて。殿下が事故を視た」
 人形めいた容姿の青年は、鋭い口調で兵士に指示した。端的な命令を受けて、彼等はすぐさま行動に移る。
 的確に動く兵士たちの様子に光希は安堵したが、心臓はまだ早鐘を打っている。
 心を落ち着けようと目を閉じて深呼吸を繰り返すが、眼裏まなうらに、力なく倒れるアルスランの姿が鋭く閃いた。
「殿下ッ」
 衝動的に駆けだした光希を、ローゼンアージュが後ろから抱きしめた。
「離して! 間にあわないッ」
 無言で首を振る青年を見て、光希は襟を掴んで引き寄せた。
「一緒にきて!!」
 切羽詰まった形相で訴えると、ローゼンアージュは逡巡し、頷いた。二人は逃げ惑う人の波に逆らって、坑口に飛びこんだ。
 斜坑を進むと、やがて分岐路の監視台に立つアルスランの姿が見えた。彼は事情を知らぬ炭鉱夫たちに、脱出を促していた。
「アルスランッ!!」
 鋭く叫ぶと、アルスランは何事かと振り向いた。光希を認めて目を見開くと、慌てた様子でこちらへ駆けてくる。
「殿下ッ!!」
 その後の言葉は、爆音にかき消えた。
 巨岩がぶつかりあう、耳をろうする激音が響く。

“光希ッ!”

 一瞬、あるはずのない声が聴こえた。
 何が起きたのか判らないまま、気がつけば光希はローゼンアージュに抱きしめられていた。
「逃げろぉ――ッ」
「火だァッ!!」
 切羽詰まった幾つもの悲鳴が、第一斜坑の坑口に響き渡った。
 ドドォッ!!
 続く爆音に、悲鳴や怒号はかき消された。
 坑道の崩落事故か!?
 違う。埃っぽい、鉄塵の匂い、熱した空気――爆発事故!?
 沈みこむような、重たい空気を感じとり、光希は背筋を冷やした。
 黒く煙る視界の正体は、常温発火性の砂だ。
 炭塵に似た砂に引火爆発したのだとしたら、現在、坑道内には有害な一酸化炭素が蔓延している可能性が高い。
 坑内には、千人を越える労働者が従事しているのだ。彼等の命が危ない!
「ここは危ない、お早くッ」
 ローゼンアージュの声は、四方から飛来する怒号にかき消された。
ぅッ」
 光希は自分の脚で歩こうとしたが、足首に激痛が走った。
「失礼します」
 ローゼンアージュは両腕で光希を抱きあげると、ものすごい速さで、煙の帯と共に坑口の外へ飛びだした。
 中も外も、焦げついた硝煙の匂いが鼻を突く。
 被害のほどは不明だが、地上には血を流して横たわる者が累々としていた。
 救出せんと坑内へ飛びこんでいく者、山の轟きに瓦礫の音、怒号が入り乱れて現場は騒然となった。
 痛みで朦朧としているうちに、光希はその場から離された。アルスランを先頭に、ローゼンアージュに抱かれて、坑口から少しでも遠ざかろうとする。
 救急用に張られた簡易天幕に、光希は失神した状態で運ばれた。
 間もなく目を醒ました時、幾つもの心配そうな顔が、光希の顔を覗きこんでいた。サイードやローゼンアージュ、アルスランもいる。
「あぁ、良かった!」
「お身体は平気ですか? 痛いところは、ございませんか?」
 口早に訊ねてくる。
 馴染の顔を見て安堵すると共に、彼等の瞳に安堵の光が灯るのを見て、光希はなんだか泣きそうになった。
 横たえた躰は鉛のように重かったが、平気だと答えた。しかし起きあがろうとすると、激しい痛みが左足首に走った。
「うッ」
 苦悶の表情を浮かべる光希の肩を、アルスランは厳しい眼差しで押さえた。
「動くな。足を痛めています。町まで降りますよ、いいですね?」
「でも皆は? 大丈夫?」
「爆発の影響で現場の足場が崩れて、何人か下敷きになりました。今、救出作業を続けているところです」
「なんてことだ」
 苦悶の表情を浮かべて、光希は呻いた。
 光希も、爆発に巻きこまれたはずなのだが、足を挫いただけで、大きな怪我はしていない。
 何が起きたのだろう? ジュリアスの声が聞こえたような気がしたが……あの危機的状況から、彼が救ってくれたのだろうか?
 傍にローゼンアージュが膝をつくと、光希の躰に腕を伸ばした。華奢な外見に反する、強い腕で光希を横抱きに持ちあげた。
「アルスラン!」
 現場から遠ざかる前に、光希は叫んだ。振り向いたアルスランは一礼してみせた。
「気をつけてッ」
 光希が声を張りあげると、アルスランも大きな声で答えた。
「殿下も! すぐに戻ります」
 病院に運ばれた光希は、足の痛みと疲労のせいで、その日の夜から高熱をだした。
 一晩泥のように眠り、目を醒ました時には陽はとうに昇っていた。
 傍にはサイードとローゼンアージュがいて、知らせを聞いてアルスランもやってきた。厳しい眼差しを向けられて光希が身構えると、彼は深く頭をさげた。
「殿下のおかげで、被害を最小限に抑えることができました。大事な御身に怪我を負わせてしまい、弁明のしようもありません。申し訳ありませんでした」
「いやいや、そんな。頭をあげてください。大した怪我ではありませんから。それよりアルスランは? 怪我はしていませんか?」
「はい。救出にも目途が立ちました。工房務めの隊員も皆無事です」
「そう……良かった」
 安堵の息を吐く光希を、アルスランは思慮深い眼差しで見下ろした。
「今後も護衛を続けるにあたり、一つお約束してください」
 固い口調に、光希は自然と背筋を伸ばした。
「私を庇おうと考える前に、先ずご自分を優先していただきたい」
「……はい」
「我々がどれだけ殿下を守ろうとしても、貴方が自ら危険の渦中に飛びんでしまっては、全ての労が無駄になります。勇敢と無鉄砲は全く別です」
「はい。すみませんでした」
 悄然と俯く光希の頭を、大きな手が労わるように撫でた。
 顔をあげると、意地の悪い、けれど親しみのこもった眼差しに見下ろされていた。
「全く、殿下の護衛は胆が冷えます。シャイターンへの言い訳も用意しておいた方がいいですよ」
「う……」
 胃を押さえて呻く光希を見て、アルスランは満足そうに笑った。

 翌日。炭鉱組合から次のように公表された。
 第一斜坑の坑口から約二〇〇〇メートル付近の斜坑で炭塵爆発が発生。
 坑内で用いられていた石炭を満載した列車の連結が外れ、火花をだしながら脱線、暴走し、これにより大量の常温発火性の塵が坑内に蔓延。引火爆発したのが原因である。
 間もなく閉鎖するからと、炭鉱組合は、坑道の保安を二の次にしていた側面が仇となった。
 後の調べで判ったことだが、連結に故障をきたした列車の部品は、老朽により劣化していた。
 また、引火爆発の防止策としての塵の除去と撒き水、岩粉の撒布を怠ったことにより、坑内には塵が蓄積されていたのである。