アッサラーム夜想曲
公宮に咲く花 - 2 -
青空を仰ぐ庭園。四阿 に一人の娘を傍へ呼んだ。
バカルディーノと懇意にしている皇家筋の、高貴な娘である。
「これを、お父君に届けてくださる?」
「かしこまりました、西妃 様」
娘は嬉しそうに顔を輝かせて、手紙を受け取った。
封筒に押された、つばめの紋章の封蝋 は、バカルディーノ家のもの。更に鈴蘭の意匠があれば、リビライラからの密書と判る。
確固たる地位を築いた今、鈴蘭を意匠された手紙を受け取ることは、公宮では一種の名誉とされていた。
「貴方にしか託せないの……アッサラームの為に、どうかお願いね?」
いかにも儚げに微笑むと、娘は頬を染めて、宝物のように手紙を胸に抱きしめた。
「お任せください、西妃様。必ずお渡しいたします」
決意を秘めた眼差しに、リビライラへの憧憬と畏怖を滲ませて、しっかりと頷く。
リビライラの本性を知っている公宮の女ですら、リビライラが潤んだ眼差しを向けると、感極まったような表情を見せる。
それは、この娘に限ったことではない。
大抵の者は、リビライラを前にすると似たような反応を見せる。あのアースレイヤですら、時々見惚れることがある。
見惚れるといえば、ふと、あからさまな花嫁 の態度を想い出して、知らず微笑が漏れた。
微笑みかけるだけで、しどろもどろで視線を逸らす姿は、リビライラから見ても可愛らしい。
ああいう素朴な一面に弱い人間は、ムーン・シャイターンに限らず意外と多い。
アースレイヤですら、花嫁には好意らしきものを抱いている。大神殿で姿を見かけると、わざわざ声をかけにいくことを知っている。
リビライラも、花嫁のことは気に入っている。
もし、女だったら……どうなっていたかは判らない。
万が一にも、皇太后への道を邪魔することがあれば、殺さなければいけなかった。
愛する息子――アメクファンタムの脅威になりうる存在は、今のうちに摘んでおかなければならないのだから。
リビライラ自身は、花嫁の存在をむしろ歓迎しているが、公宮では妬まれることもしばしばある。
自分達が寵を競って苦心している傍らで、美貌の英雄から、揺らぐことのない愛を捧げられる立場が、羨ましくて仕方がないのだろう。
そんなものは、無意味な悲嘆だ。第一、嫉妬する相手を間違えている。
アースレイヤが心を明かす相手は、一番はシャイターン。その次は、弟君なのだから。
そうとは知らず、立場もわきまえずにリビライラに愚痴を零す娘もいる。人の不満や不幸は、時に耳を楽しませてくれるが、過ぎると不愉快に変わる。
少しつれない態度を取っただけで、取り巻きの娘達が察して、追い払ってくれるようになった。身から出た錆ではあるが、今では肩身の狭い思いをしていることだろう。
花嫁を羨ましいと思ったことは、一度もない。
輝くような美貌、巨万の富、揺るがない権力――人より遥かに有利な立場に生まれたことを、シャイターンに感謝している。
一途な寵愛が欲しいわけでもない。欲しかった頃もあったけれど……もう過去の話だ。
今はもっと、燃えるような想いを抱いている。
+
ノーヴァ壊滅の知らせが届いた。
元より勝算の少ない戦いだったのだ。むしろよく今まで持ちこたえたと言えるだろう。
アースレイヤは一日掛かりで宮殿を説き伏せた後、ようやくリビライラの元に姿を見せた。公宮勢力を当てにしていることは判っている。
「我がバカルディーノ家を含む公宮勢力から、飛竜精鋭を主とする五万の軍勢を、アースレイヤ皇太子に託します」
「……西妃、貴方には本当に助けられる」
リビライラに向けられる、アースレイヤの眼差しが賞賛を帯びて煌めく。
とうに捨てた感情が疼 いて、胸の内に喜びらしきものをもたらした。
感情とは、なぜこうも思い通りにいかないのか。嫌な人。名前を呼びもしないくせに……。
「我が喜びですわ」
でも、それでいい。アースレイヤの割り切った態度こそが、リビライラを美しく、気高く咲かせる。
西妃。傍に侍る符号の一つ。いつでも取って代われる存在。そう思われていた方が好都合。
――もっと高く。果ては宮殿の頂点までも上り詰めてみせる。誰にも媚びない、跪かない、屈しない、脅かされることのない、遥かな高みへ……!
その燃えるような想いこそ、リビライラの全てだ。
だからこそ、誰よりも美しく、気高く、咲き続けなければいけないのだ。
孤高の花であり続けてみせる――いつまでも。
バカルディーノと懇意にしている皇家筋の、高貴な娘である。
「これを、お父君に届けてくださる?」
「かしこまりました、
娘は嬉しそうに顔を輝かせて、手紙を受け取った。
封筒に押された、つばめの紋章の
確固たる地位を築いた今、鈴蘭を意匠された手紙を受け取ることは、公宮では一種の名誉とされていた。
「貴方にしか託せないの……アッサラームの為に、どうかお願いね?」
いかにも儚げに微笑むと、娘は頬を染めて、宝物のように手紙を胸に抱きしめた。
「お任せください、西妃様。必ずお渡しいたします」
決意を秘めた眼差しに、リビライラへの憧憬と畏怖を滲ませて、しっかりと頷く。
リビライラの本性を知っている公宮の女ですら、リビライラが潤んだ眼差しを向けると、感極まったような表情を見せる。
それは、この娘に限ったことではない。
大抵の者は、リビライラを前にすると似たような反応を見せる。あのアースレイヤですら、時々見惚れることがある。
見惚れるといえば、ふと、あからさまな
微笑みかけるだけで、しどろもどろで視線を逸らす姿は、リビライラから見ても可愛らしい。
ああいう素朴な一面に弱い人間は、ムーン・シャイターンに限らず意外と多い。
アースレイヤですら、花嫁には好意らしきものを抱いている。大神殿で姿を見かけると、わざわざ声をかけにいくことを知っている。
リビライラも、花嫁のことは気に入っている。
もし、女だったら……どうなっていたかは判らない。
万が一にも、皇太后への道を邪魔することがあれば、殺さなければいけなかった。
愛する息子――アメクファンタムの脅威になりうる存在は、今のうちに摘んでおかなければならないのだから。
リビライラ自身は、花嫁の存在をむしろ歓迎しているが、公宮では妬まれることもしばしばある。
自分達が寵を競って苦心している傍らで、美貌の英雄から、揺らぐことのない愛を捧げられる立場が、羨ましくて仕方がないのだろう。
そんなものは、無意味な悲嘆だ。第一、嫉妬する相手を間違えている。
アースレイヤが心を明かす相手は、一番はシャイターン。その次は、弟君なのだから。
そうとは知らず、立場もわきまえずにリビライラに愚痴を零す娘もいる。人の不満や不幸は、時に耳を楽しませてくれるが、過ぎると不愉快に変わる。
少しつれない態度を取っただけで、取り巻きの娘達が察して、追い払ってくれるようになった。身から出た錆ではあるが、今では肩身の狭い思いをしていることだろう。
花嫁を羨ましいと思ったことは、一度もない。
輝くような美貌、巨万の富、揺るがない権力――人より遥かに有利な立場に生まれたことを、シャイターンに感謝している。
一途な寵愛が欲しいわけでもない。欲しかった頃もあったけれど……もう過去の話だ。
今はもっと、燃えるような想いを抱いている。
+
ノーヴァ壊滅の知らせが届いた。
元より勝算の少ない戦いだったのだ。むしろよく今まで持ちこたえたと言えるだろう。
アースレイヤは一日掛かりで宮殿を説き伏せた後、ようやくリビライラの元に姿を見せた。公宮勢力を当てにしていることは判っている。
「我がバカルディーノ家を含む公宮勢力から、飛竜精鋭を主とする五万の軍勢を、アースレイヤ皇太子に託します」
「……西妃、貴方には本当に助けられる」
リビライラに向けられる、アースレイヤの眼差しが賞賛を帯びて煌めく。
とうに捨てた感情が
感情とは、なぜこうも思い通りにいかないのか。嫌な人。名前を呼びもしないくせに……。
「我が喜びですわ」
でも、それでいい。アースレイヤの割り切った態度こそが、リビライラを美しく、気高く咲かせる。
西妃。傍に侍る符号の一つ。いつでも取って代われる存在。そう思われていた方が好都合。
――もっと高く。果ては宮殿の頂点までも上り詰めてみせる。誰にも媚びない、跪かない、屈しない、脅かされることのない、遥かな高みへ……!
その燃えるような想いこそ、リビライラの全てだ。
だからこそ、誰よりも美しく、気高く、咲き続けなければいけないのだ。
孤高の花であり続けてみせる――いつまでも。