アッサラーム夜想曲
ハヌゥアビスの進撃 - 1 -
ユニヴァース・サリヴァン・エルム――中央広域戦陸路上等兵
中央広域戦――史上最大の東西戦争では、ヤシュム率いる第一右翼騎兵隊の主力精鋭として中央激戦区の前線に立つ。
アッサラーム軍は難関地形とされる山岳狭路で、サルビア十万の軍勢に勝利し、布陣に有利とされる見晴らしの良い高地を占領した。
しかし――
時を同じくして、バルヘブ中央大陸の北に広がるノーヴァの広大な空では、ジャファール、アルスランらがサルビア軍の猛攻にあい、壊滅寸前に追い込まれていた。
この時アッサラーム軍は、中央陸路の激突に備えて後方支隊に十万の軍勢を有していたが、ノーヴァ壊滅を懸念したジュリアスは、その半数を聖都アッサラームへの防衛に当てることを決意する。
後援に不安を残したまま、ジュリアス率いるアッサラーム軍は、サルビア軍総大将――ジークフリード・ヘイル・ハヌゥアビス率いる三十万の軍勢を迎え撃とうとしていた。
森林の遥か彼方から、闇夜に光り輝く烽火 が立ち昇る。味方の斥候 隊からの、敵襲の知らせである。
「――随分早いな。もっと時間かかるかと思った」
ユニヴァースは連れだって歩く歩哨 兵に声をかけた。
「そうか? 敵が実際に近づいてきたら消えるものだし……あれが見えるうちはまだ遠いんじゃないのか」
どこか眠たげな顔つきの男は、気のない返事をした。
「というか……妙な知らせだな。あんな彼方の稜線 を、なんだって敵は固守してるんだ?」
味方が烽火で注意喚起しているのは、アッサラームが陣取りしている高地から、はるか彼方の峰である。サルビアは何が目的であんな所を大切に守っているのだろう……。
「確かに……重要な補給品を運ぶ輜重 隊が通っているのかもな」
「二・三日もすれば、到着しそうだね」
「どうせなら、もっと早く来れば良かったのにな……支隊を下げた途端、本陣と当たるなんてついてない」
がっかりしきった口調で言うと、いかにも憂鬱そうなため息をつく。
「まぁ、ノーヴァ壊滅の危機だし、しょうがないでしょ」
「お前は平然としているんだな……ヤシュム将軍の麾下 部隊だろ、きつい前線になると思うぞ」
同情の眼差しで見つめられたが、ユニヴァースとしては望むところだった。
「俺、あの人の下で戦うの好きだよ。苛烈で、攻めの一手で、絶対引かないよね」
「俺はご免だ……アーヒム将軍の配属で良かった」
「いいの。俺、武功立てたいし。前出たいから」
明るく応えると、信じられないものを見るような眼差しを向けられた。
「その突き抜けた性格……羨ましくないけど、感心するよ。お前だから言っちゃうけど、大人しくしていれば栄えある殿下の武装親衛隊でいられたのに。そしたら今頃、安全な国門で後方支援だったんだぞ」
「それ、よく言われるー」
「だろうな……懲罰明けに殿下が取り成してくれたのに、前線に志願したんだろ? 正直、理解不能だよ」
「俺、将軍になりたいし。いつかムーン・シャイターンを越えたいんだ」
「へぇ……」
呆れたような、白けた眼差しを向けられた。彼に限らず、大抵の者は似たような反応をする。
けれど、ユニヴァースはふざけて言ったわけではない。
緩い口調と相まって、軽く見られることが常だが、アッサラーム軍に入隊した時から、全くぶれない正真正銘の本気だった。
――負けず嫌いってわけでもないんだけどね。越えてみたいって思うのは、やっぱシャイターンの血を引いているせいなのかな。
「俺なら、武装親衛隊の地位を死守するけどな……将来安泰だし、殿下、お優しいし。はー……夜の高地にいても湿気があるってどういうことなんだよ。アッサラームに帰りたい……」
「……」
ふと、脳裏に花嫁の笑顔が過 った。今でも少し、切ない気持ちがこみあげる。
「本当は、後悔してるだろ?」
「まぁ、両立は難しいよね」
「何とだよ。考えるまでもなく武装親衛隊だろう。俺が代わりたいくらいだ……」
その言葉は癇に障った。つい冷ややかな口調になる。
「お前に務まるかよ」
「知ってるよ。夜ですら、呼吸が辛いんだ……少しくらい夢を見させてくれ……」
「……難儀だな」
本当に具合の悪そうな顔を見て、つっかかるのは止めた。
山岳独特の気候に音を上げる者は多いが、彼は特に酷い方だ。よく今日まで無事でいられたなと思う。
空に浮かぶ青い星を見上げて、一時はずっと傍で護衛をしていたシャイターンの花嫁 のことを想う。
姿を見ると、つい追いかけてしまうので、離れているくらいがちょうどいいのかもしれない……。
ムーン・シャイターンを怒らせて、特殊部隊にぶちこまれてからというものの、アッサラームにいるよりも砂漠か山岳にいる時間の方が長かった。
その間に、熱していた気持ちは、多少柔らかなものに変化した。
特殊部隊明けに前線復帰が叶ったのは、前線に立ちたいという強い気持ちと、合同模擬演習で優勝した腕を買ってくれた……という点と、何よりもユニヴァースの気持の変化を敏感に読み取ったからではないかと思う。
彼の中でユニヴァースの存在が、視界に映るのも許せぬという憤怒 から、かろうじて許容できる……くらいに落ち着いたのであろう。
だが、連れて来たことを、後悔はさせまい。
必ず武功を立ててみせる。
アーヒム、ヤシュム、そしてムーン・シャイターン――いずれもアッサラームの英雄だ。
この東西の激突を、国の存亡を賭けた戦いと捉え、決死の覚悟で臨む者は多い。ユニヴァースにも、もちろんその意気はあるが、それ以上に彼等と共に戦えることが単純に嬉しかった。
闇夜に白く煌めく烽火を眺めながら、穏やかな笑みを浮かべるユニヴァースを、奇妙な生き物を見るような眼で隣の歩哨兵は見つめていた……。
中央広域戦――史上最大の東西戦争では、ヤシュム率いる第一右翼騎兵隊の主力精鋭として中央激戦区の前線に立つ。
アッサラーム軍は難関地形とされる山岳狭路で、サルビア十万の軍勢に勝利し、布陣に有利とされる見晴らしの良い高地を占領した。
しかし――
時を同じくして、バルヘブ中央大陸の北に広がるノーヴァの広大な空では、ジャファール、アルスランらがサルビア軍の猛攻にあい、壊滅寸前に追い込まれていた。
この時アッサラーム軍は、中央陸路の激突に備えて後方支隊に十万の軍勢を有していたが、ノーヴァ壊滅を懸念したジュリアスは、その半数を聖都アッサラームへの防衛に当てることを決意する。
後援に不安を残したまま、ジュリアス率いるアッサラーム軍は、サルビア軍総大将――ジークフリード・ヘイル・ハヌゥアビス率いる三十万の軍勢を迎え撃とうとしていた。
森林の遥か彼方から、闇夜に光り輝く
「――随分早いな。もっと時間かかるかと思った」
ユニヴァースは連れだって歩く
「そうか? 敵が実際に近づいてきたら消えるものだし……あれが見えるうちはまだ遠いんじゃないのか」
どこか眠たげな顔つきの男は、気のない返事をした。
「というか……妙な知らせだな。あんな彼方の
味方が烽火で注意喚起しているのは、アッサラームが陣取りしている高地から、はるか彼方の峰である。サルビアは何が目的であんな所を大切に守っているのだろう……。
「確かに……重要な補給品を運ぶ
「二・三日もすれば、到着しそうだね」
「どうせなら、もっと早く来れば良かったのにな……支隊を下げた途端、本陣と当たるなんてついてない」
がっかりしきった口調で言うと、いかにも憂鬱そうなため息をつく。
「まぁ、ノーヴァ壊滅の危機だし、しょうがないでしょ」
「お前は平然としているんだな……ヤシュム将軍の
同情の眼差しで見つめられたが、ユニヴァースとしては望むところだった。
「俺、あの人の下で戦うの好きだよ。苛烈で、攻めの一手で、絶対引かないよね」
「俺はご免だ……アーヒム将軍の配属で良かった」
「いいの。俺、武功立てたいし。前出たいから」
明るく応えると、信じられないものを見るような眼差しを向けられた。
「その突き抜けた性格……羨ましくないけど、感心するよ。お前だから言っちゃうけど、大人しくしていれば栄えある殿下の武装親衛隊でいられたのに。そしたら今頃、安全な国門で後方支援だったんだぞ」
「それ、よく言われるー」
「だろうな……懲罰明けに殿下が取り成してくれたのに、前線に志願したんだろ? 正直、理解不能だよ」
「俺、将軍になりたいし。いつかムーン・シャイターンを越えたいんだ」
「へぇ……」
呆れたような、白けた眼差しを向けられた。彼に限らず、大抵の者は似たような反応をする。
けれど、ユニヴァースはふざけて言ったわけではない。
緩い口調と相まって、軽く見られることが常だが、アッサラーム軍に入隊した時から、全くぶれない正真正銘の本気だった。
――負けず嫌いってわけでもないんだけどね。越えてみたいって思うのは、やっぱシャイターンの血を引いているせいなのかな。
「俺なら、武装親衛隊の地位を死守するけどな……将来安泰だし、殿下、お優しいし。はー……夜の高地にいても湿気があるってどういうことなんだよ。アッサラームに帰りたい……」
「……」
ふと、脳裏に花嫁の笑顔が
「本当は、後悔してるだろ?」
「まぁ、両立は難しいよね」
「何とだよ。考えるまでもなく武装親衛隊だろう。俺が代わりたいくらいだ……」
その言葉は癇に障った。つい冷ややかな口調になる。
「お前に務まるかよ」
「知ってるよ。夜ですら、呼吸が辛いんだ……少しくらい夢を見させてくれ……」
「……難儀だな」
本当に具合の悪そうな顔を見て、つっかかるのは止めた。
山岳独特の気候に音を上げる者は多いが、彼は特に酷い方だ。よく今日まで無事でいられたなと思う。
空に浮かぶ青い星を見上げて、一時はずっと傍で護衛をしていたシャイターンの
姿を見ると、つい追いかけてしまうので、離れているくらいがちょうどいいのかもしれない……。
ムーン・シャイターンを怒らせて、特殊部隊にぶちこまれてからというものの、アッサラームにいるよりも砂漠か山岳にいる時間の方が長かった。
その間に、熱していた気持ちは、多少柔らかなものに変化した。
特殊部隊明けに前線復帰が叶ったのは、前線に立ちたいという強い気持ちと、合同模擬演習で優勝した腕を買ってくれた……という点と、何よりもユニヴァースの気持の変化を敏感に読み取ったからではないかと思う。
彼の中でユニヴァースの存在が、視界に映るのも許せぬという
必ず武功を立ててみせる。
アーヒム、ヤシュム、そしてムーン・シャイターン――いずれもアッサラームの英雄だ。
この東西の激突を、国の存亡を賭けた戦いと捉え、決死の覚悟で臨む者は多い。ユニヴァースにも、もちろんその意気はあるが、それ以上に彼等と共に戦えることが単純に嬉しかった。
闇夜に白く煌めく烽火を眺めながら、穏やかな笑みを浮かべるユニヴァースを、奇妙な生き物を見るような眼で隣の歩哨兵は見つめていた……。