アッサラーム夜想曲
栄光の紋章 - 4 -
ザインの出入り口は封鎖され、通りにも検閲が設けられていた。家という家が窓や扉を閉じて息を潜めている。
しかし、ザインを掌握する三家であっても、アッサラーム軍を止めることはできない。
先頭を駆けるジュリアスは、西の宗主国たるアッサラームから東方遠征に匹敵する権限を与えられているのだ。彼はまた、アッサラーム全軍最高指揮権、西方諸国唯 一人の無期限の東方制覇大権徽章 佩用者 であり、額に青い宝石をもつ今世の神剣闘士 でもある。
彼を止められる者は、この大陸に存在しない。
水気を孕んだ鈍色 の空に、青い軍旗が悠々と翻るのを、ゴダール家の騎馬隊は黙認せざるをえなかった。
監獄へ続く坂道が見えてきたところで、天空から雫が垂れた。
ぽつぽつと地面を濡らしたかと思えば、瞬く間に牙を向いて、礫 のような雨粒が叩きつけるように斜めに降ってきた。
さらに次の瞬間、喧 ましい鈴の音が辺りに響きわたった。アッサラーム軍、同盟軍の一斉突入を告げる鏑矢 が放たれたのだ!
つまり、南門でゴダールの外部部隊が起動を見せたということだ。荒天に見舞われ視界は最悪だが、二家の衝突を止めなければならない。
坂道の手前では、既に悲惨な戦闘が起きていた。
けぶる視界の向こう、若い兵が血を噴きあげながら頽 れていく。四五一年に勃発した聖都内乱のように、非情の殺しあいは、歴史ある古都に血の雨を降らせる。無益な争いでしかない。凄惨な景は、アッサラーム将兵を暗澹 とさせた。
「総大将ッ!」
向かいの路地から、隊伍 を率いるヤシュムが合流した。突出して駆けてくる様子を見てとり、ジュリアスも馬を寄せる。
「南門に半数を送りました。ゴダールの外部部隊を引き留めています。指揮はデメトリス、こちらは七十余」
ヤシュムの報告にジュリアスは頷いた。
「正しい判断です。東は?」
「ユニヴァースにいかせました」
「判りました。光希と連絡が取れません。そちらには?」
一縷 の望みを託して訊ねたが、ヤシュムは驚いた様子で頸を左右に振った。
「きておりませんよ! どういうことです?」
しとどに濡れた金髪を掻きあげながら、ジュリアスは頭痛を堪えるように呻いた。
「革命軍と行動を共にしているらしい」
「まさか、坂の上に!?」
「ありえます」
「なんてこった、防壁前は乱戦ですよ。革命軍は成人したての子供も多い。突っこむんですか?」
「正面からいくしかありません」
感情を交えない、冷静且つ明瞭な声でジュリアスがいうと、ヤシュムも覚悟を決めたように頷いた。
俄か造りの防壁へ近づくほど、革命軍とゴダール家の衝突は激化した。鮮血に染まる石畳を、空から落ちる滝のような雨が洗ってゆく。
「突破しますか?」
「いえ」
最終確認をするヤシュムに、ジュリアスは前を向いたまま答えた。入り乱れたこの坂道を、闘わずして抜け切るつもりだった。
「私に続いてください」
誇り高い黒馬、トゥーリオの首筋を撫でると、主の意図を察したように力強く地面を蹴った。
前線を見据えて、矢の如く加速してゆく。
監獄に続く斜面は、左右を石壁に阻まれ迂回はできない。
その強固な壁を、ジュリアスは逆に利用した。助走をつけて防壁を飛び越えると、ほぼ垂直の壁面を斜めに駆ける!
曲芸に近い馬術だが、ヤシュムを始めとする麾下 はジュリアスの後ろに続いた。その恐るべき進軍光景は、火花を散らして剣戟 する者の目をも奪った。
「アッサラーム軍かッ!?」
「壁を走っていやがる」
壁伝いに乱戦を突っ切っるさなか、怒りに慄 える幾つもの声を聞いた。
「リャンは無事だッ! 罠だ! 上にいけば焼夷 される! 退けぇッ!!」
積みあげた土嚢の奥から、革命軍の兵士が声を嗄 らして叫んでいる。だがゴダールの兵士の耳には届かない。
「貴様らの児戯につきあっている暇はない! そこを退けぇッ!」
負けじと怒号を叫んでいる。火がついた闘争心は、礫礫 の雨でも消せはしない。
進退窮まる坂道を駆けあがると、唐突に視界が開けた。馬蹄を鳴らして着地すると共に、視界にアッサラーム軍の青い軍旗が翻った。
「アルスランッ!!」
道を切り拓き、進撃を食い止めているのはアルスランだ。
「上ですッ!」
彼はジュリアスを見るなり叫んだ。目線で応えたジュリアスは、斜面のさらに上を目指して馬を走らせた。
咄 ! まずいことに、最前線から滲みでてきたゴダールの兵が、監獄に向かって無思慮に走りだしてしまった。
「ゴダールがきたぞッ!!」
有刺鉄線の向こう、監獄の見張塔からドラクヴァ陣営の指揮官が吠えた。石壁に空いた銃眼から、黒牙の鋭い矢が無数に覗いている――
姿は見えないが、木立の陰に光希の気配を感じとったジュリアスは、ぞっと背筋が冷えるのを感じた。
敵意に燃える指揮官が、部下に射撃の合図を送ろうとしている。鉄扉の前に横たわる黄土色の油の海に向けて、火矢を放つつもりなのだ。触発すれば、雨をものともせず辺り一面紅蓮大紅蓮の焔に沈むだろう。
「火矢を放てッ!」
目の眩むような怒りが、ジュリアスを貫いた。
時が止まったように感じられた。己の鼓動、血潮、呼吸、あらゆる音、振動、温度、匂い――膨大な情報の一つ一つを意識しながら、冴え渡る無限の力が降りてくる のを感じた。
鉄 の刃先に雫が伝う。
剣先を空に翳した一刹那 、雷槌 が疾 った。雷 をまとった黒牙で、監獄の鉄扉に向けて一閃する。
轟然 ! 耳を聾 する雷鳴に、周囲は委縮した。衝撃は堅牢な石壁を穿ち、銃眼から覗く連弩 ごと破壊した。
「花嫁 に触れてみろ、我が剣にかけてくれるッ!」
青焔の闘気をまとってジュリアスが吠えた。しかし指揮官は怯まずに腕を振りあげ、弓隊に照準させた。
「撃 ぇ――ッ!!」
流星雨のように飛来する矢を、ジュリアスは全て弾き飛ばした。無傷で迫る姿を見て、弓隊は慄 いたように後じさる。
「仕留めろッ!」
指揮官は忌々しそうに舌打ちすると、自ら勇ましく大弓を引いた。鉄扉の上から、ジュリアスを照準して矢を放つ。
放たれた矢を、ジュリアスは騎馬したまま刀身で防いだ。続けて一矢、さらに一矢と防ぐ。
有利な遠射が当たらず、弓を引く指揮官は目を瞠る。しかし、見事な弓さばきですぐに矢を番えた。
高所からの、抜群の遠射。
躱す度に飛距離は縮まり、矢の速さは増す。互いに、次に放たれる一矢は、目にも止まらぬ速さであると判っていた。
極限の零のなか視線が交錯した。見覚えのある顔だ。彼はドラクヴァの後継、ガルーシャ・ドラクヴァだった。
放たれた、目にも止まらぬ一射――
錚々 たる鋼の響きよ!
朱金の火花が散る。雨を貫く光矢を、ジュリアスは神技の一閃で弾いたのだ!
黒馬は、有刺鉄線の鉄扉をものともせず跳躍する。その衝撃で見張塔の足場が崩れ、ガルーシャは地面におりた。
「きたぞ! さがれッ!!」
鋭い警句を発し、矢を番えようとするが――遅い。
黒牙を一閃すれば首を取れる。相対する男の双眸は、己の死を悟ったかのように大きく見開かれた。
薙ぎを狙う刃は番えた矢を弓ごと破壊し、ガルーシャの首の皮に触れる直前で止まった。
「お見事」
ガルーシャは観念したように、壊れた弓を捨てて両手をあげた。
「ガルーシャ・ドラクヴァ。これ以上の抵抗は、アッサラームへの反逆と見なします。直ちに武装解除してください」
神懸かりのジュリアスが、玲瓏 な刃物の輝きを宿した瞳で睥睨すると、ついにガルーシャ・ドラクヴァはかかとをそろえて敬礼した。
「……従いましょう。私の負けです」
ガルーシャの投降により、ドラクヴァの抵抗は鎮まった。
開かれた鉄扉からヤシュムの部隊が雪崩こみ、武装兵を手際よく取り締まっていく。
「総大将!」
威勢の良い声に振り向くと、ユニヴァースが配下を従えて坂を駆けあがってきた。東の鎮圧にあたっていたはずだが、随分と到着が早い。
「ドラクヴァは降伏した! 抵抗する者は捕えよ」
「御意!」
短い指示に応じて、ユニヴァースは無駄のない動きで監獄に押し入り、ヤシュムの隊と挟撃するように、残兵を取り囲んだ。彼も今では一個隊の将である。
東西南北から攻め入った自軍も、監獄に続く坂下に集結し始めている。混乱は治まりつつあった。
「――ジュリッ!」
その声にジュリアスは、弾かれたように振り向いた。
茂みの奥、アージュとエステルの後ろで、薄汚れた男――リャン・ゴダールに寄り添うようにして光希は立っていた。
しかし、ザインを掌握する三家であっても、アッサラーム軍を止めることはできない。
先頭を駆けるジュリアスは、西の宗主国たるアッサラームから東方遠征に匹敵する権限を与えられているのだ。彼はまた、アッサラーム全軍最高指揮権、西方諸国
彼を止められる者は、この大陸に存在しない。
水気を孕んだ
監獄へ続く坂道が見えてきたところで、天空から雫が垂れた。
ぽつぽつと地面を濡らしたかと思えば、瞬く間に牙を向いて、
さらに次の瞬間、
つまり、南門でゴダールの外部部隊が起動を見せたということだ。荒天に見舞われ視界は最悪だが、二家の衝突を止めなければならない。
坂道の手前では、既に悲惨な戦闘が起きていた。
けぶる視界の向こう、若い兵が血を噴きあげながら
「総大将ッ!」
向かいの路地から、
「南門に半数を送りました。ゴダールの外部部隊を引き留めています。指揮はデメトリス、こちらは七十余」
ヤシュムの報告にジュリアスは頷いた。
「正しい判断です。東は?」
「ユニヴァースにいかせました」
「判りました。光希と連絡が取れません。そちらには?」
「きておりませんよ! どういうことです?」
しとどに濡れた金髪を掻きあげながら、ジュリアスは頭痛を堪えるように呻いた。
「革命軍と行動を共にしているらしい」
「まさか、坂の上に!?」
「ありえます」
「なんてこった、防壁前は乱戦ですよ。革命軍は成人したての子供も多い。突っこむんですか?」
「正面からいくしかありません」
感情を交えない、冷静且つ明瞭な声でジュリアスがいうと、ヤシュムも覚悟を決めたように頷いた。
俄か造りの防壁へ近づくほど、革命軍とゴダール家の衝突は激化した。鮮血に染まる石畳を、空から落ちる滝のような雨が洗ってゆく。
「突破しますか?」
「いえ」
最終確認をするヤシュムに、ジュリアスは前を向いたまま答えた。入り乱れたこの坂道を、闘わずして抜け切るつもりだった。
「私に続いてください」
誇り高い黒馬、トゥーリオの首筋を撫でると、主の意図を察したように力強く地面を蹴った。
前線を見据えて、矢の如く加速してゆく。
監獄に続く斜面は、左右を石壁に阻まれ迂回はできない。
その強固な壁を、ジュリアスは逆に利用した。助走をつけて防壁を飛び越えると、ほぼ垂直の壁面を斜めに駆ける!
曲芸に近い馬術だが、ヤシュムを始めとする
「アッサラーム軍かッ!?」
「壁を走っていやがる」
壁伝いに乱戦を突っ切っるさなか、怒りに
「リャンは無事だッ! 罠だ! 上にいけば
積みあげた土嚢の奥から、革命軍の兵士が声を
「貴様らの児戯につきあっている暇はない! そこを退けぇッ!」
負けじと怒号を叫んでいる。火がついた闘争心は、礫
進退窮まる坂道を駆けあがると、唐突に視界が開けた。馬蹄を鳴らして着地すると共に、視界にアッサラーム軍の青い軍旗が翻った。
「アルスランッ!!」
道を切り拓き、進撃を食い止めているのはアルスランだ。
「上ですッ!」
彼はジュリアスを見るなり叫んだ。目線で応えたジュリアスは、斜面のさらに上を目指して馬を走らせた。
「ゴダールがきたぞッ!!」
有刺鉄線の向こう、監獄の見張塔からドラクヴァ陣営の指揮官が吠えた。石壁に空いた銃眼から、黒牙の鋭い矢が無数に覗いている――
姿は見えないが、木立の陰に光希の気配を感じとったジュリアスは、ぞっと背筋が冷えるのを感じた。
敵意に燃える指揮官が、部下に射撃の合図を送ろうとしている。鉄扉の前に横たわる黄土色の油の海に向けて、火矢を放つつもりなのだ。触発すれば、雨をものともせず辺り一面紅蓮大紅蓮の焔に沈むだろう。
「火矢を放てッ!」
目の眩むような怒りが、ジュリアスを貫いた。
時が止まったように感じられた。己の鼓動、血潮、呼吸、あらゆる音、振動、温度、匂い――膨大な情報の一つ一つを意識しながら、冴え渡る無限の力が
剣先を空に翳した
「
青焔の闘気をまとってジュリアスが吠えた。しかし指揮官は怯まずに腕を振りあげ、弓隊に照準させた。
「
流星雨のように飛来する矢を、ジュリアスは全て弾き飛ばした。無傷で迫る姿を見て、弓隊は
「仕留めろッ!」
指揮官は忌々しそうに舌打ちすると、自ら勇ましく大弓を引いた。鉄扉の上から、ジュリアスを照準して矢を放つ。
放たれた矢を、ジュリアスは騎馬したまま刀身で防いだ。続けて一矢、さらに一矢と防ぐ。
有利な遠射が当たらず、弓を引く指揮官は目を瞠る。しかし、見事な弓さばきですぐに矢を番えた。
高所からの、抜群の遠射。
躱す度に飛距離は縮まり、矢の速さは増す。互いに、次に放たれる一矢は、目にも止まらぬ速さであると判っていた。
極限の零のなか視線が交錯した。見覚えのある顔だ。彼はドラクヴァの後継、ガルーシャ・ドラクヴァだった。
放たれた、目にも止まらぬ一射――
朱金の火花が散る。雨を貫く光矢を、ジュリアスは神技の一閃で弾いたのだ!
黒馬は、有刺鉄線の鉄扉をものともせず跳躍する。その衝撃で見張塔の足場が崩れ、ガルーシャは地面におりた。
「きたぞ! さがれッ!!」
鋭い警句を発し、矢を番えようとするが――遅い。
黒牙を一閃すれば首を取れる。相対する男の双眸は、己の死を悟ったかのように大きく見開かれた。
薙ぎを狙う刃は番えた矢を弓ごと破壊し、ガルーシャの首の皮に触れる直前で止まった。
「お見事」
ガルーシャは観念したように、壊れた弓を捨てて両手をあげた。
「ガルーシャ・ドラクヴァ。これ以上の抵抗は、アッサラームへの反逆と見なします。直ちに武装解除してください」
神懸かりのジュリアスが、
「……従いましょう。私の負けです」
ガルーシャの投降により、ドラクヴァの抵抗は鎮まった。
開かれた鉄扉からヤシュムの部隊が雪崩こみ、武装兵を手際よく取り締まっていく。
「総大将!」
威勢の良い声に振り向くと、ユニヴァースが配下を従えて坂を駆けあがってきた。東の鎮圧にあたっていたはずだが、随分と到着が早い。
「ドラクヴァは降伏した! 抵抗する者は捕えよ」
「御意!」
短い指示に応じて、ユニヴァースは無駄のない動きで監獄に押し入り、ヤシュムの隊と挟撃するように、残兵を取り囲んだ。彼も今では一個隊の将である。
東西南北から攻め入った自軍も、監獄に続く坂下に集結し始めている。混乱は治まりつつあった。
「――ジュリッ!」
その声にジュリアスは、弾かれたように振り向いた。
茂みの奥、アージュとエステルの後ろで、薄汚れた男――リャン・ゴダールに寄り添うようにして光希は立っていた。