アッサラーム夜想曲

響き渡る、鉄の調和 - 5 -

 六日後。
 昼休を告げる鐘の音に、光希は手を休めた。工房に詰めている隊員達も、顔をあげて肩を解している。
 光希を含めアッサラームの兵士達は、昼食を炭鉱夫達に混じって給食所で取っている。
 休憩の暇つぶしに盤遊戯に興じる者が多く、光希はその遊びに強かった。計らずとも彼等と交流が進み、煤汚れた作業着姿の光希を、誰もシャイターンの花嫁ロザインとは疑わず、親しげに声をかけられるようになるのにそう時間はかからなかった。
 アルスランはあまりいい顔をしないが、豪放磊落ごうほうらいらくで社交に長けているサイードが何かと傍にいるので、今のところあまり煩くはいってこない。
「テオ! 調子はどうだ?」
「こんにちは、ダンカンさん。あれ、額から血が……」
 ここではテオの名で通している光希は、巨躯の男の額に滲んだ血を見て、目を瞠った。
「どうってことねぇよ。かすり傷だ」
「手当をしましょうよ」
 いらねぇよと手を振るダンカンを無視して、光希は背負っていた麻袋から、救急道具を取りだした。
 炭鉱現場は、常に危険が伴う。
 富をもたらす産業でありながら、坑内作業を中心とする鉱山では、他産業に比べ作業環境の悪さが目につきやすい。
 過酷な労働において不十分な保安を見ていると、坑内でいつ事故が起きてもおかしくない不安に光希は駆られてしまうのだった。
「……おめぇ、とろそうに見えるけど、手際いいよな。軍で働くより、鉱山技師の方が向いているんじゃねぇか?」
 けなしているのか褒めているのか判らないが、ダンカンは感心した様子でいった。
 実際、国門で壮絶な救援活動に従事していた光希は、本人も知らぬ間に救急処置、看護に非常に通じていた。
「あはは」
 覆面のうちで笑う光希を、アルスランは不服そうに見ている。下っ端兵士で通している光希が、小間使いの少年のように思われることが彼は気に食わないのだ。
「ありがとよ。よし、一局つきあえ」
「はい!」
 使い古した盤を取りだすダンカンに、光希は笑顔で応じた。ぱちぱち、と駒を置く二人を、暇潰しに眺める男達が囲んだ。
 しばらく互いに黙って駒を動かしていたが、終盤が近づいてくると、ダンカンは手を止めて唸った。
「ほー……なるほど、そうきたか。テオは強いなぁ」
「いえいえ」
 一局を終えるのに、大体半刻といったところだ。
 今回も光希の勝利で決着がつき、ダンカンは感心したように唸った。謙遜しつつも光希は嬉しそうだ。今のところ負けなしである。
「おめぇ、いつまでここにいるんだ?」
「えーと、あと二月ほど」
「テオが帰るまでに、絶対勝ってやる!」
 煤に汚れた顔で、白い歯を覗かせてダンカンは哄笑した。つられて光希も笑ったが、
「お前達、いつまで休憩している!」
 突然に飛来した罵声に、肩を撥ねさせた。声のした方を振り向くと、がっしりした額の、無精髭を生やした男が仁王立ちでそこにいた。
 彼の名はベルゼ。現在の第一坑道長である。
 元は第一坑道副長であったが、閉口争議の処分と称して、一月前に組合はダンカンを降格し、副長のベルゼを坑道長に据えたのだ。
「ち、うるせぇのがきやがった」
 ぼやいたのは、歯抜けのジリーだ。他の連中も、不満そうな顔をしている。気難しく、横柄な態度のベルゼは、第一坑道の鉱山夫達から嫌われていた。
「しゃあねぇな」
 そういって肩をすくめると、ダンカンは駒を片づけて席を立った。光希も慌てて席を立つ。ベルゼと目があい、一揖いちゆうすると、小馬鹿にしたように睥睨された。
「そこの軍人さんも、こんな所で油を売っていちゃ、見咎められますよ」
 嫌味な口調に、光希は苦笑いを浮かべた。
 ダンカン達と交流を持つ光希は、ベルゼに煙たがられている。軍人らしくないぽっちゃりとした体型も、彼には嘲笑の対象であるらしい。
 そんな横柄な態度の男も、ローゼンアージュに冷たい視線を向けられると、怯んだように表情を強張らせた。苦々しい表情に変えて、踵を返して去っていく。
「ま、気にすんな。機嫌がいいことなんてない、じーさまだからよ」
 ダンカンに肩を叩かれて、覆面をつけている光希は目で笑み返した。
 炭鉱に戻っていく彼等と別れると、光希も工房に引き返した。
 それから終鐘が鳴るまで勤めて、護衛と共に肩を解しながら宿舎へ戻る道すがら、坑口からでてきたダンカン達に遭遇した。
「おぅ、風呂にいくのか?」
 背中に声をかけられ、振り向いた光希がダンカンの方へ近づいていくと、彼も歩み寄ってきた。
「ダンカンさん。お疲れ様です」
「一緒にいこうや! 明日は休みだ。汗流した後、皆で一杯やりにいくんだ。テオもこいよ」
 光希が戸惑った顔をすると、傍にいた炭鉱夫達は苦笑いを浮かべた。
「テオだって軍人さんだ。俺等と一緒にすんじゃねぇよ」
 気遣いの滲んだ言葉ではあったが、光希は線引きを感じて慌てた。大衆浴場は無理だとしても、飲みにはいきたい。
「後からいきます! 店を教えてください」
「おい」
 隣にいるアルスランが呆れを含んだ声でいったが、光希は聞こえないふりをした。ダンカンと約束を交わして別れた後、気まずそうに長身を仰いでこういった。
「すみません。でも誘ってくれたのに、断るのは……」
 アルスランは眉間に皺を寄せたが、仕方さなそうに溜息をついた。
「……まぁ、サイードと俺が一緒で良ければ構いませんよ」
 お許しを得た光希は、満面の笑みで頷いた。急いで部屋に戻ると、汗を流して服を着替え、自分の格好に問題ないか確かめてから扉を開けた。
「お待たせ」
 背を向けていたローゼンアージュが振り向いた。目礼すると、静かに光希の後ろにつき従う。計らったように、アルスランとサイードもやってきた。
 全員、隊服は脱いでおり軽装ではあるが、アルスラン達は腰に紋章の入ったサーベルを佩いている。光希は武器の代わりに愛用の麻袋を背負って、踵の潰れた靴を引っかけていた。
「……その恰好で? せめて軍靴ぐんかを履いてください」
 アルスランに指摘されて、光希は足元に視線を落とした。
「駄目? 一応、外行き用に買ったんだよ。すごく履きやすいんだ、これ」
 鉱山町で入手した、ここでは一般的な日用靴である。
 例の指南書を開きながら、ローゼンアージュは光希の私室に入ると、編上げの軍靴を手に戻ってきた。光希の前で跪き、上目遣いに訴えてくる。
「……はい」
 無言の圧力に屈し、光希は大人しく履きかえた。