アッサラーム夜想曲
ノーヴァ海岸防衛戦 - 1 -
ルーンナイト・ダガー・イスハーク――アッサラーム軍大佐、ノーヴァ海岸総指揮官。
中央広域戦――史上最大の東西戦争では、通門拠点にて後方支援の指揮を執った後、ノーヴァ海岸に総指揮官として出陣し、海岸沿いにてサルビア軍を迎え撃つ。
ルーンナイトは、ノーヴァ壊滅の知らせを斥候 から聞くと、アッサラームからの出撃要請を予期して、直ちに飛竜編隊の準備に取り掛かった。
間もなくアッサラームから知らせが届くと、その日のうちに返答する。
生き延びたノーヴァ兵は、ルーンナイトの元に再び集結し、決死の覚悟でノーヴァ海岸へ向かおうとしていた。
黎明 を待つ国門に、ノーヴァ情勢の知らせを持って、右腕を欠いた瀕死のアルスランが辿りついた――。
天高く聳 える、早朝の国門。
西へ発とうとするルーンナイト一行を、白銀の聖衣に身を包んだ花嫁 が見送りにやってきた。
疲労が溜まり顔色は優れないが、見上げる黒い眼差しは、相変わらず澄んでいて美しい。
「ルーンナイト皇子、これを」
掌を差し出すと、小さな鉄 細工を渡された。針で留める襟章で、表には飛竜の翼の彫刻が入っている。
「シャイターンの加護か……」
「ささやかですけれど、無事に戻ってこれるように……願いをこめて」
四方から眺めた後、すぐに襟に留めた。
小さな飾りだが、神聖な黒艶を放つ翼の柄 は、目には見えない力を宿している。
寝る暇もないほど忙しいだろうに、よく鉄に触れる時間があったものだ……。
「この翼があれば、どこへでも飛んで行ける」
「お似合いです」
花嫁は照れくさげに頬を掻いた。
「ありがたい……殿下、アルスランは気がつきましたか?」
「いえ、まだ……」
表情を曇らせる花嫁を見て、肩に手を置いた。
「空の将が寝台の上で往生するものですか。今に目を覚ましますよ」
「はい……」
「殿下。彼の運んでくれた情報は、とても貴重なものです。アルスランが目覚めたら、援軍の知らせを……希望は潰えていないと、伝えてください。後方支隊と合わせて五万で先行しますが、アースレイヤは必ず援軍を送ってくれる」
「はい、必ず」
「それから……ノーヴァの責を負う必要はないと、もし彼が我々を追い駆けようとしたら、そう伝えてください。あの怪我で飛竜に乗れば、命取りになりかねない」
「はい……」
瞼を半ば伏せて、暗い声で頷く姿は、白銀の聖衣とあいまって彼を儚げに見せる。
「そう深刻な顔をなさるな。国門を守る花嫁が憂いた顔をしていては、皆も不安になります」
「はいっ」
花嫁は沈んだ顔をあげると、無理やり笑みを拵 えてみせた。いい心意気だ。
激化する戦況の中で、国門を離れるのは心配でもあるが、今や花嫁はこの国門の支柱だ。アッサラーム全将兵の心の拠り所となっている。負担をかけるのは心苦しいが、任せるしかない。
愛嬌のある寝癖を撫でてやると、花嫁の傍に控える少年兵が殺気を増した。面白い。このやりとりも、暫しお別れかと思うと少々寂しく感じる。
「どうか、お気をつけて。ご武運をお祈りしています」
「必ず戻ります」
花嫁はしっかり頷くと、中庭の全将兵から見える高台に立ち、天を仰いで祈りを捧げた。
ノーヴァ海岸に向けて出立するアッサラーム将兵を勇気づけるためだ。
「散っていった同胞を青い星にお導きください。どうか、アッサラーム防衛に御力を貸してください。サルビアの大軍を押し返し、必ずやノーヴァを守り抜けると信じております」
厳かな祈りと勝利の予告は、天に聴き容 れられたかのように、周囲の靄を晴らした。
不思議に、ジャスミンの香るアッサラームの風が流れて、ここが深い密林であることを忘れそうになる。
必ず、アッサラームに戻ってみせる。こんな所では死ねない。
深い瞑想を終えると、ルーンナイトは立ち上り、同じように跪いていた全将兵に声をかけた。
「全員立て。中央から駆けつけてくれた同胞よ、そしてノーヴァを戦い抜いたアッサラームの勇敢な獅子達よ、目指す場所は一つだ。判っていると思うが、抜かれればアッサラームは落ちる」
アルスランのもたらした対サルビアの布陣、計略図を手に握りしめ高く掲げてみせた。
「アルスラン、ジャファールが託してくれた、対サルビア戦の策はこの手にある! アッサラームからも十万を越える援軍が、今も空を翔けてノーヴァ海岸を目指している。心は一つだ! どれだけ血を流しても、サルビアに一歩たりとも砂を踏ませるな。耐え抜けば、今にムーン・シャイターンがハヌゥアビスを討ち滅ぼしてくれる! そうすれば、我々の勝利だ!!」
勁烈 な眼差しが、先頭に立つルーンナイトに集中する。覚悟は全員できている。金色のアッサラームは、全員の心の灯。消すわけにはゆかぬ。
「アッサラームを守るぞ!」
「「「オォッ!!」」」
ルーンナイトが叫ぶと同時に、天に向かってひび割れた咆哮が上がった。
中央広域戦――史上最大の東西戦争では、通門拠点にて後方支援の指揮を執った後、ノーヴァ海岸に総指揮官として出陣し、海岸沿いにてサルビア軍を迎え撃つ。
ルーンナイトは、ノーヴァ壊滅の知らせを
間もなくアッサラームから知らせが届くと、その日のうちに返答する。
生き延びたノーヴァ兵は、ルーンナイトの元に再び集結し、決死の覚悟でノーヴァ海岸へ向かおうとしていた。
天高く
西へ発とうとするルーンナイト一行を、白銀の聖衣に身を包んだ
疲労が溜まり顔色は優れないが、見上げる黒い眼差しは、相変わらず澄んでいて美しい。
「ルーンナイト皇子、これを」
掌を差し出すと、小さな
「シャイターンの加護か……」
「ささやかですけれど、無事に戻ってこれるように……願いをこめて」
四方から眺めた後、すぐに襟に留めた。
小さな飾りだが、神聖な黒艶を放つ翼の
寝る暇もないほど忙しいだろうに、よく鉄に触れる時間があったものだ……。
「この翼があれば、どこへでも飛んで行ける」
「お似合いです」
花嫁は照れくさげに頬を掻いた。
「ありがたい……殿下、アルスランは気がつきましたか?」
「いえ、まだ……」
表情を曇らせる花嫁を見て、肩に手を置いた。
「空の将が寝台の上で往生するものですか。今に目を覚ましますよ」
「はい……」
「殿下。彼の運んでくれた情報は、とても貴重なものです。アルスランが目覚めたら、援軍の知らせを……希望は潰えていないと、伝えてください。後方支隊と合わせて五万で先行しますが、アースレイヤは必ず援軍を送ってくれる」
「はい、必ず」
「それから……ノーヴァの責を負う必要はないと、もし彼が我々を追い駆けようとしたら、そう伝えてください。あの怪我で飛竜に乗れば、命取りになりかねない」
「はい……」
瞼を半ば伏せて、暗い声で頷く姿は、白銀の聖衣とあいまって彼を儚げに見せる。
「そう深刻な顔をなさるな。国門を守る花嫁が憂いた顔をしていては、皆も不安になります」
「はいっ」
花嫁は沈んだ顔をあげると、無理やり笑みを
激化する戦況の中で、国門を離れるのは心配でもあるが、今や花嫁はこの国門の支柱だ。アッサラーム全将兵の心の拠り所となっている。負担をかけるのは心苦しいが、任せるしかない。
愛嬌のある寝癖を撫でてやると、花嫁の傍に控える少年兵が殺気を増した。面白い。このやりとりも、暫しお別れかと思うと少々寂しく感じる。
「どうか、お気をつけて。ご武運をお祈りしています」
「必ず戻ります」
花嫁はしっかり頷くと、中庭の全将兵から見える高台に立ち、天を仰いで祈りを捧げた。
ノーヴァ海岸に向けて出立するアッサラーム将兵を勇気づけるためだ。
「散っていった同胞を青い星にお導きください。どうか、アッサラーム防衛に御力を貸してください。サルビアの大軍を押し返し、必ずやノーヴァを守り抜けると信じております」
厳かな祈りと勝利の予告は、天に聴き
不思議に、ジャスミンの香るアッサラームの風が流れて、ここが深い密林であることを忘れそうになる。
必ず、アッサラームに戻ってみせる。こんな所では死ねない。
深い瞑想を終えると、ルーンナイトは立ち上り、同じように跪いていた全将兵に声をかけた。
「全員立て。中央から駆けつけてくれた同胞よ、そしてノーヴァを戦い抜いたアッサラームの勇敢な獅子達よ、目指す場所は一つだ。判っていると思うが、抜かれればアッサラームは落ちる」
アルスランのもたらした対サルビアの布陣、計略図を手に握りしめ高く掲げてみせた。
「アルスラン、ジャファールが託してくれた、対サルビア戦の策はこの手にある! アッサラームからも十万を越える援軍が、今も空を翔けてノーヴァ海岸を目指している。心は一つだ! どれだけ血を流しても、サルビアに一歩たりとも砂を踏ませるな。耐え抜けば、今にムーン・シャイターンがハヌゥアビスを討ち滅ぼしてくれる! そうすれば、我々の勝利だ!!」
「アッサラームを守るぞ!」
「「「オォッ!!」」」
ルーンナイトが叫ぶと同時に、天に向かってひび割れた咆哮が上がった。