アッサラーム夜想曲
空想の恋 - 8 -
あれから、四年。
期号アム・ダムール四五六年。一三月五日。
東に決勝したアッサラームは、その後大きな内乱も遠征もなく、平和を享受し、栄耀 栄華の極地にあった。
間もなくアメクファンタム第一皇子は成人する。新たな皇太子誕生に伴い、長く治世を守ったアデイルバッハ皇帝は退位し、アースレイヤ皇太子が即位する。
新しい御代が始まろうとしている。
聖都の前途は明るく、希望に満ちていた。祝福に包まれ、生きる喜びに溢れている。
しかし、光明が射せば影も射す――
東西戦争の折に、万もの援軍に同意したアッサラームの主要盟友国の一つ、南西に栄えるザイン公国は、激動の端境期 にあった。
かつて様々な王朝が覇権を競い、栄枯盛衰を繰り返してきたザインは、聖都アッサラームを仰ぐ敬虔 な信徒であり、広大な土地を神事により選出された公爵家が治める、誇り高い独立自治区である。
美しい古都は、終戦後に内紛が激化し、著しく治安が悪化していた。その被害は、もはやザイン内域に留まらない。
ここ数年、荒れるザインの治安に交易は滞り、周辺経済にも影響を及ぼしていた。
治安悪化の原因は、ザインを支配する三家にある。
三大公爵家――ドラクヴァ家、ゴダール家、グランディエ家のうち、十年に渡りグランディエ家がザインを治めてきた。
グランディエ公爵、ザインを治める領主の名を、ジャムシード・グランディエという。
十年続いた覇権を、年明けの聖霊降臨日に返上し、同時に次の宗主家を選出しようとしている。
ところが、ドラクヴァ家とゴダール家は覇を賭けて牽制し合い、ついにドラクヴァ家の当主が暗殺される事態にまで発展してしまった。
ゴダール家の嫡子リャンに疑惑がかかり、ドラクヴァ家は彼を拘束。ゴダール家はリャンの解放を求めるが、ドラクヴァ家は頑として拒否している。
誰が、ドラクヴァ家の当主を弑 したのか。
リャンは無実なのか。
次の覇は、ゴダール家かそれともドラクヴァ家か。
悪化する治安に、領民からは不満の声が高まり、自由統治を唱える革命軍が乱を発起した。
現在、三家と革命軍の緊張は限界まで高まっている。
安定しない情勢のなか、宗主家を務めるグランディエ家から、精霊降臨儀式の招待状が、西における最古最高最大の文明都市、聖都アッサラームに届けられた。
額面通りに受け取れば、恒例の式典への招待状であるが、その裏には、絶対的な威信の介入により鎮静化を図りたいという公爵家の狙いも見える。
すなわち――
東西に決勝した砂漠の英雄、ジュリアス・ムーン・シャイターンと、その花嫁 、青い星の御使いの立ちあいの元に、聖霊降臨儀式を迎えたいと申し入れたのだ。
しかし、ジュリアスは光希を伴うことに難色を示している。
一方、神の啓示を受けた光希は、同行を強く主張している。
類稀 な星の巡りで結ばれた二人は、想いあいながらも、近頃は聖霊降臨儀式の参列権を巡って対立関係にあった。
今朝も早くから、絢爛華麗な光の間にて宮殿評議会が開かれているが、雲行きは妖しい……
「僕もいきます」
「認められません」
強張った表情で光希が告げれば、隣に立つジュリアスが即答する。既に何度か繰り返されている光景である。
「時期が悪過ぎます。判ってください」
「難しいことは判りますが、僕も、どうしても予見を無視できないんです」
「アッサラームと違って、街中でも襲撃があるかもしれないのです」
「親衛隊を連れていきます!」
おっとりしている彼にしては、この件に関して少しも譲る気配を見せない。
「光希に代わって、できるだけの支援をすると約束します。私を信じて、どうかアッサラームに残ってください」
「僕も招待を受けているのだから、出席の判断は僕にさせてください」
声が熱を帯びる。幽 かに哀願の響きが滲んでいたが、ジュリアスも譲らなかった。
「内紛の起きている場所に、貴方を連れていくことはできないと申しあげているのです」
勁烈 な視線がぶつかり、二人の間に見えぬ火花が散った。
「警護で苦労をかけるかもしれないけど、僕はザインで起こることを予見しています……役立てると思うけど」
不服げに光希が応えると、ジュリアスは苛立ちを抑えこむように黙りこくった。
空気はいっそう張り詰め、数十もの心配げな視線が二人の間を行き来する。
なかなか難しい問題だった。花嫁の言い分にも一理あるが、彼の守護者であり西方世界の英雄でもあるシャイターンが是といわぬ限り、ザイン同行は実現しないだろう。
周囲が物言いたげな顔で口をつぐむなか、アースレイヤはこめかみを押さえ、疲れたように口を開いた。
「まぁ……制圧にいくわけではありませんし、ここは一つ、シャイターンにお任せしてはいかがですか?」
「ですが!」
悔しげに反駁 を唱える光希を、アースレイヤは視線で制した。
「定かでないお告げより、治安の悪化している場所に、殿下をお連れすることの方が問題です。これ以上内輪で揉めるのはやめましょう」
優しく諭すような囁きは、静まりかえった議場によく響いた。
列席している官吏は概ね、ジュリアスとアースレイヤに同意なのである。サリヴァンもこの場では静観を選んだ。
満ちる沈黙。
誰も異を唱えぬ空気に、青い星の御使いは、憤懣 やるかたない様子で沈黙を強いられた。
期号アム・ダムール四五六年。一三月五日。
東に決勝したアッサラームは、その後大きな内乱も遠征もなく、平和を享受し、
間もなくアメクファンタム第一皇子は成人する。新たな皇太子誕生に伴い、長く治世を守ったアデイルバッハ皇帝は退位し、アースレイヤ皇太子が即位する。
新しい御代が始まろうとしている。
聖都の前途は明るく、希望に満ちていた。祝福に包まれ、生きる喜びに溢れている。
しかし、光明が射せば影も射す――
東西戦争の折に、万もの援軍に同意したアッサラームの主要盟友国の一つ、南西に栄えるザイン公国は、激動の
かつて様々な王朝が覇権を競い、栄枯盛衰を繰り返してきたザインは、聖都アッサラームを仰ぐ
美しい古都は、終戦後に内紛が激化し、著しく治安が悪化していた。その被害は、もはやザイン内域に留まらない。
ここ数年、荒れるザインの治安に交易は滞り、周辺経済にも影響を及ぼしていた。
治安悪化の原因は、ザインを支配する三家にある。
三大公爵家――ドラクヴァ家、ゴダール家、グランディエ家のうち、十年に渡りグランディエ家がザインを治めてきた。
グランディエ公爵、ザインを治める領主の名を、ジャムシード・グランディエという。
十年続いた覇権を、年明けの聖霊降臨日に返上し、同時に次の宗主家を選出しようとしている。
ところが、ドラクヴァ家とゴダール家は覇を賭けて牽制し合い、ついにドラクヴァ家の当主が暗殺される事態にまで発展してしまった。
ゴダール家の嫡子リャンに疑惑がかかり、ドラクヴァ家は彼を拘束。ゴダール家はリャンの解放を求めるが、ドラクヴァ家は頑として拒否している。
誰が、ドラクヴァ家の当主を
リャンは無実なのか。
次の覇は、ゴダール家かそれともドラクヴァ家か。
悪化する治安に、領民からは不満の声が高まり、自由統治を唱える革命軍が乱を発起した。
現在、三家と革命軍の緊張は限界まで高まっている。
安定しない情勢のなか、宗主家を務めるグランディエ家から、精霊降臨儀式の招待状が、西における最古最高最大の文明都市、聖都アッサラームに届けられた。
額面通りに受け取れば、恒例の式典への招待状であるが、その裏には、絶対的な威信の介入により鎮静化を図りたいという公爵家の狙いも見える。
すなわち――
東西に決勝した砂漠の英雄、ジュリアス・ムーン・シャイターンと、その
しかし、ジュリアスは光希を伴うことに難色を示している。
一方、神の啓示を受けた光希は、同行を強く主張している。
今朝も早くから、絢爛華麗な光の間にて宮殿評議会が開かれているが、雲行きは妖しい……
「僕もいきます」
「認められません」
強張った表情で光希が告げれば、隣に立つジュリアスが即答する。既に何度か繰り返されている光景である。
「時期が悪過ぎます。判ってください」
「難しいことは判りますが、僕も、どうしても予見を無視できないんです」
「アッサラームと違って、街中でも襲撃があるかもしれないのです」
「親衛隊を連れていきます!」
おっとりしている彼にしては、この件に関して少しも譲る気配を見せない。
「光希に代わって、できるだけの支援をすると約束します。私を信じて、どうかアッサラームに残ってください」
「僕も招待を受けているのだから、出席の判断は僕にさせてください」
声が熱を帯びる。
「内紛の起きている場所に、貴方を連れていくことはできないと申しあげているのです」
「警護で苦労をかけるかもしれないけど、僕はザインで起こることを予見しています……役立てると思うけど」
不服げに光希が応えると、ジュリアスは苛立ちを抑えこむように黙りこくった。
空気はいっそう張り詰め、数十もの心配げな視線が二人の間を行き来する。
なかなか難しい問題だった。花嫁の言い分にも一理あるが、彼の守護者であり西方世界の英雄でもあるシャイターンが是といわぬ限り、ザイン同行は実現しないだろう。
周囲が物言いたげな顔で口をつぐむなか、アースレイヤはこめかみを押さえ、疲れたように口を開いた。
「まぁ……制圧にいくわけではありませんし、ここは一つ、シャイターンにお任せしてはいかがですか?」
「ですが!」
悔しげに
「定かでないお告げより、治安の悪化している場所に、殿下をお連れすることの方が問題です。これ以上内輪で揉めるのはやめましょう」
優しく諭すような囁きは、静まりかえった議場によく響いた。
列席している官吏は概ね、ジュリアスとアースレイヤに同意なのである。サリヴァンもこの場では静観を選んだ。
満ちる沈黙。
誰も異を唱えぬ空気に、青い星の御使いは、