アッサラーム夜想曲

幕間 - 1 -

聖都への帰還

 アッサラーム防衛戦。開戦から三年。
 十万ものサルビア軍勢に勝利したアッサラーム軍は前線から二ヵ月かけて、ついに蜃楼かいやぐらに揺れる聖都アッサラームを視界に仰いだ。

 澄明ちょうめいな天空に伸びる、金色の尖塔せんとう
 聖都を眼前に、万もの隊伍たいごは整然と列を成している。
 ジュリアスはコーキを伴い、勇壮華美な四足騎竜の背にあった。隊伍の先頭に立ち、今まさに号令をかけようとしている。
 後ろには、共に万の軍勢を率いた大将――アーヒムとヤシュムがいる。彼等は青い双龍の軍旗と共に、戦死した総大将の旗を掲げていた。
 準備は良いかと視線で問えば、いつでも、と力強い視線が返る。

「全軍、前進!」

 号令をかけると、総勢一万を超える兵は、各隊ごとに分列行進を開始した。
 勇ましい蹄鉄や軍靴ぐんかの音が、蒼穹の彼方まで高らかに響き渡る。
 巨大な石造りの凱旋門を抜けた途端に、視界を埋め尽くさんばかりの、色鮮やかな花びらが宙を舞った。
 花道の左右にはずらりと人が並び、通路の狭間や窓、屋根、あらゆる所から花びらの雨を降らせている。

「「アッサラーム・ヘキサ・シャイターン万歳ドミアッロ!!」」

「「神剣闘士アンカラクス万歳!!」」

 盛大な歓声に、ジュリアスは腕を上げて応えた。
 シャイターンの花嫁ロザインをアッサラームに迎える吉報は、既に周知されている。婚姻を祝福する声はいたるところからかけられた。
 隣に立ち、ジュリアスを見上げる黒水晶のような眼差しには、賞賛の色が浮かんでいる。他の誰でもない、コーキから尊敬を寄せられることが、何よりも誇らしかった。

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 アルサーガ宮殿の正門に入ると、盛大に祝砲が打ち上げられた。
 緊張するコーキを伴い、皇帝の待つ玉座へ歩み寄る。年老いても尚、叡知を湛える瞳には労わりの色が浮かんでいた。
 皇帝の隣には、胸に大将の階級章をつけた優雅な男――アースレイヤがいる。虫も殺せぬ典雅な風情だが、この男には何度も命を狙われてきた。
 つい先日もアッサラームに戻る道すがら、刺客に襲われたばかりだ。無論、そんなものに倒されるジュリアスではない。全て返り討ちにしてやった。
 心情を押し隠して軍旗を手にすると、儀礼に則り両手で捧げた。

「陛下、ありがたいお言葉、軍を代表してお礼申し上げます。勝利へと導いた軍旗を、謹んでお返しいたします」

「うむ……長きに渡る遠征、大義であった!」

 皇帝が旗を高く掲げて応えると、再び祝砲が上がり、大地を揺るがすような歓声が湧き起こった。

「おめでとうございます、シャイターン。可愛らしい花嫁を見つけましたね」

 アースレイヤは朗らかな笑みを浮かべていった。余裕綽々よゆうしゃくしゃくの態度だが、この男の胸の内など知れたものではない。

「ええ、本当に。砂漠を駆けた甲斐がありました。身に余る幸運を神に感謝しております」

 笑みを顔に貼りつけながら、ふと思う。ジュリアスは花嫁を得て、皇帝に次ぐ神剣闘士に昇格するわけだが……この男は暗殺に失敗したことを惜しんではいないのだろうか? どうにも調子の狂う相手だ……
 ともかく、役目は終えた。
 公宮に続く、重々しい鉄扉てっぴを開く。この先は限られた人間しか足を踏み入れることはできない。
 春風駘蕩しゅんぷうたいとうたる、常世の楽園。
 ジュリアスは十三の頃から、シャイターンの御子として公宮を抱えていた。着飾った宮女達にさして興味は無かったが、この美しい庭園は好ましい。
 葉色はオーロラのように重なり、薔薇やルピナス、アリウム、アルケミラ・モリス……たくさんの花が咲いている。
 風に運ばれて薔薇の香りが漂い、コーキは誘われるように微笑んだ。

「すごい……花の香り」

 眼を輝かせて、視線を彷徨わせている。好奇心を抑えきれない様子に、ジュリアスも笑みを誘われた。
 アール川のほとりにある、公宮の敷地内に建てた新居を見て、コーキは目を瞠った。

「うわあーっ」

 嬉しそうにはしゃぐ様子を見て、ジュリアスは満足した。彼の為に立てた館だ。ここでの暮らしを気に入ってくれるといい。
 実はジュリアスも、屋敷を見るのは始めてである。
 遠くから建造指示は出していたし、神眼で見ることもあったが、こうして目の前にすると実感が違う。素晴らしい出来栄えに、現場指揮を任せていた腹心の部下や、職人達に尊敬と感謝の念を抱いた。
 アール川を望める二階に案内すると、コーキはテラスに出るなり歓声を上げた。

『*******』

 天上の言葉を口ずさみ、鎖で吊るされたソファーブランコに嬉々として座る。笑顔のままジュリアスを振り返ると、眼を輝かせて手招いた。
 誘われるまま隣に座り、背中に腕を回すと、照れたように黒い瞳は揺れた。
 ようやく二人になれた。手の届く距離にコーキがいる……
 頬を挟んで唇を重ねると、色づいた唇から吐息が漏れた。押さえていた欲望を刺激される。
 口づけを深めると、不安定な体勢を支えるように、腕にしがみついてきた。頼りない腕や仕草に愛しさがこみあげる。

「ずっとこうしたかった……」

 耳朶に囁くと、コーキは勢いよく視線を逸らした。どれだけ抱いても、彼の初々しい反応は変わらない。ジュリアスよりも年上だと聞いているが、とてもそうには見えない。
 コーキの為に造った浴室を見て欲しくて、一緒に入ろうと誘うと恥ずかしそうに視線を逸らされた。
 つい構い過ぎてしまうのは、そんなかわいらしい反応を見たいからかもしれない。
 柔らかな身体を抱きしめながら、諦めていた未来に思いを馳せる。
 朝にはコーキの隣で目を覚まし、共に食事をして紅茶を飲む。
 昼には庭を並んで歩き、夕暮が濃くなれば、テラスで夕涼みをして、夜には灯をともして団欒する。
 そして清かな明かりの下、コーキを腕に抱きながら眠りにつくのだ。

 もし、花嫁に出会えたら――シャイターンは、願いを叶えてくれた。

 神はアッサラームをよみしたもう。
 そうと信じる。
 この先に、どれだけの艱難辛苦かんなんしんくがあろうとも構わない。コーキさえいてくれるのなら――万里の波濤はとうをも越えてゆける。