アッサラーム夜想曲
響き渡る、鉄の調和 - 1 -
期号アム・ダムール四五五年一一月ニ〇日。
茜射す工房。
作業台を囲んで幾人かの技術者が、黒い鉄 の腕を調律していた。
中心にいるのは、光希とアルシャッドだ。
彼等が造っているのは、人の上腕を模した鉄の義手である。鉄の装甲と骨組、一角獣の骨と鉄の粉末を調合して伸した人口筋肉、複雑な動きを制御する為の神経には、竜の鬣 を用いている。
この二年。思考錯誤を続けながら、光希を中心に、クロガネ隊は総力をあげて取り組んだ。
その結果、義手造りは目覚ましい成果を遂げた。
繊細な動きはまだ難しいが、人の意志を伝播 して自在に動く。電子回路もないのに無機質な腕に神の加護――命を宿したのである。
外見の補完や躰の平衡 調整は然り、日常生活の支援補佐であれば、十分な精度に達していた。
既に実用に向けた試験段階に入っており、二ヵ月前からアルスランに装着を依頼している。
しかし、関節に不具合をきたす点と、装着から七日前後で意志の伝播 が滞る大きな課題を抱えていた。日々の調律が必要不可欠で、その頻度はかなり短い。調律できる技術者が傍にいない場合、義手は使い物にならなかった。
「あぁ、やはり関節神経が擦り切れていますね」
丸眼鏡の奥で、アルシャッドは眼を眇めた。光希も顔を寄せて覗きこむと、細部まで分解された様子を見てとり、感嘆に目を見開いた。
「本当だ。よく見つけましたね! さすがだなぁ……」
義手の原案は光希だが、そこから改良に改良を重ねて、精巧な骨組みと神経線の調和を生みだしたのは、アルシャッドだ。張り巡らせた神経線は、もはや神の領域である。
「いえいえ……アルスラン殿も大分、義手に慣れてきたご様子。指の関節神経に影響を及ぼしているということは、彼が指の動きを駆使できている証拠です」
「神経の耐久性が、増々課題になってきますね……」
ふぅ、と光希は息をついた。アルスランの意志の伝播 は上達しても、肝心の器が応えられないのだ。義手の痛みやすさは、最重要課題であった。
「日常の補佐としてなら、十分活用できる精度に達しておりますよ」
「うーん……」
光希は天井を仰いで小さく唸った。
当初は血の通わぬ義手に、ここまでの精度を求めてはいなかった。想像以上の成果をあげたことは確かだ。
だが、鉄 の研究を続けるうちに、更なる可能性が見えてきたのだ。諦めるには惜しい。
本人は口にしないが、アルスランを飛竜隊に完全復帰させてやれるかもしれないのだ。
「実戦に耐えうる複雑な動きを実現するには、限界があるでしょう」
胸中を読んだように、アルシャッドはいった。
「関節負荷を改善できればなぁ……もっと丈夫な神経線の代わりがあればいいんだけど」
「竜の髭は鉄 と相性がいいですし、伝播 にも欠かせませんよ。問題は、関節側にあるように思えます」
「関節側に?」
「はい。今のままでは、関節が強すぎて、集約される神経、筋肉が負けてしまうのです。硬質はそのままに、柔軟性に富む鉄 に変わる素材があれば、耐久性は良くなるかもしれませんねぇ……」
疑問を投じられ、作業台を囲む全員が、各々考えこむように唸った。耐久性の課題は、全員の頭を悩ませていた。
数日後。
工房の戸口に現れたアルスランを振り返り、光希は破顔した。
「アルスラン! お帰りなさい」
「ただいま戻りました」
三十日あまり、彼は任務でアッサラームを離れていた。
東の大国、サルビアの出兵を知った上層部は、百あまりの小隊を偵察に向かわせた。総指揮をジャファール、副官をアルスランが務めたのである。
素早く彼の全身に目を走らせた光希は、彼がどこにも怪我を負っていないことを確認して、安堵の息をついた。
「良かったぁ、無事で」
ほっとしたように光希がいうと、アルスランはほほえんだ。
「ありがとうございます。今回は偵察だけで済みましたよ」
隻腕の将軍に気がついて、工房は俄かに騒がしくなる。サイードも書類を放って近くにやってきた。
「おぅ、久しぶりだな。どうだった?」
禿頭 で隻眼 の巨漢が笑うと、益々山賊じみて見えるが、アルスランは親しみのこもった笑みを返した。
「ああ、問題ない。東も偵察が目的で、一合 もせずに引き返していった。進軍は先ずないだろう」
集まっていた面々は、吉報を聞いて表情を緩めた。アルシャッドも安堵したような顔で、ご無事で良かった、とアルスランに声をかけた。
「さぁ、こちらへ。調律は済んでいますよ」
「助かる」
「先ずは診察しましょう。肩を見せてください」
アルシャッドがいうと、アルスランは即時に応じた。少し離れたところで、光希もその様子を見守る。
幸いにして切断面は綺麗な平面だが、盛りあがった皮膚は柔く弱い。最初は、義手を装着する度に皮膚を傷つけてしまっていた。
間もなく装着を終えたアルスランは、確かめるように指先を動かし、満足そうに頷いた。
「いつも悪いな。これがあると助かる」
「感謝しろよ」
サイードがからかうと、アルスランも笑みを零しながら頭をさげた。光希も笑いながら、その様子を眺めていた。
しかし任務に先立ち彼は、義手を置いていったのだ。そのことを、光希は密かに残念に思っていた。
茜射す工房。
作業台を囲んで幾人かの技術者が、黒い
中心にいるのは、光希とアルシャッドだ。
彼等が造っているのは、人の上腕を模した鉄の義手である。鉄の装甲と骨組、一角獣の骨と鉄の粉末を調合して伸した人口筋肉、複雑な動きを制御する為の神経には、竜の
この二年。思考錯誤を続けながら、光希を中心に、クロガネ隊は総力をあげて取り組んだ。
その結果、義手造りは目覚ましい成果を遂げた。
繊細な動きはまだ難しいが、人の意志を
外見の補完や躰の
既に実用に向けた試験段階に入っており、二ヵ月前からアルスランに装着を依頼している。
しかし、関節に不具合をきたす点と、装着から七日前後で意志の
「あぁ、やはり関節神経が擦り切れていますね」
丸眼鏡の奥で、アルシャッドは眼を眇めた。光希も顔を寄せて覗きこむと、細部まで分解された様子を見てとり、感嘆に目を見開いた。
「本当だ。よく見つけましたね! さすがだなぁ……」
義手の原案は光希だが、そこから改良に改良を重ねて、精巧な骨組みと神経線の調和を生みだしたのは、アルシャッドだ。張り巡らせた神経線は、もはや神の領域である。
「いえいえ……アルスラン殿も大分、義手に慣れてきたご様子。指の関節神経に影響を及ぼしているということは、彼が指の動きを駆使できている証拠です」
「神経の耐久性が、増々課題になってきますね……」
ふぅ、と光希は息をついた。アルスランの意志の
「日常の補佐としてなら、十分活用できる精度に達しておりますよ」
「うーん……」
光希は天井を仰いで小さく唸った。
当初は血の通わぬ義手に、ここまでの精度を求めてはいなかった。想像以上の成果をあげたことは確かだ。
だが、
本人は口にしないが、アルスランを飛竜隊に完全復帰させてやれるかもしれないのだ。
「実戦に耐えうる複雑な動きを実現するには、限界があるでしょう」
胸中を読んだように、アルシャッドはいった。
「関節負荷を改善できればなぁ……もっと丈夫な神経線の代わりがあればいいんだけど」
「竜の髭は
「関節側に?」
「はい。今のままでは、関節が強すぎて、集約される神経、筋肉が負けてしまうのです。硬質はそのままに、柔軟性に富む
疑問を投じられ、作業台を囲む全員が、各々考えこむように唸った。耐久性の課題は、全員の頭を悩ませていた。
数日後。
工房の戸口に現れたアルスランを振り返り、光希は破顔した。
「アルスラン! お帰りなさい」
「ただいま戻りました」
三十日あまり、彼は任務でアッサラームを離れていた。
東の大国、サルビアの出兵を知った上層部は、百あまりの小隊を偵察に向かわせた。総指揮をジャファール、副官をアルスランが務めたのである。
素早く彼の全身に目を走らせた光希は、彼がどこにも怪我を負っていないことを確認して、安堵の息をついた。
「良かったぁ、無事で」
ほっとしたように光希がいうと、アルスランはほほえんだ。
「ありがとうございます。今回は偵察だけで済みましたよ」
隻腕の将軍に気がついて、工房は俄かに騒がしくなる。サイードも書類を放って近くにやってきた。
「おぅ、久しぶりだな。どうだった?」
「ああ、問題ない。東も偵察が目的で、
集まっていた面々は、吉報を聞いて表情を緩めた。アルシャッドも安堵したような顔で、ご無事で良かった、とアルスランに声をかけた。
「さぁ、こちらへ。調律は済んでいますよ」
「助かる」
「先ずは診察しましょう。肩を見せてください」
アルシャッドがいうと、アルスランは即時に応じた。少し離れたところで、光希もその様子を見守る。
幸いにして切断面は綺麗な平面だが、盛りあがった皮膚は柔く弱い。最初は、義手を装着する度に皮膚を傷つけてしまっていた。
間もなく装着を終えたアルスランは、確かめるように指先を動かし、満足そうに頷いた。
「いつも悪いな。これがあると助かる」
「感謝しろよ」
サイードがからかうと、アルスランも笑みを零しながら頭をさげた。光希も笑いながら、その様子を眺めていた。
しかし任務に先立ち彼は、義手を置いていったのだ。そのことを、光希は密かに残念に思っていた。