アッサラーム夜想曲
響き渡る、鉄の調和 - 3 -
実のところ、鉱山組合からもたらされた一部閉口の知らせを、アルサーガ宮殿の上層部は劈頭 から疑っていた。
ココロ・アセロ鉱山は、西大陸の中でも巨利を産む鉱山の一つで、利権を握る当局者が暗殺される血生臭い事件が、過去に何度か起きている。
そういった経緯 から、今回も幅を利かせている第一坑口の派閥を邪魔に思う、他の派閥の仕業ではないかと睨んでいたのだ。
当初、諜報を命じられていたジュリアスは、部下の誰かに指揮を任せるつもりでいた。自分は対東の防衛に注力しようとしていたが、光希が鉱山に強い関心を示したことにより、優先順位を改めた。
東の指揮はアーヒムに託し、ジュリアスは南西の鉱山に注力することに決めた。
執務室で報告を受けたアースレイヤは、意外そうな顔つきでこういった。
「別に構いませんが、貴方は東に発つものだとばかり思っていましたよ」
「暫くアッサラームを空けますが、ナディアやヤシュムがいれば問題はないでしょう」
そういう心配はしていない、といわんばかりにアースレイヤは肩をすくめた。
「鉱山利権の整備など、面倒なだけだと思いますがね……まぁ、貴方が花嫁 の為に苦労を買ってでたいというのなら、止めはしませんけれど」
「では、このまま進めてさせて頂きます」
間髪入れずにいい切るジュリアスを見て、アースレイヤは目を細めた。
「鉄 の研究に支援は惜しみませんが、無意味な投資は許可できませんよ。たとえ花嫁の願いでも、閉口の裏に何もなければ、大人しく手を引いてください」
現時点では、鉱山の第一閉口はアースレイヤにとって些事 に過ぎなかった。坑口は他にもあるし、アッサラームへの供給になんら不益がないからだ。
「斥候 の情報から、ある程度の裏は取れています。放置すれば、数百名規模の解雇者をだすことになりますよ」
解雇者が増せば治安は悪化する。あの街で、鉱山夫が鉱山をおいて他に収入を得る手段は殆どない。職を失くした者は、食べていく為に商隊 を襲い始めるのだ。急務ではないが、鉱山への悪路は、交易弊害として以前から問題視されていた。
「まぁ、任せます。いらぬ波風を立てて、アッサラームへの悪感情を煽ることだけはないように。それとも、武力行使が必要になりそうですか?」
アースレイヤの懸念に、ジュリアスは弛く首を振って応えた。
「争議は起きていますが、武器を持たない鉱山夫達です。閉口が決まっても、雇用支援で解決できるでしょう」
「そうしてください。利権を握っているのが有能な人間であれば、煩くいうつもりはありません。アッサラームの総意としてください」
「御意」
多少の横領には目を瞑るということだ。
気に食わない男ではあるが、こういう明晰 さと度量の広さは認めてもいい。皇帝譲りの、数少ない彼の美徳の一つである。
第一閉口で利を得る人間の目星はついている。第一坑の真価が認められた時、稼働継続に同意するなら、ジュリアスも必要以上に暴き立てるつもりはなかった。
「全く。私が最初に命じた時は、関心の欠片もなかったくせに、花嫁が関わった途端に目の色を変えますね」
呆れを含んだ視線を平然と受け流すジュリアスを見て、アースレイヤはやれやれ、と息をついた。
「もし得と見て手をだすなら、最後まで面倒を見てくださいよ」
「御意」
会話の終わりを感じて、ジュリアスは敬礼で応えた。踵を返したところで、背中に笑いを含んだ声をかけられた。
「そうそう、鉱山町の銘菓は日持ちします。手土産を楽しみにしていますよ」
「……御意」
穏やかな微笑を真顔で眺めながら、ジュリアスはやや面倒そうに答えた。
アースレイヤの許可を得た後、ジュリアスは直ぐに次の行動に移った。軍幹部を召集して、視察に赴く人選、日程、空路等を決めた。
数日のうちに一通りの根回しを済ませると、最終的に不承不承ではあるが、光希の鉱山視察を認めたのである。
「護衛と行軍経路は、私に手配させてください。坑内には絶対に入らないこと、時期を決めて戻ると約束できるのなら、許可しましょう」
「はい!」
光希は満面の笑みでいった。
「たとえ成果があがらなくとも、期限を順守して、アッサラームに戻ると約束してください」
「了解です」
「破ったら、お仕置きですよ。向こう一年間、公宮に閉じこめますからね」
「恐いよ……」
真顔で返事を迫るジュリアスを見て、光希は表情を引き締めると、慎重に頷いた。
「期限を守ります」
最敬礼で応えると、いささか大仰に見えたのか、ジュリアスは眉をひそめた。
「約束ですからね。私も用を片づけ次第、鉱山へ向かいます」
「え、本当?」
きてくれるのだろうか。期待をこめて見つめると、ジュリアスの眉間の皺がとれた。彼は手を伸ばして、くせのある黒髪を指で梳きながら、
「東の巡察はアーヒムに任せます。私は鉱山組合の裏を確認次第、鉱山町へ直行するつもりです」
「ジュリもきてくれるんだ! 心強いよ! ……裏って何?」
「ザインで開かれる工匠の会合に、ココロ・アセロ鉱山の要人も出席するのです。そこで違法取引が行われる可能性が高いので、現場を押えるつもりです」
「それは、閉口に関係すること?」
「はい。元々調べる予定ではいましたから。私が傍にいない時に、無茶な真似はしないでくださいね」
「うん。ありがとう……」
感謝の気持ちをこめて、広い背に腕を回した。胸に頬を寄せて瞳を閉じれば、すぐに優しく抱きしめてくれる。
鉱山視察を認めてもらう為にも、不安を見せてはいけないと気張っていた分、肩から余計な力が抜けた気がした。ジュリアスがきてくれるのなら、もう恐いものなしだ。
翌朝。
光希が意気揚々と、許可が下りたことをアルスランに伝えると、さも疑わしそうに眉をひそめられた。
「……本当でしょうね?」
「本当ですよ!」
「お気持ちは大変嬉しく思いますが、殿下を危険に晒してまで、義手を欲しいとは思いません」
「十分気をつけます。鉱山といっても、実際に坑内に入るわけではないし、僕はひたすら基地に缶詰の予定ですから」
「そうはいっても、アッサラームほど設備も整っていないし、治安も悪いでしょう。私は今のままでも十分満足していますよ」
「アルスラン。うまくいけば、以前のように飛べるかもしれないんです」
「しかし……」
「ここで諦めてしまうのは、勿体ないですよ」
畳み掛ける光希を見て、アルスランは苦虫を潰したような顔をした。
「何も、無理をして今いかずとも、またの機会にしてはいけないのですか?」
「千載一遇の機会なんです。今を逃しては、次の好機がいつになるか判りません」
「貴方に何かあっては、シャイターンに顔向けできません。片腕どころか、四肢を切断されて牢獄いきになっても、文句はいえませんよ」
「恐いことをいわないでください……」
恐ろしい例えに光希は怯んだが、アルスランは真顔で続ける。
「冗談ではありません。焦っても仕方のないことです。どうか、ご自愛ください」
「それでも僕はやっぱりいきたい。アルスラン、心配だというのなら、貴方も一緒にきてください」
勢いよく頭をさげると、アルスランは周囲を気にして狼狽えた。
「殿下、お止めください」
軍部の廊下で立ち話をしている為、すれ違う軍関係者がちらちらと視線を送ってくる。承知の上で、光希は頭をさげ続けた。
「どうかご同行をお願いしますッ!」
勢いでごり押すと、やれやれ、といった風にアルスランは頷いた。
「……判りましたから、頭をあげてください」
「本当ですか?」
「ええ、同行させて頂きます」
「ありがとうございます!」
光希はぱっと顔を輝かせた。
「殿下は意外と強情な方だ。シャイターンの気苦労が窺えますよ」
ぽりぽりと頭を掻く光希を見て、アルスランは苦笑いを浮かべた。
光希の申し出もあり、割とすんなり鉱山の視察組にアルスランも編成された。他もあらかた決まると、いよいよ光希の鉱山行は確定した。
神殿の務めがある為、同行できないナフィーサは、厚い指南書をしたため、ローゼンアージュに手渡した。
「私の代わりに、殿下のお世話をお任せします。紅茶の煎れ方から、お肌の手入れまで書いてありますから、よくよく眼を通しておくように!」
と、真剣な顔つきで託すナフィーサを見て、ローゼンアージュも真顔で頷いてる。
「……いや、肌の手入れはどうでもいいから」
思わず光希が口を挟むと、ナフィーサは厳しい視線を投げてよこした。
「殿下の白い肌は、陽に弱いのです。鉱山町は空気も悪いのですから、手入れを怠ってはいけません!」
「は、はい」
気圧されて頷くと、よろしい、というようにナフィーサは頷いた。視線をローゼンアージュに戻すと、指南書の説明を再開する。
「衣装の選別に迷った時は、十一項を開いてください。室内と外出時では異なります。こちらの項目を……引用は下に番号を振ってあります」
真面目に聞き入るローゼンアージュを見て、光希は少々気の毒に思った。
ココロ・アセロ鉱山は、西大陸の中でも巨利を産む鉱山の一つで、利権を握る当局者が暗殺される血生臭い事件が、過去に何度か起きている。
そういった
当初、諜報を命じられていたジュリアスは、部下の誰かに指揮を任せるつもりでいた。自分は対東の防衛に注力しようとしていたが、光希が鉱山に強い関心を示したことにより、優先順位を改めた。
東の指揮はアーヒムに託し、ジュリアスは南西の鉱山に注力することに決めた。
執務室で報告を受けたアースレイヤは、意外そうな顔つきでこういった。
「別に構いませんが、貴方は東に発つものだとばかり思っていましたよ」
「暫くアッサラームを空けますが、ナディアやヤシュムがいれば問題はないでしょう」
そういう心配はしていない、といわんばかりにアースレイヤは肩をすくめた。
「鉱山利権の整備など、面倒なだけだと思いますがね……まぁ、貴方が
「では、このまま進めてさせて頂きます」
間髪入れずにいい切るジュリアスを見て、アースレイヤは目を細めた。
「
現時点では、鉱山の第一閉口はアースレイヤにとって
「
解雇者が増せば治安は悪化する。あの街で、鉱山夫が鉱山をおいて他に収入を得る手段は殆どない。職を失くした者は、食べていく為に
「まぁ、任せます。いらぬ波風を立てて、アッサラームへの悪感情を煽ることだけはないように。それとも、武力行使が必要になりそうですか?」
アースレイヤの懸念に、ジュリアスは弛く首を振って応えた。
「争議は起きていますが、武器を持たない鉱山夫達です。閉口が決まっても、雇用支援で解決できるでしょう」
「そうしてください。利権を握っているのが有能な人間であれば、煩くいうつもりはありません。アッサラームの総意としてください」
「御意」
多少の横領には目を瞑るということだ。
気に食わない男ではあるが、こういう
第一閉口で利を得る人間の目星はついている。第一坑の真価が認められた時、稼働継続に同意するなら、ジュリアスも必要以上に暴き立てるつもりはなかった。
「全く。私が最初に命じた時は、関心の欠片もなかったくせに、花嫁が関わった途端に目の色を変えますね」
呆れを含んだ視線を平然と受け流すジュリアスを見て、アースレイヤはやれやれ、と息をついた。
「もし得と見て手をだすなら、最後まで面倒を見てくださいよ」
「御意」
会話の終わりを感じて、ジュリアスは敬礼で応えた。踵を返したところで、背中に笑いを含んだ声をかけられた。
「そうそう、鉱山町の銘菓は日持ちします。手土産を楽しみにしていますよ」
「……御意」
穏やかな微笑を真顔で眺めながら、ジュリアスはやや面倒そうに答えた。
アースレイヤの許可を得た後、ジュリアスは直ぐに次の行動に移った。軍幹部を召集して、視察に赴く人選、日程、空路等を決めた。
数日のうちに一通りの根回しを済ませると、最終的に不承不承ではあるが、光希の鉱山視察を認めたのである。
「護衛と行軍経路は、私に手配させてください。坑内には絶対に入らないこと、時期を決めて戻ると約束できるのなら、許可しましょう」
「はい!」
光希は満面の笑みでいった。
「たとえ成果があがらなくとも、期限を順守して、アッサラームに戻ると約束してください」
「了解です」
「破ったら、お仕置きですよ。向こう一年間、公宮に閉じこめますからね」
「恐いよ……」
真顔で返事を迫るジュリアスを見て、光希は表情を引き締めると、慎重に頷いた。
「期限を守ります」
最敬礼で応えると、いささか大仰に見えたのか、ジュリアスは眉をひそめた。
「約束ですからね。私も用を片づけ次第、鉱山へ向かいます」
「え、本当?」
きてくれるのだろうか。期待をこめて見つめると、ジュリアスの眉間の皺がとれた。彼は手を伸ばして、くせのある黒髪を指で梳きながら、
「東の巡察はアーヒムに任せます。私は鉱山組合の裏を確認次第、鉱山町へ直行するつもりです」
「ジュリもきてくれるんだ! 心強いよ! ……裏って何?」
「ザインで開かれる工匠の会合に、ココロ・アセロ鉱山の要人も出席するのです。そこで違法取引が行われる可能性が高いので、現場を押えるつもりです」
「それは、閉口に関係すること?」
「はい。元々調べる予定ではいましたから。私が傍にいない時に、無茶な真似はしないでくださいね」
「うん。ありがとう……」
感謝の気持ちをこめて、広い背に腕を回した。胸に頬を寄せて瞳を閉じれば、すぐに優しく抱きしめてくれる。
鉱山視察を認めてもらう為にも、不安を見せてはいけないと気張っていた分、肩から余計な力が抜けた気がした。ジュリアスがきてくれるのなら、もう恐いものなしだ。
翌朝。
光希が意気揚々と、許可が下りたことをアルスランに伝えると、さも疑わしそうに眉をひそめられた。
「……本当でしょうね?」
「本当ですよ!」
「お気持ちは大変嬉しく思いますが、殿下を危険に晒してまで、義手を欲しいとは思いません」
「十分気をつけます。鉱山といっても、実際に坑内に入るわけではないし、僕はひたすら基地に缶詰の予定ですから」
「そうはいっても、アッサラームほど設備も整っていないし、治安も悪いでしょう。私は今のままでも十分満足していますよ」
「アルスラン。うまくいけば、以前のように飛べるかもしれないんです」
「しかし……」
「ここで諦めてしまうのは、勿体ないですよ」
畳み掛ける光希を見て、アルスランは苦虫を潰したような顔をした。
「何も、無理をして今いかずとも、またの機会にしてはいけないのですか?」
「千載一遇の機会なんです。今を逃しては、次の好機がいつになるか判りません」
「貴方に何かあっては、シャイターンに顔向けできません。片腕どころか、四肢を切断されて牢獄いきになっても、文句はいえませんよ」
「恐いことをいわないでください……」
恐ろしい例えに光希は怯んだが、アルスランは真顔で続ける。
「冗談ではありません。焦っても仕方のないことです。どうか、ご自愛ください」
「それでも僕はやっぱりいきたい。アルスラン、心配だというのなら、貴方も一緒にきてください」
勢いよく頭をさげると、アルスランは周囲を気にして狼狽えた。
「殿下、お止めください」
軍部の廊下で立ち話をしている為、すれ違う軍関係者がちらちらと視線を送ってくる。承知の上で、光希は頭をさげ続けた。
「どうかご同行をお願いしますッ!」
勢いでごり押すと、やれやれ、といった風にアルスランは頷いた。
「……判りましたから、頭をあげてください」
「本当ですか?」
「ええ、同行させて頂きます」
「ありがとうございます!」
光希はぱっと顔を輝かせた。
「殿下は意外と強情な方だ。シャイターンの気苦労が窺えますよ」
ぽりぽりと頭を掻く光希を見て、アルスランは苦笑いを浮かべた。
光希の申し出もあり、割とすんなり鉱山の視察組にアルスランも編成された。他もあらかた決まると、いよいよ光希の鉱山行は確定した。
神殿の務めがある為、同行できないナフィーサは、厚い指南書をしたため、ローゼンアージュに手渡した。
「私の代わりに、殿下のお世話をお任せします。紅茶の煎れ方から、お肌の手入れまで書いてありますから、よくよく眼を通しておくように!」
と、真剣な顔つきで託すナフィーサを見て、ローゼンアージュも真顔で頷いてる。
「……いや、肌の手入れはどうでもいいから」
思わず光希が口を挟むと、ナフィーサは厳しい視線を投げてよこした。
「殿下の白い肌は、陽に弱いのです。鉱山町は空気も悪いのですから、手入れを怠ってはいけません!」
「は、はい」
気圧されて頷くと、よろしい、というようにナフィーサは頷いた。視線をローゼンアージュに戻すと、指南書の説明を再開する。
「衣装の選別に迷った時は、十一項を開いてください。室内と外出時では異なります。こちらの項目を……引用は下に番号を振ってあります」
真面目に聞き入るローゼンアージュを見て、光希は少々気の毒に思った。