アッサラーム夜想曲
第3部:アッサラームの獅子 - 40 -
クロガネ隊はようやく落ち着きを取り戻した。
修羅場疲れしていたアルシャッドも、すっかり元気だ。ちなみに、彼は先日、伸び過ぎた前髪を自分で適当に切ったらしく、大変なことになっていた。
それはさておき――
光希は要望の多いイニシャルチャームの受注を再開すると共に、ローゼンアージュとアルシャッドの三人で、折りたたみナイフを更に進化させた、携帯ツールナイフの改良に熱中していた。
光希の中で、多目的ツールナイフの代名詞といえば、スイス・アーミーナイフである。十字ロゴの入ったナイフは世界的に有名だ。
そこからヒントを得て、両サイド折りたたみ式の様々なナイフが飛び出す、まさに工具箱のような携帯ツールナイフを考えた。
現在試作を重ねていて、サイードも注目してくれている。もしかしたら軍で採用されるかもしれない。
しかし、武器開発に熱中する自分をふと顧みて、手が止まりそうになることもあった。
この間も、鋸刃 つきのサバイバルナイフを閃いて、いそいそと図案を起こそうとしたところで、ふと我に返った。
当然のことだが、剣は、人を殺める殺傷武器だ。
光希がいくら日常用途向きに考えたところで、この世界で刃は、命を奪い、奪われるものだ。ましてや軍で採用が決まれば、肉弾戦になった時、最後の武器として使われる可能性がある。
またしても手を止めた光希を見て、ローゼンアージュは視線で問いかけた。
「血を見るのも怖いくせに、より便利で強い武器を作ろうとしている。僕は矛盾だらけだ……」
彼は不思議そうに首を傾げたが、隣で聞いていたケイトは気遣うように口を挟んだ。
「お気持ちは判ります……俺も本当は、殺されるより、殺すことの方が怖いから」
「殺すか殺されるかの二択なら、僕は殺すことを選びます」
清廉と告げた。少年の澄明 な眼差しを、光希に否定することはできない。
しかし――
一度芽生えた葛藤は、武器造りの熱意に影を落とした。
アルシャッドは葛藤する光希を見て、製鉄班の工房見学に誘った。
製鉄班の工房は、千五百度を越える炎から身を守る為、特殊な全身防御服を着なくてはならない。重量がある上に体感温度は六十度を越える。ただ部屋にいるだけで、体力を消耗していく過酷な現場だ。
しかし、鍛冶師が熱した鉄 を叩く光景は圧巻で、心を奪われた。
叩かれるごとに、朱金の眩い火花を散らせて、戛然 と音を響かせる。
打ち延ばし、鍛え抜かれるうちに、鉄は美しく見事な刀身へと姿を変えてゆく。
そうして仕上がった刀身を研師が磨き、鞘師の作る鞘に刀身が納まるよう、白銀師が調整する。
一つの武器が完成するまでに、驚くほど多くの人間が関わっていた。
それぞれの職人が身骨を注ぎ、魂を吹き込んだ鉄に、細工師は彫刻を施すのだ。
クロガネ隊には、全ての職人が揃っている。
一連の流れを理解すると、鉄に神気が宿るのも頷ける気がした。
これまで漠然と、この地に宿る神秘が働いているのだと考えていたが、一人一人が魂を吹き込むからこそ、柄 にした時に力を宿すのだ。
エネルギーを拾い集めて形にしているのは、紛れもない人の手。
重たい防護服を脱いだ後は、ぐったりと倒れそうになってしまったが、素晴らしい体験をした。
どうしようもなかった葛藤も、幾らか和らいだ。鉄を触る仕事が好きだ――恐るべき武器なのだとしても、関わっていたい。そう気付かされた。
「今日はありがとうございました」
アルシャッドに心から感謝を告げると、彼はとても優しいほほえみをくれた。前髪が大変なことになっていなければ、ときめいていたかもしれない。
+
日々は流れてゆく。
工房で作業している間は忘れていられても、夜一人きりになると、寂しさが募った。
恋しく想うあまり、ジュリアスの姿を夢現 に見る夜もあった。
幻の向こうで、ジュリアスは岩場に腰を下ろして、眼を閉じていた。綺麗な寝顔を眺めていると、瞳を開けて、光希? と名を呼んだ。
――そうだよ……元気?
ジュリアスは優しくほほえんだ。
「元気ですよ。光希は?」
――俺も元気だよ……ご飯は? ちゃんと食べてる?
「食べてますよ。光希は?」
――俺も食べてる……ちゃんと寝てる?
「倒れない程度には。光希は?」
――寝てる……今もたぶん、寝てる……?
「……会いにきてくれて、ありがとう」
――俺も会いたかった……いつ帰ってくるの?
「もうすぐです。あと七日くらい」
――判った……
ジュリは手を伸ばすと、寂しそうにほほえんだ。
「そこにいるって、何となく判るんですけど……触れられない」
そういわれた瞬間、ジュリアスに触れたいと思った。
青い双眸は驚きに見開かれる。ジュリアスに伸ばした手は透けていたけれど、触れることができた。
ジュリアスは両手で光希の頬を挟むと、顔を傾けて唇を重ねた。唇の柔らかい感触が伝わる……
(いい夢だなぁ……)
眼が覚めた時、思わず唇に触れた。ジュリアスの姿を見ることができたのは、サーベルに入れた名前のおかげかもしれない。
アッサラーム流にいえば、これもアッサラームの思し召しなのだろう。
+
七日後。
ノーグロッジ作戦任務を無事に終えた飛竜隊は、アッサラームへ帰還した。
およそ二百余名が命を落としたが、数千から成る全隊としてはほぼ無傷に等しかった。
狙いは、中央大陸の渓谷を超低空飛行で翔け抜けることが可能かどうか、経路確保を探ることにあり、結果として十分成功といえるものであった。
無人の断崖絶壁に拠点を置ければ、奇襲戦に長けた山岳民族との衝突を避け、かつ東からサルビア軍が攻めてきた際、中央大陸で迎撃できる利点がある。
史上に類を見ない、大戦が迫りつつあった。
修羅場疲れしていたアルシャッドも、すっかり元気だ。ちなみに、彼は先日、伸び過ぎた前髪を自分で適当に切ったらしく、大変なことになっていた。
それはさておき――
光希は要望の多いイニシャルチャームの受注を再開すると共に、ローゼンアージュとアルシャッドの三人で、折りたたみナイフを更に進化させた、携帯ツールナイフの改良に熱中していた。
光希の中で、多目的ツールナイフの代名詞といえば、スイス・アーミーナイフである。十字ロゴの入ったナイフは世界的に有名だ。
そこからヒントを得て、両サイド折りたたみ式の様々なナイフが飛び出す、まさに工具箱のような携帯ツールナイフを考えた。
現在試作を重ねていて、サイードも注目してくれている。もしかしたら軍で採用されるかもしれない。
しかし、武器開発に熱中する自分をふと顧みて、手が止まりそうになることもあった。
この間も、
当然のことだが、剣は、人を殺める殺傷武器だ。
光希がいくら日常用途向きに考えたところで、この世界で刃は、命を奪い、奪われるものだ。ましてや軍で採用が決まれば、肉弾戦になった時、最後の武器として使われる可能性がある。
またしても手を止めた光希を見て、ローゼンアージュは視線で問いかけた。
「血を見るのも怖いくせに、より便利で強い武器を作ろうとしている。僕は矛盾だらけだ……」
彼は不思議そうに首を傾げたが、隣で聞いていたケイトは気遣うように口を挟んだ。
「お気持ちは判ります……俺も本当は、殺されるより、殺すことの方が怖いから」
「殺すか殺されるかの二択なら、僕は殺すことを選びます」
清廉と告げた。少年の
しかし――
一度芽生えた葛藤は、武器造りの熱意に影を落とした。
アルシャッドは葛藤する光希を見て、製鉄班の工房見学に誘った。
製鉄班の工房は、千五百度を越える炎から身を守る為、特殊な全身防御服を着なくてはならない。重量がある上に体感温度は六十度を越える。ただ部屋にいるだけで、体力を消耗していく過酷な現場だ。
しかし、鍛冶師が熱した
叩かれるごとに、朱金の眩い火花を散らせて、
打ち延ばし、鍛え抜かれるうちに、鉄は美しく見事な刀身へと姿を変えてゆく。
そうして仕上がった刀身を研師が磨き、鞘師の作る鞘に刀身が納まるよう、白銀師が調整する。
一つの武器が完成するまでに、驚くほど多くの人間が関わっていた。
それぞれの職人が身骨を注ぎ、魂を吹き込んだ鉄に、細工師は彫刻を施すのだ。
クロガネ隊には、全ての職人が揃っている。
一連の流れを理解すると、鉄に神気が宿るのも頷ける気がした。
これまで漠然と、この地に宿る神秘が働いているのだと考えていたが、一人一人が魂を吹き込むからこそ、
エネルギーを拾い集めて形にしているのは、紛れもない人の手。
重たい防護服を脱いだ後は、ぐったりと倒れそうになってしまったが、素晴らしい体験をした。
どうしようもなかった葛藤も、幾らか和らいだ。鉄を触る仕事が好きだ――恐るべき武器なのだとしても、関わっていたい。そう気付かされた。
「今日はありがとうございました」
アルシャッドに心から感謝を告げると、彼はとても優しいほほえみをくれた。前髪が大変なことになっていなければ、ときめいていたかもしれない。
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日々は流れてゆく。
工房で作業している間は忘れていられても、夜一人きりになると、寂しさが募った。
恋しく想うあまり、ジュリアスの姿を
幻の向こうで、ジュリアスは岩場に腰を下ろして、眼を閉じていた。綺麗な寝顔を眺めていると、瞳を開けて、光希? と名を呼んだ。
――そうだよ……元気?
ジュリアスは優しくほほえんだ。
「元気ですよ。光希は?」
――俺も元気だよ……ご飯は? ちゃんと食べてる?
「食べてますよ。光希は?」
――俺も食べてる……ちゃんと寝てる?
「倒れない程度には。光希は?」
――寝てる……今もたぶん、寝てる……?
「……会いにきてくれて、ありがとう」
――俺も会いたかった……いつ帰ってくるの?
「もうすぐです。あと七日くらい」
――判った……
ジュリは手を伸ばすと、寂しそうにほほえんだ。
「そこにいるって、何となく判るんですけど……触れられない」
そういわれた瞬間、ジュリアスに触れたいと思った。
青い双眸は驚きに見開かれる。ジュリアスに伸ばした手は透けていたけれど、触れることができた。
ジュリアスは両手で光希の頬を挟むと、顔を傾けて唇を重ねた。唇の柔らかい感触が伝わる……
(いい夢だなぁ……)
眼が覚めた時、思わず唇に触れた。ジュリアスの姿を見ることができたのは、サーベルに入れた名前のおかげかもしれない。
アッサラーム流にいえば、これもアッサラームの思し召しなのだろう。
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七日後。
ノーグロッジ作戦任務を無事に終えた飛竜隊は、アッサラームへ帰還した。
およそ二百余名が命を落としたが、数千から成る全隊としてはほぼ無傷に等しかった。
狙いは、中央大陸の渓谷を超低空飛行で翔け抜けることが可能かどうか、経路確保を探ることにあり、結果として十分成功といえるものであった。
無人の断崖絶壁に拠点を置ければ、奇襲戦に長けた山岳民族との衝突を避け、かつ東からサルビア軍が攻めてきた際、中央大陸で迎撃できる利点がある。
史上に類を見ない、大戦が迫りつつあった。