アッサラーム夜想曲

響き渡る、鉄の調和 - 6 -

 想像した通り、光希たち一行はそこら中から視線を集めた。
 軍服を脱いでも、彼等の雰囲気は垢抜けている。特に帯剣した見目麗しい青年将校たち――アルスランやローゼンアージュは視線を集めた。色めき立つのは女ばかりではない、なかには秋波を送る男もいる。
 注目を浴びる彼等に挟まれて、光希は俯き気味に道を進んだ。
 幸いにして、そう時間はかからずダンカンに教えてもらった店に着いた。
 なかなか繁盛しているようだ。工房仲間や見慣れた顔ぶれもちらほら混じっているが、殆どの客は炭鉱夫だ。四つの三角形を意匠された帽子(組合の象徴である)を被った男たちは、日中の労働を麦酒で癒していた。
 その傍らに、胸元の開いた服を着たはすっ葉な女が侍っている。幾筋かほつれた髪を垂らし、しなをつくる姿は退廃的で艶めかしい。
 こういった方面で免疫のない光希は、どきまぎしながらその光景を視界に納めた。
「……殿下、本当にいくのですか?」
「う、うん」
 確認をとるアルスランに、光希も少々たじろぎながら答えた。わはは、とサイードが愉しげに哄笑こうしょうを飛ばした。
「別にいいだろ。ちっとくらい羽目を外したって。なぁ?」
「俺はシャイターンにどう報告すればいいんだ……」
「まぁ、上手くいってくれ」
 無責任にサイードがいい放つと、こめかみを押さえながらアルスランは息を吐いた。
 光希が戸口で席を見回していると、奥まった席からダンカンが手をあげた。光希が破顔して近づいていくと、席へ着くなり、波と注がれた杯を渡された。
「よくきたなぁ! 乾杯だ!」
 と、威勢良く杯を突きあわせる。光希も麦酒を煽ると、隣に座っている男が気を利かして葉煙草を渡してきた。光希は目を輝かせたが、アルスランが手で制した。
「駄目なのかい? 成人しているんだろう?」
「はい、しています」
 即答する光希を、アルスランは針のように目を細めて睨んだ。喫ってみたいが、あまり刺激しては彼の堪忍袋の緒が切れそうだ。
「せっかくですが、また今度」
 控えめに光希が断ると、男は愉快そうな笑みを浮かべた。
「坊やには、ちぃっと早かったかな?」
「くっ」
 悔しげに呟く光希の頭を、反対側からダンカンがぐしゃぐしゃとかき乱した。なかなか剛胆な男は、ローゼンアージュとアルスランに睨まれても平気なようだ。
「本当に、そんなに小さいのに、よく炭鉱へきたなぁ。仕事は順調なのか?」
「おかげさまで、捗っています」
 向かいに座るアルシャッドと視線を交わし、光希はダンカンに笑いかけた。
 質のいい鉄はすぐに精錬所に運ばれて、工房へと運ばれる。おかげで殆ど待ち時間もなく、義手制作の実験に取り組めている。
 恵まれた環境のおかげで、研究は最終段階に差し掛かっていた。
 神経の伝播でんぱ劣化という重要課題にも解決の目途が立ち、あとは細かな調整の繰り返しだ。
 ほくほくとした笑みを浮かべる光希を見て、ダンカンはニヤッと笑った。
「よしよし。頑張ってる坊主に、いっちょ女を紹介してやろうか?」
 光希は慌てて首を振った。
「僕、恋人がいますから」
「へぇ!?」
 男は目を丸くしたかと思えば、光希の二の腕を掴み、ふにふにと揉み始めた。光希はローゼンアージュに目配せをしなければならなかった。こんなところで殺意を滲ませてはいけない。
「やらけーなぁ、坊主。こんなナリで、ちゃんと女抱けんのか?」
「あはは……」
 弱り切った顔で光希は言葉を濁した。ダンカンは疑わしそいうに、丸い頬を指で突いてくる。
 目を細めたローゼンアージュは、真顔で男の頬を指で突いた。つんつん、などのかわいらしいものではない。
 ドスッ!
 指が突き刺さったような衝撃に、ダンカンは鈍い声をあげた。痛そうに顔を歪めて頬を押さえている。
「大丈夫ですか!?」
「お、おぅ……もしかして、テオの恋人って」
「違いますよ」
 慌てる光希の横で、ローゼンアージュは例の指南書を開き、さっと目を走らせると顔をあげた。
「僕はで……テオの下僕です」
「同僚です」
きりっとした表情で告げる青年の言葉を、光希は殆ど被せるように上書きした。
「下僕……」
 ダンカンは間の抜けた顔で、二人の顔を交互に見比べている。
「アージュ、その指南書ちょっと見せてくれる?」
 果たして何が書かれているのか。不安になった光希は指南書に手を伸ばしたが、ひょいと躱される。
 子供じみた攻防がおかしかったのか、ダンカンは愉快そうに破顔した。
 会話の合間、手水に席を立とうとすると、護衛にローゼンアージュだけではなく、アルスランまで席を立った。
「大丈夫……」
 同行を断りかけたが、無言の圧力に屈した。されるがまま、覆面を直される。男たちの物言いたげな視線に見送られて、光希は廊下へでた。
 場末の酒場で、彼等の過保護ぶりは目立って仕方がない。
 部屋に戻る途中、廊下ですれ違った男は、光希に気づいて嫌な笑みを浮かべた。酒精の匂いを漂わせて、覆面のなかを覗きこもうとしてくる。
「寄るな」
 アルスランは低い声で命じると、男を遠ざけた。
「軍の美丈夫を侍らせて、いったい、どんなお姫様なんだ? ちょっと声を聞かせてくれよ」
 狼狽える光希を背に庇い、アルスランは剣呑な目で相手を睨んだ。
「おぉ、恐い。そう睨むなよ」
 赤ら顔の男は両手をあげて、降参とでもいいたげに去っていった。
 しかし困ったことにからかう者は他にもいて、少なくとも席に着くまで、同じことが二回ほど起きた。
 その様子を見ていたダンカンは、光希が着席すると、からかう風でもなく真面目に訊ねてきた。
「随分、大事にされてんだなぁ。本当は、どっかいいところのお坊ちゃんなのか?」
「違いますよ」
「じゃあ、なんだっていつもいつも、お姫様みたいに護衛されてるんだよ?」
「危なっかしくて、目が離せないだけだ」
 真顔でアルスランが答えると、ダンカンは口笛を吹いた。唖然とする光希を見て、閃いたように指を鳴らす。
「そうか、あんたがテオの恋人か!」
「違います!」
 光希は慌てて否定した。アルスランも語弊に気がついたようで、少し考えてからいい直した。
「……目を離さないよう、恋人によく頼まれているんだ」
「ほぉ! で、誰なんだ?」
「誰でもいいじゃありませんか」
 話題を逸らそうと試みたが、ダンカンは粘った。周囲の男たちも悪ノリをしてくる。
「気になるなぁ。毛も生えていなさそうな坊やに見えるのに」
「坊やって、僕を何歳だと思っているんですか」
「ふにふにだし……うぎゃぁッ!!」
 二の腕を揉んでいた男は、ローゼンアージュに腕を捻られて、悲鳴をあげた。捻った本人は顔色一つ変えずに指南書に目を落とすと、きりっとした表情でこういった。
「この方に、みだりに触れてはいけません。無礼はこの私が許しませんよ」
「ねぇ、何が書いてあるの!?」
 声が裏返ってしまった。
 ぎゃはは、と愉快げな哄笑こうしょうが部屋に響いたその時、
「臭ぇと思ったら、閉口組がいらっしゃるッ!」
 突然の罵声に、全員が戸口を振り向いた。第四坑道の炭鉱夫連中が、小馬鹿にしたような目つきでこちらを見ていた。
「ちっ、酒が不味くならぁ。場所変えるか?」
 一人がいうと、他の者もまばらに頷いた。緊張する光希の傍らで、表情を引き締めたローゼンアージュとアルスランが闖入者ちんにゅうしゃを睨んでいる。
 一触即発の雰囲気に、女たちはそそくさと席を立った。
 第四坑道の男共は、ずかずかと店に入ってくると、ダンカンの前で昂然と腕を組んだ。
「とっとと、でていけよ」
「絡むんじゃねぇよ、席は空いてるだろ? あっちで大人しく飲んでろや」
 ダンカンが親指で部屋の反対側を指すと、対峙する男は唇を歪めて嗤った。
 これは不味いぞと誰もが思った次の瞬間、男は問答無用で拳を振りかざした。
「危ないッ!」
 誰かが叫んだ。
 光希もダンカンがふっ飛ばされてしまうんじゃないかと危惧したが、そうはならなかった。それどころか、酔っ払いとは思えぬ俊敏な動きで躱すと、回転を利かせた裏拳を相手の腹に叩きこんだ。
「ぐぅっ」
 唸ったのは、喧嘩を吹っかけてきた男だ。よろめいた男を、そいつの味方が支え、射殺しそうな目でダンカンを睨んだ。
「やりやがったな」
 あっという間に、酒場は喧嘩場と化した。取っ組みあいの喧嘩に、酔っ払いたちが面白がって野次を飛ばしている。
「殿下、こちらへ」
 ローゼンアージュに腕を引かれて、光希は大人しく席を立った。
 扉に向かう途中、見知らぬ男が脇をしめて拳を固めた姿勢で走りこんできた。殴る相手は誰でもいいらしい。
 ローゼンアージュはそいつの脚を払い、巨体を宙に浮かすと、廻し蹴りを打ちこんだ。もはや彼の躰に染みついた経験が、的確に彼の四肢を動かしているのだ。
 鈍い音に、光希は顔をしかめた。巨体が頽れると、そいつの仲間が気色ばんだ。
「民間に手ぇだしやがって! 構わねぇ、やっちまえ!」
「お高くとまりやがって、軍のお偉いさまがなんだって鉱山にやってきたんだ! とっととでていきやがれッ!」
 口々に怒号を飛ばす。
 騒然となった店内で、アッサラームの兵士は冷静だった。少なからず酒を飲んでいたはずなのに、平然と処理していく。
「おいおい、絡んできたのはどっちだ? ほどほどにしておけ」
 などと、壮年の兵士が呆れたように応えている。
「……止められない?」
 戸口から店内を眺めて、光希はサイードに訊ねた。酔っ払いに暴れられて、店はさぞ迷惑だろう。
「店の被害は弁償しましょう。今水を差すと、余計な恨みを買いますよ。ああやって、憂さ晴らしをしているのでしょうから」
 サイードは肩をすくめてみせた。
「そうかぁ……」
 確かに、殴りあいをしている連中は、血に飢えているのかもしれない。妙に活き活きとして見える。
 彼等が大怪我を負わぬことを祈りながら、さり気なく護衛に周囲を固められて、光希は帰路についた。
 宿舎に戻ると、真っ先に湯を浴びた。酒精の匂いを落として石鹸の匂いに包まれると、ようやく一息つけた。
 龍涎香りゅうぜんこうの焚かれた室内は、品よく整えられており、窓辺には蒼とした藺草いぐさが生けてある。
 仰向けに寝転がって瞳を閉じると、疲労で茫漠ぼうばくとした思考に、今さっきの賑やかな喧噪が蘇り、ふと愉快な気持ちがこみあげた。
「ふ……」
 騒がしい一夜であったが、楽しかった。ここでは、身分の隔たりなく彼等と接していられる。
 静かな部屋に一人でいると、心は凪いで、次第に遠くへと彷徨い始めた。
 今頃ジュリアスはどうしているだろう……任務は順調だろうか。
(無事でいますように)
 心のなかで恋人の無事を願う。のんびり天上で寛ぐシャイターンが、判ってるよ、と答えてくれた気がした。