アッサラーム夜想曲

響き渡る、鉄の調和 - 2 -

 十二月。
 座礁に乗りあげていた義手研究は、金属鉱山であるココロ・アセロ鉱山の一部閉鎖の通達がアッサラームにもたらされたことにより動き始めた。
 砂漠に囲まれたココロ・アセロ鉱山は良質なくろがねの産地であり、従業員数は約三千名。麓に形成された都市に暮らす血縁者や関係者を含めると、一万人を超える巨大鉱山だ。
 大小合わせて百を越える坑口のうち、特に主要とされる第一から第七の坑口がある。
 アッサラームに届けられた、第一坑口の閉鎖について記された通達の概要は、以下である。

“高品位鉱の枯渇、産出量低下に伴い、第一坑を閉口する。これ以上の採掘は崩落の危険性がある為、新たな採掘路を築くものとする”

 鉱山資源は、アッサラームにも供給されている為、鉱山組合から連絡が届いた次第である。
 第一坑は、最も古い採掘場の一つで、長期にわたって採掘が行われた結果、採掘深度が途方もなく肥大化していた。以前から危険性が指摘されており、閉口に拍車がかかったようだ。
 書簡と共に届けられた第一坑内で採掘された鉱石は、選鉱の為にクロガネ隊に渡った。
 興味本位で検分した光希は、予期せぬ拾いものに目を輝かせることになる。
 その鉱石こそ、光希達が求めていた、神力を伝播でんぱする鉄の素子を含む、柔軟性に富む素材だったのだ。
「これが欲しい!」
 と、鉱山組合では無価値とされた石の真価に気づいた光希は、即時に主張した。
 鉱山を管理しているのは、町の炭鉱夫達が運営する鉱山組合である。彼等は、豊富な鉱山資源を町の運営資金に充てていた。
 アッサラーム軍から正式に第一坑への視察を申し入れると、組合は軍が費用全額負担した上で、現場指揮に従うならと条件を提示した。
 全面的にジュリアスは肯定したものの、光希が現場へ同行することだけは渋面を見せた。
 夜も更けた頃。
 屋敷の私室で、二人は紅茶を飲みながら、今後について話していた。
「視察は送る予定ですが、同行は許可できません。必要なものを、こちらに届けさせるだけではいけませんか?」
 ジュリアスの問いに、光希は首を振って答えた。
「この目で見て確かめたいんだ。現場にいれば、採掘した鉄ですぐに実験できるし」
「やはり反対です。鉱山は今、閉口に反対する炭鉱夫達が争議を起こしていて、非常に治安が悪いのです」
「坑道で採掘された鉱石の価値は、僕が保障する。廃坑にする必要はないんだよ!」
 光希は勢いづいていった。
「とても個人的な利益追求に聞こえますよ。貴方や私が望めば、周囲にどれほどの影響を与えるか判っていますか?」
「理由もなく、贔屓しているわけじゃないよ? 多くの人を助ける為の技術進歩に繋がるんだ」
「その保障はどこにあるのです? 利益を生むまでに、あと何年かかるのですか?」
「そりゃ、具体的に計画できているわけじゃないけど」
「鉱山組合の雇用削減は、彼等の財政政策でもあります。稼働にかかる資金、貴方が赴く為にこうむる人事、視察費、予算外の研究費は、どこからどのように捻出するのですか?」
「……」
 不服げに押し黙る光希を見て、ジュリアスは幾らか視線を和らげた。
「通達の内容に、幾つか疑問があります。今、斥候せっこうに真偽のほどを探らせているので、もう少し待ってください」
「……でも、ジュリは任務でアッサラームを発つでしょう?」
「その予定です」
 報告を待っている間に、ジュリアスは国境防衛視察の為に、アッサラームを発ってしまうかもしれないのだ。
「いずれにしても、クロガネ隊は派遣されるのでしょう? なら、アルシャッド先輩もいくというし、末席でいいから僕も同行させて欲しい」
 簡単には諦められず、光希はねばった。
「光希の励む姿を見てきましたから、応援したいとは思っていますが……」
 期待のこもった眼差しを向けられて、ジュリアスは思案げに腕を組んだ。
「それにしても、アルスランの義手に、光希がそれほど心を砕くとは思っていませんでした」
 含みをもたせた物言いに、光希は小首を傾げた。
「……そう?」
「そうでしょう。寝る間も惜しんで工房に籠り、危険も顧みずに、自ら鉱山へ赴こうとする。随分と入れこんでいますね」
 気まずそうに視線を伏せる光希を見て、ジュリアスの胸中は複雑に揺れた。義手造りに心骨を注ぐ、ひたむきな姿を傍で見てきたから、応援したい気持ちは当然ある。
 しかし、鉱山は今本当に治安が悪い。あの街にはアッサラームからは想像もつかない貧民窟ひんみんくつもあるのだ。
 そういった点も心配だが、単純に面白くなかった。ジュリアス以外の誰かに心を注ぐ姿など、見ていて楽しいものではない。
 束の間の沈黙の後、心を奮い立たせて光希は顔をあげた。青い双眸を真っ直ぐに見つめて、
「この機会を逃したら、次に鉱山へ入れるのはいつになるか判らないから、いかせて欲しい。うんと気をつけるから」
「心配だと、申しあげているんです」
「い、いきたい……」
 弱気にもごもごと呟く光希を見下ろして、ジュリアスは器用に片眉をあげてみせた。
「そんな風にかわいく強請れば、私が何でもいうことを聞くと思っているのでしょう?」
「いや、思ってないよ……かわいくもないし」
「光希の願いは何でも叶えてあげたいけれど、時々、本当に悩まされます」
「ごめん……」
「心配なのです。せめて一緒にいければいいのですが、私も出兵しなければならない……だから、いかないで欲しい」
「……」
 弱り切った顔で、光希は沈黙した。
「ここにいてくれますか?」
「……できれば、いきたい」
「いかないで、とお願いしたら?」
「う……」
「光希?」
「いきたい、なぁ……?」
「……いってほしくない、なぁ?」
 口真似をするジュリアスを見て、光希はつい口元を緩めた。
「お願い、ジュリ。許可をください」
 難しい顔をしているジュリアスに身体を寄せて、光希は上目遣いに仰いだ。
「……はぁ」
「ジュリは優しいなぁ」
「なんですか、もう」
「ジュリは優しくて、強くて素敵だなぁ。幸せだ」
 甘えるようにジュリアスにしがみつくと、彼も光希の背中に腕を回して、ぎゅっと抱きしめた。
「そうですね。私は光希に甘すぎるのかもしれません。少し、厳しくした方がいいのかもしれない」
「え、嫌だ。優しいままでいて」
 思わず顔をあげると、青い瞳と視線がぶつかった。
「優しくさせてください」
「我がままが多くて、ごめんね」
「まだ許可していませんよ。準備する時間をください。話はそれからです」
 厳しい口調を装っているが、彼が最大限に便宜してくれるであろうことを予感して、光希は笑みを深めた。背伸びをして頬に口づければ、力強い腕に抱きしめられて爪先が浮く。たちまち唇を奪われて、情熱的に貪られた。