アッサラーム夜想曲

織りなす記憶の紡ぎ歌 - 2 -

 更に二十日余り。
 事態は芳しくなく、水不足の為の断水で、砂漠の一部の地区で給水制限がされるまでになった。
 事態を重んじた神殿の面々は、光希にオアシスへの同行を願えないかサリヴァンに申し入れ、彼の口からジュリアスへと伝えられた。
 その日、朝から軍議を執り仕切っていたジュリアスは、老師の訪問を受けて、彼を執務室に案内した。
「難しい状況です。次の雨乞いの儀は、殿下にも私と共に手を合わせていただけないでしょうか?」
 頭を下げる師の姿を見て、ジュリアスは小さく息をついた。予測していなかったわけではない。厳しい星詠みの状況から、サリヴァンが説きにくるのは時間の問題だと考えていた。
「……承服すべきと判ってはいるのですが、の地へ光希を連れていくのは、あまり気が進みません」
 サリヴァンは判っている、というように深く頷き、
「泉は枯渇しておりますし、なかへ入られる必要はありませぬ。傍に祭壇を整えます故」
 穏やかな声でいった。ジュリアスは彼をじっと見つめ、
「……以前、今回の東西大戦では、シャイターンがより大きな犠牲を払ったのではないかと話していましたね」
「はい」
「地上では西が決勝しましたが、天空では果たして今どちらが優勢なのだと思いますか?」
「天の事象を推し量ろうとすれば、夜が明けてしまいますよ」
 師の言葉に、ジュリアスは憂鬱そうに息を吐いた。
「なぜ光希なのか。呪縛があるとすれば、私を狙えば良いものを」
「星の巡り逢いを果たした二人です。どちらに難が降り懸かろうとも、共に在れば脅威は退けられるでしょう」
 沈黙が流れる。
 ジュリアスは腕を組み、窓の外を眺めながら黙考した。できれば避けたい事態だが、他にいい案が思い浮かびそうにない。振り向くと、師と目があった。心を決めて口を開く。
「判りました。私もいきます。急いで日程を調整しますので、少し時間をください」
 サリヴァンは思慮深い眼差しで受けとめ、ジュリアスの心中を察して、深く頭をさげた。
 大神殿から、鐘の音が聞こえてくる。
 サリヴァンを見送ったあと、ジュリアスは軍議に戻らず、遥かな尖塔の上に立っていた。
 西に傾く陽は、豊かな聖都を黄金こがね色に染めあげている。
 美しい眺望に心を洗われながら、過ぎ去りし激動の日々を思う。
 聖戦を越えて、幾千夜を越えて光希に巡り逢い、かつてない規模の東西大戦に決勝した。
 アッサラームに凱旋して、穏やかな日々を過ごすものと考えていたが、時折、燃え立つような闘いへの衝動を感じることがある。
 あまりにも長く、戦場にいすぎたせいだろうか……
 闘うことがしみついてしまって、永く続く穏やかな日々というものを、ジュリアスはもう、想像できなくなってしまっていた。
 冥府の神が、砂漠を脅かす。
 そう考えた時、ほむらが鉄をあぶるように、身の内で神力が昂るのを感じる。
 冥府の神が脅かさんとしていても、ジュリアスに宿る神力が翳ったわけではない。大戦を終えて、神力は身体の隅々まで満ちているくらいだ。
「光希を連れていけ、そうおっしゃるのか……」
 雲間から射す茜に、声なき神託を感じ取り、ジュリアスは独りごちた。

 事態は動きだす。
 一連の話を聞いた光希は、間髪を入れずに了承した。
 困窮する状況に助力したい気持ちが半分、もう半分は、蒼い星を映す泉に郷愁を覚えたから――
 夜の静寂しじまに、光希はテラスで頬杖をつき、蒼い星に想いを馳せていた。
(オアシスで過ごした日々を、もう随分と昔に感じる……)
 心を遠くへ飛ばしていると、ふいに頬を撫でられた。澄んだ青い瞳と目があう。ジュリアスの不安な気持ちを汲んで、光希は安心させるようにほほえんだ。
「大丈夫だよ。もう帰りたいなんて、いわないから」
 ジュリアスはわずかに目を細め、躊躇うように唇を開いた。
「この先、どんな啓示を受けたとしても、必ず私の傍にいてくださいね」
「いるよ。どこにもいかない……」
 言葉は、優しい口づけに吸いこまれた。啄むような触れあいを重ねて、顔を離す。言葉よりも悠然な眼差し。互いの瞳に映る想いを確かめて、もう一度。
(好きだよ、ジュリ)
 後頭部を手で支えられ、腰を引き寄せられると、光希もジュリアスの背に腕を回した。
 やがて二人は、深い口づけに溺れていった。