アッサラーム夜想曲
ノーヴァ海岸防衛戦 - 3 -
遠くの孤島から、闇夜に光り輝く烽火 が立ち昇る。ノーヴァの空を翔ける味方の斥候 からの、敵襲の知らせである。
ルーンナイトは将達を天幕に呼んだ。その中には、元ノーヴァ兵を束ねる将も交じっている。
「明け方には衝突するだろう。全員、準備はいいか?」
「いつでも――」
全員が瞳に闘志を宿して、深く頷いた。
特に元ノーヴァ兵の瞳は昏い。消えることのない、サルビアへの報復の炎がちらついている。
「サルビアめ……勢いづきおって大した自信だ」
一人が忌々しそうに吐き捨てると、周囲から同調する声が次々と上がった。
「侮っていられるのも、今のうちだ」
「士気はこちらも十分高い。油断しているサルビア軍を噛み砕いてみせよう」
「そうだ、ここをサルビアの死地に変えてやる」
士気は高い。アッサラーム軍は死にもの狂いでサルビアに襲いかかるだろう。ここを抜かれたら、アッサラームが落ちることを全員が理解しているのだ。
「機動の早さは自信がある証拠だ。向こうは、ジャファールとアルスラン、空の二柱を仕留めたことで気が大きくなっている……だが、彼等は決して敗軍の将ではない」
決然とした響きで否定すると、将達もすぐに首肯した。
「おぉっ」
「もちろんです」
「見よ――託された計略図には、アッサラームに迫る危機を回避すべく、確かな活路が記されている。彼等が最後まで部下を想い、アッサラームを想っていた証拠だ」
ノーヴァの地図の上に、アルスランの手記、そしてジャファールの残した計略図を拡げると、全員が悔しそうに顔を歪めた。元ノーヴァ兵は視界を潤ませて、仕えた主君の直筆を食い入るように見つめている。
「あの死地にいて、最期まで諦めなかったのだ。懲罰があるわけでもないのに、逃げるを良しとせず、ノーヴァに多くの同胞が散ったのは、アッサラームへの想いばかりではない。先頭を駆ける将の背中を、全員が迷わず見続けたからだろう」
彼等は誰もが認める、真の勇将だ。ルーンナイトの偽りない言葉は、彼等の慨嘆 の琴線に触れた。
「そうだ! 命が惜しくば、西へ逃げることもできた。留まったのは一人一人の意志だ。それも名将がいたからこそ」
「その通りだ」
「いかにも。撤退命令が下るまで、誰一人前線を譲らなかったと聞く」
口々に無念を吐き捨てる表情は昏い、しかし、もはや揺るがぬ決意が瞳に点 っている。
「あの粘りがあったからこそ、ノーヴァは一斉攻撃を受けながらも、ぎりぎりまで持ちこたえることができたのだ。俺にはまだ、そこまでの求心力はない。だから、皆の力を借りるぞ。お前達を、怨嗟から解放してやりたいが……今はその闘志すらも利用させてもらう」
集まった将達は、ルーンナイトに完璧に礼節に則った最敬礼で応えた。
「望むところです。我々は、同胞をさしおいて、生き長らえた亡霊。魂はノーヴァに散った同胞に捧げました。残されたこの血肉も、アッサラームを守る為に燃焼できれば本望です」
澄明 な凛然とした眼差しが返される。
「このノーヴァ海岸には、あらゆる兵が集まっている。一人一人が様々な想いを抱えて、前線に立っている。それでいい。だが忘れるな、心は一つだ。全員が胸にアッサラームの灯を宿している。消えていい灯など一つもない――」
言葉を切って立ち上がると、腰に佩 いたサーベルを抜いた。
切っ先を天に向けて高く掲げると、全員が同じように黒牙を抜いて、その剣尖 をルーンナイトに合わせた。
サーベルを佩いた時から、アッサラームの獅子となる。
ここにいる全員が、成人した十三の時から黒牙を振るってきた。剣尖を合わせて交わす約束は、決して違えることのない誓願だ。
「俺は前線に立ち続ける、お前達も立ち続けてくれ。今日を乗り越えたら、再びここに集まるんだ。いいな?」
「必ず――」
鋼の擦り合う音を響かせて、誓いは結ばれた。
+
空が白み始めた頃。
ついにサルビア軍が攻めてきた。
東の空を埋め尽くす大軍――空の彼方まで、無限に広がる朱金装甲の重装飛竜隊だ。
その威容はアルスランの手記にある通り、空が燃え上がっているようであった。
「皇子、貴方にお仕えできる喜び……シャイターンに感謝いたします」
隣に立つ副官の大袈裟な言葉に、つい微笑が漏れる。
「感謝するには、少し早い。サルビアを撃破してからにしたらどうだ?」
東の彼方を見据えたまま、気軽い口調で返した。
「御意」
「カシカ。乱戦になったら、俺の指示に拘 るな。好きに兵を動かして構わない」
「君命を仰ぎます」
「遅かれ早かれ、酷い乱戦になる。その時は、現場の判断で動いた方がいい」
恐らく空は血で染め上げられるだろう。しかし、ルーンナイトの懸念を見透かしたように、カシカは不敵に笑った。
「いかな戦地にあろうと、御支えしてきました。この先も同じこと」
「その忠、嬉しく思うぞ。だがな、俺の生こそ、君命に受けざるところありの好例だ」
遠い記憶を思い浮かべたら、懐かしむ口調になった。言わんとする先を読んで、カシカは顔をしかめている。
「む。宮殿と同じに考えなさるな……」
「あそこもまた戦場だ。俺が今ここに在るのは、アースレイヤのおかげだ」
まだ子供の頃、アースレイヤを擁護する皇太子派――ヴァレンティーン・ヘルベルトに暗殺されかけたことがある。逸早く謀略を見抜いたアースレイヤは、自分が代わりに殺すと謀 り、ルーンナイトを密かに匿った。
知る人ぞ知るこの宮廷事情を、腹心の部下、カシカは当然知っている。
「あの方も幼いながらにして、よく皇太子派を欺 きましたね」
「兄上の二枚舌には恐れ入る。あそこの夫婦の会話を聞いたことがあるか? 背筋が冷えるぞ」
「……援軍をよこしていただいたご恩を、お忘れですか?」
揶揄 する口調を嗜めるように、カシカは眼を細めて呆れたように呟いた。
「判っている。あの人が宮殿に立ってくれているおかげで、俺はこうして自由に外へ出て行けるんだ」
「自由に出て行き過ぎです……」
「俺の生は、アースレイヤがくれたものだ。だからこうして……来たな。出るぞ――」
「御意」
飛翔場に戻りそれぞれ飛竜に騎乗すると、周囲を見渡して口を開いた――
「飛翔!」
号令と共に、進撃を告げる金鼓 が空高く鳴り響き、機動合図の発煙筒に火が点けられる。
アッサラーム軍十五万対、サルビア軍二十五万。アッサラーム防衛を賭けて、壮絶な空の戦いが幕を開けた――。
ルーンナイトは将達を天幕に呼んだ。その中には、元ノーヴァ兵を束ねる将も交じっている。
「明け方には衝突するだろう。全員、準備はいいか?」
「いつでも――」
全員が瞳に闘志を宿して、深く頷いた。
特に元ノーヴァ兵の瞳は昏い。消えることのない、サルビアへの報復の炎がちらついている。
「サルビアめ……勢いづきおって大した自信だ」
一人が忌々しそうに吐き捨てると、周囲から同調する声が次々と上がった。
「侮っていられるのも、今のうちだ」
「士気はこちらも十分高い。油断しているサルビア軍を噛み砕いてみせよう」
「そうだ、ここをサルビアの死地に変えてやる」
士気は高い。アッサラーム軍は死にもの狂いでサルビアに襲いかかるだろう。ここを抜かれたら、アッサラームが落ちることを全員が理解しているのだ。
「機動の早さは自信がある証拠だ。向こうは、ジャファールとアルスラン、空の二柱を仕留めたことで気が大きくなっている……だが、彼等は決して敗軍の将ではない」
決然とした響きで否定すると、将達もすぐに首肯した。
「おぉっ」
「もちろんです」
「見よ――託された計略図には、アッサラームに迫る危機を回避すべく、確かな活路が記されている。彼等が最後まで部下を想い、アッサラームを想っていた証拠だ」
ノーヴァの地図の上に、アルスランの手記、そしてジャファールの残した計略図を拡げると、全員が悔しそうに顔を歪めた。元ノーヴァ兵は視界を潤ませて、仕えた主君の直筆を食い入るように見つめている。
「あの死地にいて、最期まで諦めなかったのだ。懲罰があるわけでもないのに、逃げるを良しとせず、ノーヴァに多くの同胞が散ったのは、アッサラームへの想いばかりではない。先頭を駆ける将の背中を、全員が迷わず見続けたからだろう」
彼等は誰もが認める、真の勇将だ。ルーンナイトの偽りない言葉は、彼等の
「そうだ! 命が惜しくば、西へ逃げることもできた。留まったのは一人一人の意志だ。それも名将がいたからこそ」
「その通りだ」
「いかにも。撤退命令が下るまで、誰一人前線を譲らなかったと聞く」
口々に無念を吐き捨てる表情は昏い、しかし、もはや揺るがぬ決意が瞳に
「あの粘りがあったからこそ、ノーヴァは一斉攻撃を受けながらも、ぎりぎりまで持ちこたえることができたのだ。俺にはまだ、そこまでの求心力はない。だから、皆の力を借りるぞ。お前達を、怨嗟から解放してやりたいが……今はその闘志すらも利用させてもらう」
集まった将達は、ルーンナイトに完璧に礼節に則った最敬礼で応えた。
「望むところです。我々は、同胞をさしおいて、生き長らえた亡霊。魂はノーヴァに散った同胞に捧げました。残されたこの血肉も、アッサラームを守る為に燃焼できれば本望です」
「このノーヴァ海岸には、あらゆる兵が集まっている。一人一人が様々な想いを抱えて、前線に立っている。それでいい。だが忘れるな、心は一つだ。全員が胸にアッサラームの灯を宿している。消えていい灯など一つもない――」
言葉を切って立ち上がると、腰に
切っ先を天に向けて高く掲げると、全員が同じように黒牙を抜いて、その
サーベルを佩いた時から、アッサラームの獅子となる。
ここにいる全員が、成人した十三の時から黒牙を振るってきた。剣尖を合わせて交わす約束は、決して違えることのない誓願だ。
「俺は前線に立ち続ける、お前達も立ち続けてくれ。今日を乗り越えたら、再びここに集まるんだ。いいな?」
「必ず――」
鋼の擦り合う音を響かせて、誓いは結ばれた。
+
空が白み始めた頃。
ついにサルビア軍が攻めてきた。
東の空を埋め尽くす大軍――空の彼方まで、無限に広がる朱金装甲の重装飛竜隊だ。
その威容はアルスランの手記にある通り、空が燃え上がっているようであった。
「皇子、貴方にお仕えできる喜び……シャイターンに感謝いたします」
隣に立つ副官の大袈裟な言葉に、つい微笑が漏れる。
「感謝するには、少し早い。サルビアを撃破してからにしたらどうだ?」
東の彼方を見据えたまま、気軽い口調で返した。
「御意」
「カシカ。乱戦になったら、俺の指示に
「君命を仰ぎます」
「遅かれ早かれ、酷い乱戦になる。その時は、現場の判断で動いた方がいい」
恐らく空は血で染め上げられるだろう。しかし、ルーンナイトの懸念を見透かしたように、カシカは不敵に笑った。
「いかな戦地にあろうと、御支えしてきました。この先も同じこと」
「その忠、嬉しく思うぞ。だがな、俺の生こそ、君命に受けざるところありの好例だ」
遠い記憶を思い浮かべたら、懐かしむ口調になった。言わんとする先を読んで、カシカは顔をしかめている。
「む。宮殿と同じに考えなさるな……」
「あそこもまた戦場だ。俺が今ここに在るのは、アースレイヤのおかげだ」
まだ子供の頃、アースレイヤを擁護する皇太子派――ヴァレンティーン・ヘルベルトに暗殺されかけたことがある。逸早く謀略を見抜いたアースレイヤは、自分が代わりに殺すと
知る人ぞ知るこの宮廷事情を、腹心の部下、カシカは当然知っている。
「あの方も幼いながらにして、よく皇太子派を
「兄上の二枚舌には恐れ入る。あそこの夫婦の会話を聞いたことがあるか? 背筋が冷えるぞ」
「……援軍をよこしていただいたご恩を、お忘れですか?」
「判っている。あの人が宮殿に立ってくれているおかげで、俺はこうして自由に外へ出て行けるんだ」
「自由に出て行き過ぎです……」
「俺の生は、アースレイヤがくれたものだ。だからこうして……来たな。出るぞ――」
「御意」
飛翔場に戻りそれぞれ飛竜に騎乗すると、周囲を見渡して口を開いた――
「飛翔!」
号令と共に、進撃を告げる
アッサラーム軍十五万対、サルビア軍二十五万。アッサラーム防衛を賭けて、壮絶な空の戦いが幕を開けた――。