アッサラーム夜想曲

神の系譜 - 2 -

 二人の間に気詰まりな沈黙がよどんだ。
 視線に耐えかねて、光希の方から視線をはずした。無言で立ちあがり、背を向けて螺旋階段に向かおうとすると、後ろからジュリアスが追いかけてきた。
「待ってください」
 腕を掴まれたが、光希は両足に力をこめて、振り向くことを拒んだ。
「ごめん、休憩させて」
「光希」
「今日はもう」
 いい争いたくない。俯いたまま、手をふりほどこうとする。
「光希、待って」
「少し一人で考えたい」
 硬い口調で告げると、ジュリアスは光希の肩にそっと手を置いた。殆ど力はこめられていなかったが、抗うのも大人気ないように思えて、仕方なく光希は振り向いた。
「いかないでください。問題を長引かせるだけです。もう少し……座って話しましょう?」
 ジュリアスは声を和らげて囁いた。けれども光希は素直に頷けず、肩に置かれた手をそっと外した。その表情から、彼を傷つけてしまったと判っていたのに、ひねくれた唇は止まらなかった。
「ジュリは、いつでも落ち着いてるね」
 思ったよりも恨みがましい口調になってしまった。いった傍から後悔したが、もう遅い。
「私が?」
 青い瞳が反感できらめいている。
 返事をしなくてはと頭では判っているが、言葉がでてこなかった。苛立っている自覚はあるものの、平静を保てそうにない。独りになりたいのに、どうして赦してくれないのだろうと、反発心がもたげるのを感じていた。
「……貴方に責められて、冷静ではいられませんよ。ですが、光希に関することだから、後回しにしたくありません」
 理性に長け、桁はずれの頭脳を持つ彼は、何でもその場で解決してしまおうとする。
「ジュリと話していると、こんな時でも、僕は講釈を聞いている気分になる……ごめん、もういかせて」
 顔を伏せると、俯けた視界にジュリアスの手が映った。大袈裟に躰を傾けて、その手を避けてしまった。
「……会議では、私も強くいい過ぎたかもしれません。すみませんでした」
 彼の素直な謝罪は、光希の複雑な心中をさらにかき乱した。
「いいよ、お互い様だから。続きは明日にしよう」
「光希。納得していないのに、終わらせようとしないで」
 衝動的な怒りが燃えあがり、光希は睨みつけるようにジュリアスを仰いだ。
「終わらせるわけじゃない。明日にしようっていっているんだ」
「先伸ばしにしても――」
「僕はジュリみたいに、いつでも正しい判断ができるわけじゃないんだよ!」
 澄み透った青い眼差しから逃げるように、掌で視界を覆う。理性を総動員させて、淡い笑みを顔に貼りつけると、ゆっくり手を剥がした。
「明日は笑ってみせる。だから、今夜は一人にさせて」
「光希……」
「お願い」
「……判りました」
 落胆した声を聞いて、光希の胸もきりりと痛んだ。ささやかな勝利を得たものの、後味は極めて悪い。
「ナフィーサも、下がらせてください」
「え?」
 光希は二度瞬きをした。
「私を遠ざけるというのなら、今夜は他の誰も傍に寄せないで。護衛も、視界に映らぬ配置で」
 恋情の覗く勁烈けいれつな眼差しに、光希は反論を呑みこんだ。俯いて、掌を強く握りしめる。
「……判った」
「ですが」
 後方に控えているナフィーサから戸惑いの声があがったが、窘めるようにルスタムが手で制している。
 孤立無援だが仕方がない。恋人の八つ当たり気味な嫉妬を責める資格など、先に短気を起こした光希にあるはずもなかった。
 三対の双眸から逃げるように背を向けると、一人で二階へあがった。
 廊下を歩きながら、あてつけのように予備の寝室に向かう考えも浮かんだが、それだけはやってはいけないと理性が押し留めた。光希もジュリアスを傷つけたいわけではないのだ。
「はぁ――……」
 慣れ親しんだ私室に入るなり、腹の底から溜息が漏れた。
 心も躰も鉛のように重い。後頭部まで圧迫されているように感じる。指を動かすことすら億劫で、殆ど停止した思考で、のろのろと着替えた。
 水を一杯飲み干すと、照明を落として寝台に横になった。
 もうこれ以上、悩みたくない。今夜はせめて、安らかな眠りに慰めて欲しかった。