アッサラーム夜想曲
栄光の紋章 - 3 -
夜の帳 に覆われた頃、隊商宿 へ戻ったジュリアスたちは、卓上にザインの地図を広げると軍議を再開した。
もはや一秒も無駄にはできない。和議は不可能――いつ抗争が起きてもおかしくないのだ。
リャンの救出について話しが及んだ時、先程別れたばかりのゴダール公爵の遣いの者が訪ねてきた。訝しみながら部屋に招き入れると、扈従 と共に現れたのは公爵本人であった。
「一体どうしたのですか?」
ジュリアスが訊ねると、バフムートは厳しい顔つきで一礼した。
「どうしてもお伝えしなければならないことがあり、無礼を承知で馳せ参じました」
「なんですか?」
「単刀直入に申しあげると、リャンは、革命軍なのです」
予想外の告白に、その場に居あわせた全員が目を瞠った。
「ゴダール家の嫡子が、なぜ革命軍に?」
ジュリアスも些 かの驚きをもって訊ねた。
「若者は、何でも議論の種にするものです。孫もまた、親しい者と論を交わすうちに熱くなり、私が気がついた時には革命軍、それも率いる立場にありました」
「それは、グランディエ公爵も知っているのですか?」
「口にはしませんが、気づいているでしょう」
「では、今朝の騒動と、ドラクヴァ公爵暗殺の件に、リャンが関わっているのですか?」
「いいえ! あの場では、ドラクヴァを罵りましたが、仕掛けたのはジャムシードです。我々もドラクヴァも彼の奸計 に嵌められたのです」
苦々しい想いを吐き捨てるような口調だった。
「嵌められた? そうと知りながら、ドラクヴァに宣戦布告したのはなぜです?」
「真実を明かしても、無意味です。ドラクヴァは報復がしたいのではなく、領主の座を競う相手を滅ぼしたいのです。身を守る為には、こちらも武装するしかありません」
ジュリアスが訊ねる前に、バフムートはさらにこう続けた。
「こちらが先に手を明かせば、狡猾 なジャムシードはドラクヴァ家と手を組んで我々を糾弾しかねません。この狂瀾 を正すには、先ずリャンを救出し、ドラクヴァ家との抗争に決着をつけなければなりません。ジャムシードを問い質すのは、その後です」
一応、筋は通っている。ナディアを見ると、同意のこもった視線が返された。
「もう衝突は避けられません。ドラクヴァ家がリャンを殺す前に、こちらから仕掛けるつもりです」
ついにバフムートは核心に触れた。
沈黙。
束の間、張り詰めた弦のような緊迫感が部屋を満たした。
「……それでは、グランディエ公爵の思う壺ではありませんか?」
ジュリアスが訊ねると、バフムートは重々しく頷き、
「止むを得ません。明日は血の雨が降ります。どうか安全なところに、お隠れになっていてください」
そういって彼は一礼すると、無礼を侘び、別れの挨拶を口にした。
和議や戦略の相談にきたわけではないのだろうか、とジュリアスは訝しんだ。
「それだけを伝える為に、ここへ?」
長い月日を経て叡知を湛えた眼差しが、ジュリアスを見つめた。
「我等三家、元はアッサラームの藩屏 です。金色 の聖都は、心に赫 と燃える、信仰そのものです。御目にかかれて、誠に光栄でした」
バフムートは真に心のこもった口調でいうと、大樹のように背筋を伸ばし、見事な一礼で応えた。
窓の外から、軽快な四頭立て馬車が遠ざかっていく音を聴きながら、ジュリアスは臨戦態勢を敷く決断を下した。
「休む暇がなくなりました。これから先は、有事を前提に進めます」
彼の言葉が本当なら、明日は数千の兵がザインに入ることになる。
「彼の言葉を信じるのですか?」
思案げなナディアの問いかけに、ジュリアスは首肯で応じた。
「否定できない以上、対策を取らないわけにもいきません。とはいえ、先に軍は動かせないので、ゴダールの機動にあわせて突入します」
説明しながら図面に駒を置き始めると、
「全部隊ですか? 外に三千は待機しておりますよ」
今度は別の指揮官が懸念を口にした。
「百ずつ四方に配置するよう、伝えてください。戦闘ではなく、領民の避難と退路確保を任せます。帰還後にアッサラームから褒賞を送るとも」
それで彼等の体裁と面子は保たれるだろう。制圧が目的でもない市街で、俄か部隊を率いるつもりは毛頭ない。
「雨で烽火 が使えない場合は、鏑矢 で合図してください。四方、中央の見晴らしの良い場所に、各隊の伝令を二名ずつ配置するように」
地図上の四方を順に指しながら駒を置いていくと、全員が真剣な表情で瞳に焼つけた。
「繰り返しますが、制圧が目的ではありません。無益な血は流さぬよう、黒牙を汚さずを美徳としてください」
明日は、理性の戦いを求められるだろう。
図面を睨みながら隊の配置、伝令を走らせるジュリアスの横で、ナディアは少々不満そうな顔をした。
「我々が鎮圧に踏み切ることを予期して、彼は情報を流したのでしょうか?」
「いいえ、打算はないと思いますよ。アッサラームへの忠誠心から、独りでここへきたのでしょう」
「しかし、これでは共同戦線を張ったも同然ですね」
不本意そうなナディアの指摘に、ジュリアスは僅かに口元を緩ませた。確かに、リャンの身柄を確保するところまでは、協力姿勢を取ることになるだろう。
「構いませんよ。リャンの救出に協力すると、光希にも約束していますから」
作戦会議は夜通し続けられた。やがて星の仄めきの薄れる暁闇のなか、遣いにやった伝令が戻ってきた。
「南門、ヤシュム将軍から承知と」
跪いた伝令が息を切らしながら報告した。
「東は?」
「同じく、ユニヴァース少尉から、承知と」
「重畳 」
間もなく、東西南北の要所に就く指揮官全てに、情報はいき届いた。
到着早々に慌ただしいが、事前に情報を掴めたのは幸いであった。おかげで準備をする余裕がある。
どうにか作戦の見通しが立ち、一息ついたところで、慌ただしく伝令が駆けてきた。
「伝令ッ! 西門から、殿下が革命軍と共に、ザインへ入られました!」
「光希が? どういうことです?」
心の臓が凍りついていくのを感じながら、ジュリアスは押し殺した声で訊ねた。
「殿下は、リャンの知己、ヘガセイア・モンクレアと名乗る革命軍幹部の男と行動を共にしておられます。その者と共に、監獄へいくと伝言を預って参りました」
「は――……」
唇から深いため息が零れでた。光希にあるまじき行動は、典礼儀式の啓示のせいだろう。しかし……
「護衛は?」
「武装親衛隊と、アルスラン将軍がついております」
アルスランがついていながら、なぜ――
伝令といき違いになった?
いや、そうではない。全て承知した上で、光希の命令を優先したのだ。
アルスランは、鋼腕を手にする過程で光希に傾倒した。その忠誠心を知っているからこそ、最も重要な西門を任せたのだが……裏目にでてしまったのだろうか?
黒牙を抜いて、刀身に刻まれた“光希”の文字に触れた。神眼で光希の気配を探ろうとすると、阻むように神の視界は靄がかった。
「――なぜ、邪魔をするッ」
抑えようのない怒りが、ジュリアスの躰から青い霊光として溢れでた。幾つもの慄 いた視線を向けられたが、自制することは難しかった。
神はなぜ、リャンと光希を引きあわせようとするのだろう?
「殿下を探しましょう」
ナディアが気遣わしげに、ジュリアスの肩に手を置いた。彼の平静さを見て、ジュリアスはどうにか怒りを抑えこみ、落ち着きを取り戻した。玲瓏 な刃物の耀きを灯した双眸を指揮官たちに向ける。
「アブダム監獄に向かいます。南門に動きがあれば、合図してください。一斉に突入します」
「「御意」」
情報が錯綜 し、事態は混迷を極めている。だが賽 は既に投げられている。立ち止まることは赦されなかった。
もはや一秒も無駄にはできない。和議は不可能――いつ抗争が起きてもおかしくないのだ。
リャンの救出について話しが及んだ時、先程別れたばかりのゴダール公爵の遣いの者が訪ねてきた。訝しみながら部屋に招き入れると、
「一体どうしたのですか?」
ジュリアスが訊ねると、バフムートは厳しい顔つきで一礼した。
「どうしてもお伝えしなければならないことがあり、無礼を承知で馳せ参じました」
「なんですか?」
「単刀直入に申しあげると、リャンは、革命軍なのです」
予想外の告白に、その場に居あわせた全員が目を瞠った。
「ゴダール家の嫡子が、なぜ革命軍に?」
ジュリアスも
「若者は、何でも議論の種にするものです。孫もまた、親しい者と論を交わすうちに熱くなり、私が気がついた時には革命軍、それも率いる立場にありました」
「それは、グランディエ公爵も知っているのですか?」
「口にはしませんが、気づいているでしょう」
「では、今朝の騒動と、ドラクヴァ公爵暗殺の件に、リャンが関わっているのですか?」
「いいえ! あの場では、ドラクヴァを罵りましたが、仕掛けたのはジャムシードです。我々もドラクヴァも彼の
苦々しい想いを吐き捨てるような口調だった。
「嵌められた? そうと知りながら、ドラクヴァに宣戦布告したのはなぜです?」
「真実を明かしても、無意味です。ドラクヴァは報復がしたいのではなく、領主の座を競う相手を滅ぼしたいのです。身を守る為には、こちらも武装するしかありません」
ジュリアスが訊ねる前に、バフムートはさらにこう続けた。
「こちらが先に手を明かせば、
一応、筋は通っている。ナディアを見ると、同意のこもった視線が返された。
「もう衝突は避けられません。ドラクヴァ家がリャンを殺す前に、こちらから仕掛けるつもりです」
ついにバフムートは核心に触れた。
沈黙。
束の間、張り詰めた弦のような緊迫感が部屋を満たした。
「……それでは、グランディエ公爵の思う壺ではありませんか?」
ジュリアスが訊ねると、バフムートは重々しく頷き、
「止むを得ません。明日は血の雨が降ります。どうか安全なところに、お隠れになっていてください」
そういって彼は一礼すると、無礼を侘び、別れの挨拶を口にした。
和議や戦略の相談にきたわけではないのだろうか、とジュリアスは訝しんだ。
「それだけを伝える為に、ここへ?」
長い月日を経て叡知を湛えた眼差しが、ジュリアスを見つめた。
「我等三家、元はアッサラームの
バフムートは真に心のこもった口調でいうと、大樹のように背筋を伸ばし、見事な一礼で応えた。
窓の外から、軽快な四頭立て馬車が遠ざかっていく音を聴きながら、ジュリアスは臨戦態勢を敷く決断を下した。
「休む暇がなくなりました。これから先は、有事を前提に進めます」
彼の言葉が本当なら、明日は数千の兵がザインに入ることになる。
「彼の言葉を信じるのですか?」
思案げなナディアの問いかけに、ジュリアスは首肯で応じた。
「否定できない以上、対策を取らないわけにもいきません。とはいえ、先に軍は動かせないので、ゴダールの機動にあわせて突入します」
説明しながら図面に駒を置き始めると、
「全部隊ですか? 外に三千は待機しておりますよ」
今度は別の指揮官が懸念を口にした。
「百ずつ四方に配置するよう、伝えてください。戦闘ではなく、領民の避難と退路確保を任せます。帰還後にアッサラームから褒賞を送るとも」
それで彼等の体裁と面子は保たれるだろう。制圧が目的でもない市街で、俄か部隊を率いるつもりは毛頭ない。
「雨で
地図上の四方を順に指しながら駒を置いていくと、全員が真剣な表情で瞳に焼つけた。
「繰り返しますが、制圧が目的ではありません。無益な血は流さぬよう、黒牙を汚さずを美徳としてください」
明日は、理性の戦いを求められるだろう。
図面を睨みながら隊の配置、伝令を走らせるジュリアスの横で、ナディアは少々不満そうな顔をした。
「我々が鎮圧に踏み切ることを予期して、彼は情報を流したのでしょうか?」
「いいえ、打算はないと思いますよ。アッサラームへの忠誠心から、独りでここへきたのでしょう」
「しかし、これでは共同戦線を張ったも同然ですね」
不本意そうなナディアの指摘に、ジュリアスは僅かに口元を緩ませた。確かに、リャンの身柄を確保するところまでは、協力姿勢を取ることになるだろう。
「構いませんよ。リャンの救出に協力すると、光希にも約束していますから」
作戦会議は夜通し続けられた。やがて星の仄めきの薄れる暁闇のなか、遣いにやった伝令が戻ってきた。
「南門、ヤシュム将軍から承知と」
跪いた伝令が息を切らしながら報告した。
「東は?」
「同じく、ユニヴァース少尉から、承知と」
「
間もなく、東西南北の要所に就く指揮官全てに、情報はいき届いた。
到着早々に慌ただしいが、事前に情報を掴めたのは幸いであった。おかげで準備をする余裕がある。
どうにか作戦の見通しが立ち、一息ついたところで、慌ただしく伝令が駆けてきた。
「伝令ッ! 西門から、殿下が革命軍と共に、ザインへ入られました!」
「光希が? どういうことです?」
心の臓が凍りついていくのを感じながら、ジュリアスは押し殺した声で訊ねた。
「殿下は、リャンの知己、ヘガセイア・モンクレアと名乗る革命軍幹部の男と行動を共にしておられます。その者と共に、監獄へいくと伝言を預って参りました」
「は――……」
唇から深いため息が零れでた。光希にあるまじき行動は、典礼儀式の啓示のせいだろう。しかし……
「護衛は?」
「武装親衛隊と、アルスラン将軍がついております」
アルスランがついていながら、なぜ――
伝令といき違いになった?
いや、そうではない。全て承知した上で、光希の命令を優先したのだ。
アルスランは、鋼腕を手にする過程で光希に傾倒した。その忠誠心を知っているからこそ、最も重要な西門を任せたのだが……裏目にでてしまったのだろうか?
黒牙を抜いて、刀身に刻まれた“光希”の文字に触れた。神眼で光希の気配を探ろうとすると、阻むように神の視界は靄がかった。
「――なぜ、邪魔をするッ」
抑えようのない怒りが、ジュリアスの躰から青い霊光として溢れでた。幾つもの
神はなぜ、リャンと光希を引きあわせようとするのだろう?
「殿下を探しましょう」
ナディアが気遣わしげに、ジュリアスの肩に手を置いた。彼の平静さを見て、ジュリアスはどうにか怒りを抑えこみ、落ち着きを取り戻した。
「アブダム監獄に向かいます。南門に動きがあれば、合図してください。一斉に突入します」
「「御意」」
情報が