アッサラーム夜想曲
響き渡る、鉄の調和 - 8 -
坑内の爆発事故により、第一から第五までの坑口は一時閉鎖された。
収入を得られない炭鉱夫は組合に補助を訴えたが、組合は責任の押しつけあいに忙しく、現場の復旧に遅れがでる始末で、賃金保障どころではなかった。
鉱山は不穏な空気に包まれているが、光希の活躍を見ていた炭鉱夫たちは、感謝を述べた。
「どうせ坑道にも入れやしないし、一杯やりにいこうぜ。今夜は俺のおごりで痛飲だ」
気風 のいいダンカンの提案に、沈んでいた炭鉱夫たちの顔が明るんだ。
期限が迫るなか鉱山の採取が捗らず、内心ではやきもきしていた光希も誘いに応じた。
「事故は組合が保安を怠けたせいだ。塵の除去を何年もやっていないことなんざ、俺たちはとっくに指摘していたんだ」
ダンカンがぼやくと、他の面々も悔しそうに頷いた。
「どうせ閉口するからってあいつら聞きやしねぇ。鉱山管理だなんて、椅子で踏ん反りかえってる奴に何が判るってんだよ」
「全くだぜ。グレアムはあいつらの怠慢で死んだようなもんだ」
涙混じりに気焔 を吐きだす。
グレアムは、今回の事故で命を落とした第一坑口の炭鉱夫だ。たまに口煩いが根の真っ直ぐな男で、仲間には好かれていた。
「グレアムに」
一人が杯を掲げると、全員が杯を抱げた。光希もしんみりとした気持ちで、杯を傾けた。
こんな大事故が起きてしまうなら、採掘を望まなければ良かったのだろうか? アッサラームに通達がきた時点で閉口していれば、防げたのではないだろうか?
……義手制作のためだったが、それも頓挫しそうだ。
残された猶予は十日ほどだろうか。そろそろ移動準備を始めないと、ジュリアスと約束した期限内にアッサラームへ戻れなくなる。
「はぁ……」
憂鬱なため息をつくと、傍で見ていたガンタンは気の毒そうな顔をした。
「あんたらも、とんだ視察になっちまったな。この分じゃ、坑道はしばらく入れないぜ。こっちは、軍がいてくれて助かったけどよ」
肩を叩かれて、光希は力なく笑った。
「僕の滞在日数は限られているけれど、この後も軍の支援は続けられますから。早く復旧できるよう、必ず尽力してくれますよ」
「坊主とも、もうすぐお別れかぁ」
しみじみとガンタンは呟くと、よし、と手を鳴らした。
「今夜はいい思いをさせてやるからな!」
「え?」
目を白黒させる光希の頭をぐしゃりと撫でると、ダンカンは女将に何やら耳打ちして、光希を振り向くなり親指を立てた。
「……碌な予感がしないな」
横で見ていたアルスランは、不穏な空気を読み取り胡乱げに呟いた。
間もなく、男共の歓呼に迎えられて、派手な女たちが店にやってきた。
「災難だったわねぇ、ダンカン」
親しげに髭面を撫でる妙齢の女は、ダンカンの馴染のようだ。
「全くだぜ。今夜は俺のおごりだ。こいつらに元気を分けてやってくれよ」
女は話題のアッサラーム軍の将兵を見て、灰青の瞳を煌めかせた。
「いい男ねぇ。もっと早く紹介してくれたら良かったのに」
「悪ぃな。こちとら野暮用が続いてよ。坊主たちは、もうすぐアッサラームに帰っちまうんだ。いい思いでを作ってやってくれよ」
光希はぎょっとしてダンカンを見た。
「あら、もう帰ってしまうの?」
さも残念そうにいわれて、光希はどきまぎしながら姿勢を正した。
「そっちのお兄さんも帰ってしまうの?」
艶めいた流し目をアルスランは無表情で躱した。席を立つと、じっと光希を見下ろす。
帰るぞ。無言の圧を感じて、光希は苦笑いを浮かべた。席を立ちあがろうとしたが、気を引くように女性が手を叩いたので、思わず動きを止めた。
「いいわ。いい思いさせてあげる」
ふふふ、と愉しげな笑みを浮かべた女は、数人の女に耳打ちをして、光希の傍へ侍った。それをアルスランが阻むと、魔の手は彼にも伸びる。女性相手に手荒に振る舞えず、苦虫を潰した顔でアルスランは光希の腕を引いた。
「もう帰るぞ」
「そ、そうですね」
慌ただしく光希が席を立った時、ローゼンアージュがぱっと入り口に視線を向けた。
戸口に立つすらりとした長身を見て、光希は息を呑んだ。ここにいるはずのない人物がいる。
はっとしたアルスランが踵を揃えて敬礼を取ると、ジュリアスはその先の言葉を制するように、軽く手をあげた。
「お邪魔してすみません、部下を迎えにきました」
「ごほッ」
盛大に咽る光希の背を、隣に座った女が撫で摩る。気遣いはありがたいが、全力で火に燃料を注いでいることに気がついていない。
銀髪姿のジュリアスは、光希を見つめて目を細めた。見惚れるほど美しい微笑だが、目は少しも笑っていない。
――どういうことです?
空耳が聞こえる。大量の冷や汗を背中にかきながら、お疲れさまです……と光希は死にそうな声を絞りだした。
「えれぇ男前な軍人さんだなぁ……ありゃ、坊主のお迎えか? おめぇ、本当に下っ端なのかよ?」
「あはは……」
歯抜けのジリーはぽかんとした顔で、ジュリアスと光希を見比べた。
乾いた笑みを浮かべながら、光希はジュリアスの傍へ寄った。優しく肩を抱き寄せられたが、捕縛された心地を味わった。
「あの、」
踵を返すジュリアスの背に、アルスランは声をかけたが、ジュリアスは視線で黙らせた。
「先ずは光希から話を聞きます――お前たちはその後だ」
低めた声に、アルスランは強張った顔で頷いている。サイードは光希と目があうと、同情の眼差しをよこした。
宿舎に向かう途中、光希が声をかけても、ジュリアスは素っ気ない相槌しか打たなかった。
これは相当怒っている……冷たい横顔を盗み見て、光希は不安を募らせた。
なんとか空気を変えたくて、部屋に着くなり光希は紅茶を煎れようとした。
「ちょっと座って待っていてね、今お茶を――」
大きな手が肩にかかり、振り向かされた。青い瞳が反感で燦めいている。
「あんな場所で、何をしていたんですか?」
冷たい詰問口調に光希は怯んだ。どう説明するか考えておいたのに、舌がうまく動いてくれない。早く何かいわなければ……ジュリアスが返事を求めている。
「えーっと……事故のことは聞いているよね? 気落ちした皆を励まそうと、ダンカンさんが誘ってくれたんだよ」
光希は慎重に言葉を選んでいった。
「娼婦を侍らせておいて?」
「いや、疾しいことは何も」
「私が割って入らねば、あのまま夜を共にしていたのではありませんか?」
被せるようにジュリアスがいった。
「まさか! 違うよ!」
光希もむっとして声を荒げる。
「どうでしょうね」
「もう帰ろうとしていたところだよ。それより、ジュリはどうして」
「私がここにいては、都合が悪いですか?」
「そんなこといってないよ。驚いたけど、きてくれて助かったと思ってる」
いかにも憂鬱そうに、ジュリアスはため息をついた。
「軽くいわないでください」
「軽くなんか……」
「炭鉱事故を知って、私がどんな想いでここへ駆けつけたと思いますか?」
光希は下唇を噛み、目をそらした。
「……ごめんなさい。心配かけたよね」
「坑道には入らない約束でしたよね?」
「そう、なんだけど、緊急事態で」
「なぜ約束を破ったのです?」
「事故が視えたんだ。アルスランが危ないと思って――」
「危険を冒すなッ!」
強い口調で叱られて、光希は口を閉ざした。
怯んだ様子を見てジュリアスは、一度視線をそらし、やや和らげてから戻した。光希の両肩に手を置いて、強く抱きしめる。
「心配しましたよ。本当に」
「ごめんなさい……」
「人の気も知らずに、こんなに甘い匂いをさせて」
不穏な空気を感じて、光希はなんとなくジュリアスの胸に手をついた。酒場にいたので、匂いが染みついているのかもしれない。遠ざかろうとする腕を、ジュリアスはきつく掴んだ。強い眼差しを受け留めきれず、顔は下を向く。
「光希」
恐る恐る顔をあげると、強い眼差しに射抜かれた。
収入を得られない炭鉱夫は組合に補助を訴えたが、組合は責任の押しつけあいに忙しく、現場の復旧に遅れがでる始末で、賃金保障どころではなかった。
鉱山は不穏な空気に包まれているが、光希の活躍を見ていた炭鉱夫たちは、感謝を述べた。
「どうせ坑道にも入れやしないし、一杯やりにいこうぜ。今夜は俺のおごりで痛飲だ」
期限が迫るなか鉱山の採取が捗らず、内心ではやきもきしていた光希も誘いに応じた。
「事故は組合が保安を怠けたせいだ。塵の除去を何年もやっていないことなんざ、俺たちはとっくに指摘していたんだ」
ダンカンがぼやくと、他の面々も悔しそうに頷いた。
「どうせ閉口するからってあいつら聞きやしねぇ。鉱山管理だなんて、椅子で踏ん反りかえってる奴に何が判るってんだよ」
「全くだぜ。グレアムはあいつらの怠慢で死んだようなもんだ」
涙混じりに
グレアムは、今回の事故で命を落とした第一坑口の炭鉱夫だ。たまに口煩いが根の真っ直ぐな男で、仲間には好かれていた。
「グレアムに」
一人が杯を掲げると、全員が杯を抱げた。光希もしんみりとした気持ちで、杯を傾けた。
こんな大事故が起きてしまうなら、採掘を望まなければ良かったのだろうか? アッサラームに通達がきた時点で閉口していれば、防げたのではないだろうか?
……義手制作のためだったが、それも頓挫しそうだ。
残された猶予は十日ほどだろうか。そろそろ移動準備を始めないと、ジュリアスと約束した期限内にアッサラームへ戻れなくなる。
「はぁ……」
憂鬱なため息をつくと、傍で見ていたガンタンは気の毒そうな顔をした。
「あんたらも、とんだ視察になっちまったな。この分じゃ、坑道はしばらく入れないぜ。こっちは、軍がいてくれて助かったけどよ」
肩を叩かれて、光希は力なく笑った。
「僕の滞在日数は限られているけれど、この後も軍の支援は続けられますから。早く復旧できるよう、必ず尽力してくれますよ」
「坊主とも、もうすぐお別れかぁ」
しみじみとガンタンは呟くと、よし、と手を鳴らした。
「今夜はいい思いをさせてやるからな!」
「え?」
目を白黒させる光希の頭をぐしゃりと撫でると、ダンカンは女将に何やら耳打ちして、光希を振り向くなり親指を立てた。
「……碌な予感がしないな」
横で見ていたアルスランは、不穏な空気を読み取り胡乱げに呟いた。
間もなく、男共の歓呼に迎えられて、派手な女たちが店にやってきた。
「災難だったわねぇ、ダンカン」
親しげに髭面を撫でる妙齢の女は、ダンカンの馴染のようだ。
「全くだぜ。今夜は俺のおごりだ。こいつらに元気を分けてやってくれよ」
女は話題のアッサラーム軍の将兵を見て、灰青の瞳を煌めかせた。
「いい男ねぇ。もっと早く紹介してくれたら良かったのに」
「悪ぃな。こちとら野暮用が続いてよ。坊主たちは、もうすぐアッサラームに帰っちまうんだ。いい思いでを作ってやってくれよ」
光希はぎょっとしてダンカンを見た。
「あら、もう帰ってしまうの?」
さも残念そうにいわれて、光希はどきまぎしながら姿勢を正した。
「そっちのお兄さんも帰ってしまうの?」
艶めいた流し目をアルスランは無表情で躱した。席を立つと、じっと光希を見下ろす。
帰るぞ。無言の圧を感じて、光希は苦笑いを浮かべた。席を立ちあがろうとしたが、気を引くように女性が手を叩いたので、思わず動きを止めた。
「いいわ。いい思いさせてあげる」
ふふふ、と愉しげな笑みを浮かべた女は、数人の女に耳打ちをして、光希の傍へ侍った。それをアルスランが阻むと、魔の手は彼にも伸びる。女性相手に手荒に振る舞えず、苦虫を潰した顔でアルスランは光希の腕を引いた。
「もう帰るぞ」
「そ、そうですね」
慌ただしく光希が席を立った時、ローゼンアージュがぱっと入り口に視線を向けた。
戸口に立つすらりとした長身を見て、光希は息を呑んだ。ここにいるはずのない人物がいる。
はっとしたアルスランが踵を揃えて敬礼を取ると、ジュリアスはその先の言葉を制するように、軽く手をあげた。
「お邪魔してすみません、部下を迎えにきました」
「ごほッ」
盛大に咽る光希の背を、隣に座った女が撫で摩る。気遣いはありがたいが、全力で火に燃料を注いでいることに気がついていない。
銀髪姿のジュリアスは、光希を見つめて目を細めた。見惚れるほど美しい微笑だが、目は少しも笑っていない。
――どういうことです?
空耳が聞こえる。大量の冷や汗を背中にかきながら、お疲れさまです……と光希は死にそうな声を絞りだした。
「えれぇ男前な軍人さんだなぁ……ありゃ、坊主のお迎えか? おめぇ、本当に下っ端なのかよ?」
「あはは……」
歯抜けのジリーはぽかんとした顔で、ジュリアスと光希を見比べた。
乾いた笑みを浮かべながら、光希はジュリアスの傍へ寄った。優しく肩を抱き寄せられたが、捕縛された心地を味わった。
「あの、」
踵を返すジュリアスの背に、アルスランは声をかけたが、ジュリアスは視線で黙らせた。
「先ずは光希から話を聞きます――お前たちはその後だ」
低めた声に、アルスランは強張った顔で頷いている。サイードは光希と目があうと、同情の眼差しをよこした。
宿舎に向かう途中、光希が声をかけても、ジュリアスは素っ気ない相槌しか打たなかった。
これは相当怒っている……冷たい横顔を盗み見て、光希は不安を募らせた。
なんとか空気を変えたくて、部屋に着くなり光希は紅茶を煎れようとした。
「ちょっと座って待っていてね、今お茶を――」
大きな手が肩にかかり、振り向かされた。青い瞳が反感で燦めいている。
「あんな場所で、何をしていたんですか?」
冷たい詰問口調に光希は怯んだ。どう説明するか考えておいたのに、舌がうまく動いてくれない。早く何かいわなければ……ジュリアスが返事を求めている。
「えーっと……事故のことは聞いているよね? 気落ちした皆を励まそうと、ダンカンさんが誘ってくれたんだよ」
光希は慎重に言葉を選んでいった。
「娼婦を侍らせておいて?」
「いや、疾しいことは何も」
「私が割って入らねば、あのまま夜を共にしていたのではありませんか?」
被せるようにジュリアスがいった。
「まさか! 違うよ!」
光希もむっとして声を荒げる。
「どうでしょうね」
「もう帰ろうとしていたところだよ。それより、ジュリはどうして」
「私がここにいては、都合が悪いですか?」
「そんなこといってないよ。驚いたけど、きてくれて助かったと思ってる」
いかにも憂鬱そうに、ジュリアスはため息をついた。
「軽くいわないでください」
「軽くなんか……」
「炭鉱事故を知って、私がどんな想いでここへ駆けつけたと思いますか?」
光希は下唇を噛み、目をそらした。
「……ごめんなさい。心配かけたよね」
「坑道には入らない約束でしたよね?」
「そう、なんだけど、緊急事態で」
「なぜ約束を破ったのです?」
「事故が視えたんだ。アルスランが危ないと思って――」
「危険を冒すなッ!」
強い口調で叱られて、光希は口を閉ざした。
怯んだ様子を見てジュリアスは、一度視線をそらし、やや和らげてから戻した。光希の両肩に手を置いて、強く抱きしめる。
「心配しましたよ。本当に」
「ごめんなさい……」
「人の気も知らずに、こんなに甘い匂いをさせて」
不穏な空気を感じて、光希はなんとなくジュリアスの胸に手をついた。酒場にいたので、匂いが染みついているのかもしれない。遠ざかろうとする腕を、ジュリアスはきつく掴んだ。強い眼差しを受け留めきれず、顔は下を向く。
「光希」
恐る恐る顔をあげると、強い眼差しに射抜かれた。