アッサラーム夜想曲

神の系譜 - 10 -

 急ぎ、会談のための天幕は整えられた。
 揺り香炉から馥郁ふくいくたる素馨ジャスミンが香り、灯された淡い照明は、薄紗の奥にいるナフィーサを神秘的に見せていた。
 今この空間は、紛れもなくナフィーサが支配するものであることを、この場に居合わせた誰もがはっきりと感じているはずだった。
「ナフィーサ、綺麗だね」
 光希がこそっと隣にいるローゼンアージュに耳打ちすると、人形めいた青年は淡々とした表情で光希を見た。
「殿下、こちらへ。僕の隣で跪いて」
「はい」
 いわれるがままローゼンアージュに倣い、光希は一番端で跪いた。隊帽と覆面を装着しているので、俯いてしまえば、光希とは気づかれないはずだ。
「殿下、お連れしてもよろしいでしょうか?」
 天幕の向こうから、アルスランが恭しく訊ねた。良い、とナフィーサが短く答えると、
花嫁ロザインが話を聞くとおっしゃられている。入られよ」
 兵士に左右を挟まれて、ヘガセイアとアークと名乗る二人の革命軍の男が、天幕のなかに入ってきた。
 覆面を取った顔は意外にも若々しく、二人共まだ二十代に見えた。がっちりした体躯と顔立ちのアークに対して、ヘガセイアは細身だ。濃い眉、彫りこんだような瞳、高い頬骨とかっちりした顔の輪郭は、少々きつい印象を与えるが、秀麗な面立ちをしている。
 砂と土に薄汚れた格好をしているが、強靭な霊光オーラめいたものが備わっており、彼が革命軍を率いているというのも納得いく気がした。
「どのようなご用件でしょうか?」
 紗の奥からナフィーサが声をかけると、やってきた二人は、恐縮しきったようにぬかづいた。
「御目通り叶い、恐悦至極。お休みのところ、誠に申し訳ありません。いかなる罰も受ける覚悟でおります」
 ヘガセイアが落ちついた声でいった。
「……顔をあげて、話を聞かせてください」
 少し、間をおいてからナフィーサがいうと、ヘガセイアは弾かれたように顔をあげた。
「感謝いたします! ザインの希望の星、革命の寵児、我が友でもあるリャンの窮地をお救いいただきたく、こうして馳せ参じました」
「リャン・ゴダールですね?」
「はい。リャンは無実です。ドラクヴァ公をしいしてなどおりません。彼は、陥れられたのです」
「陥れられた?」
「はい。彼は、ジャムシード・グランディエの奸計かんけいによって、汚名を着せられたのです」
 顔を俯けたまま、光希は目を瞠った。どういうことだ。リャンがグランディエ公爵に陥れられた?
「妙なことをいう。我々は、そのグランディエ公に招かれて、ザインへやってきたのだぞ」
 鋼腕で腕を組むアルスランが、訝しげに訊ねた。
 光希の胸にも不安がきざした。昨夜ジュリアスは、ジャムシード・グランディエに会いにいったはずだ。無事なのだろうか……
「嘘ではありません! このことは、複数の同志が証言してくれます」
「この場でか?」
「今すぐには……証言できる者を捕えられているのです」
「話にならないな」
 針を含んだ瞳でアルスランが一刀両断すると、ヘガセイアは歯痒げな視線を返した。
「彼が無実であることは、本当です! ドラクヴァ公爵暗殺の真相を追ううちに、ジャムシード・グランディエの企みを知り、彼はむしろ二家の争いを止めようとしていたのです」
「企み?」
 アルスランが訊き返した。
「はい。今朝の礼拝堂の惨劇、真の狙いは後継のドラクヴァ公爵ではなく、グランディエ公の意に背いた、聖霊降臨の儀式を司る神官だったのです」
「どうやって調べた?」
「様々な職に就く同志たちが、危険を冒して情報を集めてくれました」
「ここに我々がいることも?」
「不敬は承知ながら、ザインへ到着してからのご様子を、密かに観察しておりました」
 間諜を仄めかす発言にアルスランは目線を鋭くさせたが、これはお互い様であろう。ジュリアスも到着する前から、偵察隊を送りこんでいる。
「謙虚を口にしていても、ジャムシードは領主続投を狙う野心家です。二家を操り、聖霊降臨儀式もけがそうとしています」
「それが本当で、そこまで情報を掴んでいるのなら、早く二家に打ち明けてはどうか?」
 そっけない返答に、ヘガセイアは悔しそうな表情を浮かべた。上目遣いにアルスランをめつける。
「何度も伝えようといたしました。しかしながら、革命軍を敵視する彼等は、我々の言葉を聞こうとしません」
「そもそも、革命軍の幹部がなぜ、三大覇権の一派、リャン・ゴダールを庇う?」
「……彼は、革命軍の首領なのです。我々は、彼の目指す思想の元に集まった同志なのです」
 誰かが聞きつけるのを恐れるように、ヘガセイアは声を落として囁いた。
「首領だと?」
 と、驚いた様子でアルスラン。光希も唖然となり、危うく驚嘆の声をあげてしまうところだった。
 処刑は明日に迫っているというのに、リャンは宝石もちの系譜であるばかりでなく、革命軍の首領であり、ゴダール家の嫡子だというのか――頭が錯綜し、頭痛がしてくる。
 次期宋主家を巡る抗争と思いきや、この国では更に大きな大旋風が吹き荒れようとしている。
「驚かれるのも無理はありません。リャンは革命軍では別名を名乗り、身分を明かしていない。このことを知るのは、ごく少数です」
「ゴダール家は知っているのか?」
「祖父君はご存知だと、リャンは話しておりました」
 リャンの祖父、バフムート・ゴダール公爵のことだ。
 吟味するようにアルスランが沈黙すると、ヘガセイアは再び額を絨毯にぴったりとつけて伏した。
「シャイターンの花嫁ロザインがおいでくださったのは、天の救い。こいねがわくは、御力をお貸しください」
 慈悲を請う青年に、アルスランは冷ややかな視線を送った。
「いっておくが、真偽も判らぬ私怨に手は貸せない。我々は、聖霊降臨儀式に招かれただけなのだから」
 張り詰めたヘガセイアの横顔に、絶望のとばりがおりたようだった。
 話は終いとばかりにアルスランが手で合図すると、跪くヘガセイアの躰を起こそうと兵士が動いた。
「話をお聞きくださっただけでも僥倖ぎょうこうと思うことだ。さがられよ」
「お聞きをッ! もうすぐ、リャンは殺されてしまう! そうなれば、ゴダール家とドラクヴァ家の衝突は止められません。ザインの街が崩壊してしまうのですッ!!」
 必死に額づこうとするヘガセイアを兵士は強引に立たせ、天幕の外へ連れだそうとする。すると、これまで黙っていたアークが暴れだして、場は騒然となった。
 あっ、と光希が思った時には、長い裾に足を取られたヘガセイアが、光希の方に倒れこんできた。