アッサラーム夜想曲

織りなす記憶の紡ぎ歌 - 1 -

 ――期号アム・ダムール四五四年六月。

 アッサラームより南東の小さな集落は、稀に見る大旱魃かんばつに見舞われた。
 オアシスの地下水を延々と集落まで引いて、井戸から汲みあげているのだが、数ヶ月に及ぶ厳しい日照りが、供給源たるオアシスを枯渇させた。
 そのオアシスこそ、光希がアッサラームに導かれた始まりの場所である。
 天候を読むのは大神殿に従事する、星詠神官メジュラの仕事である。神力に長けた者であれば、祈祷を用いて、晴れた空に雨雲を呼こともできる。
 宝石持ちであるサリヴァンは、星詠神官の最高位神官シャトーウェルケに就いており、祈祷における達人でもあった。彼は三度に渡り雨を呼んだが、その地に根づく不運の連鎖は深く、一時潤っても、すぐにまた枯れてしまう。
 この事態を、最も完結に、つ奇妙珍事のように結論づけたのは、アースレイヤだ。
 いわずもがな、海で隔たれた広大な大地を、それぞれの神が守護している。
 覇を競う二神は、互いの守護大地を脅かさんとし、先の東西大戦では西が決勝した。面白くない東の神、冥府のハヌゥアビスは腹いせに、嫌がらせを仕掛けているのだ――そう彼はいった。
 まるで呪いではないか……不安を掻き立てられた光希は、祭壇で密かに交わしたこの話を、サリヴァンにも話した。彼は笑わなかった。むしろ厳しい顔つきで肯定した。
「長い歴史を紐解けば、大戦に勝利した国には、しばしば不遇が続きます」
「不遇?」
「然様。大戦に勝利しても、勢力範囲を伸ばせぬ最大の要因がこれです。勝利した国には、天災や事故といった不運が重なり、侵略の機会を阻まれるのです」
 師の言葉に、光希は唖然とした。
「では、アッサラームに試練が課せられると?」
 サリヴァンは重々しく頷き、
「旱魃、嵐、内乱……様々な不遇に治世を乱される。栄華を築いても、勢力範囲を伸ばすには至らないのです」
「やっと、大戦を乗り切ったのに……」
 自然界の現象だと思っていたが、まさか、本当に自然外の力が働いているのだろうか?
「夜空にあまねく大海原にどれだけ目を凝らしても、地上にいては天のことわりを紐解けはしません。これは仮説ですが、東西大戦を決勝に導く為に、今回は、シャイターンがより大きな犠牲を払ったのではないかと考えております」
「犠牲……」
「連綿と続く東西の拮抗を考えると、強大な神においても、何らかの制約がある可能性が考えられます。全面戦争で決勝しても、勢力範囲を伸ばせない。勢いを殺がれる何らかの制約により、もう一方が力が蓄え……戦力が再び拮抗した時に、激突は起こるのではないかと」
「……」
「地上では西が決勝しても、天空ではハヌゥアビスが余力を残しているのかもしれません」
 その荒唐無稽にも取れる説を、光希はどう受け止めればよいか判らなかった。ただ漠然と、シャイターンの払った犠牲とは、時空を越えて、光希を呼んだことではないか……そんな不安に駆られた。
 黙りこくった蒼白な顔を見て、サリヴァンは心中を察したように、皺の浮いた手を光希の肩に乗せた。
「殿下。貴方がこの地にいらしたのは、紛れもなく、アッサラームの思し召しです。その点において、不安に思うことは何一つありませぬ」
 光希は項垂れた。
「……僕の力では、計り知れないことが多過ぎて、時々、無力感に打ちのめされそうになります」
「貴方は、尊い天上人であると同時に、アッサラームの民でもある。地上と天空に住む二人のシャイターンは、必ず殿下をお守りしてくださるでしょう」
 その言葉には思い遣りがあり、光希は不安を抱きながらも小さく頷いた。

 その日の夜。クロッカス邸の団欒の一時に、光希は昼間サリヴァンに訊ねたことを、ジュリアスにも訊いてみた。
「確かに、宿敵は討ち取りましたが、冥府の神は牽制を仕掛けてくるかもしれません」
「そんな!」
「東西大戦のような衝突には至りませんよ。ただ、師のいう通り、アッサラームへの試練は続くかもしれませんね」
 黙す光希を見て、ジュリアスは安心させるようにほほえんだ。
「案じても、時に試練は訪れるものです。これまでも二人で乗り越えてきたではありませんか。今回も同じことです。ね?」
「……うん」
 光希は力なく頷いた。ジュリアスは光希の両手を掬い取ると、励ますように小さく揺らした。そのまま腕を引いて、広い胸に抱きとめる。
 何事も起きなければいい――祈りながら、優しい腕のなかで光希は瞳を閉じた。