アッサラーム夜想曲

栄光の紋章 - 1 -

 古き蒼穹の日。
 天地創造の日に、神はアッサラームをお創りになった。
 金色こんじきに輝く聖都が、西にあまねく文明の揺籃ようらんの地であることは、論をたない。
 いしずえは四方へと根を拡げた。砂の波濤はとうを越え――時代と共に様々な異人種が流入し、南西に栄えし都、ザインが誕生したのだ。
 厳しい自然に、歴史を積みあげてきた都市の威容は、誇り高く美しい。
 賑々しい往来には高級旅籠や酒家が建ち並び、豪奢な金色のいらかは陽を照り返して、燦然と鹿毛かげ色に煌めく。
 アッサラームを仰いで暮らす人々は敬虔で、部族は皆が平等という思想の元に、相互補助の精神が讃えられてきた。
 しかし――
 覇権が長引くと、身勝手な利益追求が生まれる。
 有権者の支配に繋がり、軍閥の跋扈ばっこ、被害は市井へと降り懸かる。
 かく語りき、平等の精神はいずこへ。三家がザインを支配し始めたのは、いつからであったろう?
 市街は不安に満ちている。
 普段は賑々しい往来に人影は少なく、アッサラーム軍の隊服を着た馬上のジュリアスを、まばらに歩く領民は不安そうに仰ぎ見た。
 西門に到着した後、ジュリアスは光希を砂漠に残し、少数を連れてザインへ入った。人目を引く外見は、覆面で頭髪と額を覆い哨戒しょうかい兵を装っている。
 街の様子をざっと眺めてから、手配させた隊商宿キャラバン・サライに入ると、予め潜入させていた密偵が計ったように戻ってきた。
「報告します。襲撃を受けたのは、ドラクヴァ家の新しい当主、ガルーシャ・ドラクヴァです」
 音も立てずに跪いた男は、覆面の奥から薄らのような目だけを覗かせ、淡々と答えた。
「被害状況は?」
「当主は無事ですが、列席していたドラクヴァ家の者と、神官あわせて十数名の死傷者がでております」
「襲撃したのは?」
「残された武器には、ゴダール家の紋章が入っていたそうです。ゴダール家は否定しているようですが、亡き公爵の祈祷を穢され、二度も襲撃を受けたドラクヴァ家は、ゴダール家に全面抗争を宣告しました」
「真相はどうなのです?」
「今、詳しく調べております。ゴダール家はリャンの解放を求めて、武力対抗する姿勢を見せています」
「我々の介入にあわせて、和議の申し入れは無かったのですか?」
 横から口を挟んだのはナディアだ。跪いた男は、そのようです、と淡々と応えた。
 妙だな、とこの場に居合わせた全員が内心で思った。
 宗主国の到着を知った上で、武装を解かないとは……ドラクヴァ家に勝算はあるのだろうか?
「リャンについて判ったことは?」
「アブダム監獄を見て参りましたが、堅牢な城塞そのものです。近づくことはおろか、侵入は極めて困難でしょう」
 彼が囚われている監獄は、ドラクヴァ家の領地にある。左右を絶壁に守られた難関地形で、出入り口は正面に伸びる一本道の斜面しかない。
「領主については?」
「評判はすこぶる良いですよ。温藉おんしゃ高雅で廉直れんちょく公平。有能の士であれば、身分問わず要職に就かせる。病床の両親を世話する孝行者です。二家が荒れていることもあり、傑出した円満な人柄は、領民の支持を集めているようです」
「領主の模範ですね」
 と、ジュリアスはいささか皮肉のきいた賛成の意をしめして相手を見ながらいった。
「判断するには材料が不十分です。ただ、証拠はありませんが、革命軍が何人か行方不明になっており、グランディエ家の仕業だという噂を耳にしました」
「なるほど……それぞれの軍事規模は?」
「ゴダール家の主力部隊は三千、豪族と同盟を結んでおり、外壁の外にも千は潜んでおります。ドラクヴァ家は軍資金を募り、腕の立つ傭兵を二千以上集めているようです」
 男は粛々と答えた。
「大体、拮抗していますね。和議がなれば話は早いのですが……」
 これから会いにいくグランディエ公には、二家も招くよう伝えてある。その場で和睦を成せれば、事は穏便に運ぶだろう。
「傭兵なら忠誠も薄いでしょう。買収してはいかがですか?」
 思いふけっていると、ナディアが穏やかな声音で提案した。典雅な趣味を持つ玲瓏れいろうとした男だが、職業軍人としての権謀術数に長けた僚友である。
 彼のげんは、なかなか正鵠せいこくを射ている。
 東西大戦の折には、東のベルシアに多額の資金援助を申し入れ、サルビアの従軍から離反させ、戦争短期終結の功を奏した事例もある。
 しかし、ジュリアスの思案を絶つように密偵は首を振った。
「金品では、解決に至らないでしょう。今朝の一件で、両家とも臨戦態勢。いつ火蓋が切って落とされてもおかしくはありません」
「……状況は判りました。よく知らせてくれました。グランディエ公に会いにいきます」
「すぐに向かわれますか?」
 ナディアの問いに、ジュリアスはかぶりを振った。
「その前に光希に会いにいきます」
 事態は思った以上に深刻だ。野営を続けることになるが、ザインへ光希を迎え入れるのは、少し様子を見た方がいいだろう。
 陽が傾いていくなか西の拠点に戻ると、一兵卒に扮した光希が不安そうな顔で駆けてきた。
 彼の姿を見た途端に、ジュリアスは全身が熱くなるのを感じた。柔らかな躰を抱きしめて、甘い匂いを肺いっぱいに吸いこむ。だがじっくり堪能している時間はなかった。経緯を説明して発とうとすると、思わずといった風に光希はすがりついてきた。
「闘いが始まる時、酷く雨が降るかもしれない。どうか、気をつけて」
「光希も……」
 この状況で彼の傍を離れるのは、ひたむきな意思の力が必要だった。信頼できる僚友に任せているが、本音をいえば自分の手で守りたい。
 それでも、宗主国総指揮を任されている身として、いかないわけにはいかなかった。
 ――命に代えても、光希を守れ。
 視線に声なき声を乗せて、ジュリアスは光希直属の護衛を一瞥した。鋭い眼光に気圧される者もいたが、全員がしっかと最敬礼で応えた。