アッサラーム夜想曲

空想の恋 - 5 -

 聖都アッサラームは、暗雲に覆われた。
 領民には扉を固く閉ざすよう触れがだされ、宮殿を中心に厳しい哨戒しょうかい網が敷かれた。聖戦をくぐり抜けたアッサラーム軍の精鋭が、隊伍たいごをなして真昼の聖都を駆け抜ける。蹄鉄ていてつが石畳を叩いて火花を蹴立てた。
 宮殿ではアースレイヤとサリヴァンを中心に、緊急会議が続けられている。
 もはや、花嫁の捜索に話は留まらない。
 内乱鎮圧・花嫁奪還。
 遠征に臨めるだけの戦闘力を兼ね備えた、ジュリアス直属の麾下きか精鋭たち。一騎当千の将――ジャファール、アルスラン、ナディア、ヤシュム、アーヒムを先頭に編隊された隊伍は、複数拠点制圧に向けて同時に兵を動かした。
 戦況の様子は、日中でも目に留まる黒い煙を天空に昇らせる烽火ほうかにより、すぐさま宮殿に伝えられた。
 全ての戦況を正確に把握しうるのは、サリヴァンを含め軍議に立つ者だけだ。
「伝令! 東二区に傭兵軍団が大挙集結中!」
「伝令! 東北三区、およそ五百と衝突いたしました!」
 襲撃の報告が、矢継ぎ早にもたらされた。
 苦戦している拠点、手薄な拠点には援軍を送り、任務を遂げた隊には次の指示をだす。優先順位を決めて、的確な指示を繰りだすには相当な集中力を要した。
「編隊が崩れている。あそこはもう機能しない、引いて立て直しを……ッ」
「いや、時間が惜しい。近く、ジャファールがいます。“その場で立て直せ”と伝えよ。上手くすれば、そのまま拠点の中心に飛びこめるでしょう」
 回避策を訴える将の弁を遮り、沈着冷静にアースレイヤは告げた。
 劈頭へきとうから見事な指揮能力を披露する彼に、サリヴァンは密かに賞賛を贈った。冴えわたる炯眼けいがんは、同時進行で繰り広げられる戦況を、まるで硝子張りに見透しているかのようだ。この非常時に揺るがぬ精神力も大したものである。
 彼に欠けたところがあったとしても、補って余りある才能に恵まれていることは確かだった。
「伝令! 西の拠点に援軍が終結しています。か、掲げる紋章旗は……ハグル家、バンセ家にございますッ」
 息を切らせて駆けこむなり、伝令は悲壮な顔で告げた。
「なんだとッ 共同戦線を張っているのか!?」
「なんだ、それはァッ!」
 議場が青褪めるのもむべなるかな。
 どちらも大変な有力者である。ヘルベルト家の反逆にあわせて、皇家に反旗を翻したのだ。
 さいは投げられた。
 徴税の元締めであるヴァレンティ―ンをかつぐ者、借金苦に喘ぐ者、反撥はんぱつした者にそそのかされた権力者、友朋ゆうほう関係にある傭兵軍団までもが約束を反故ほごにして謀反に加わった。
 押さえねばならぬ拠点は瞬く間に膨れあがり、制圧と同時に、民衆の安全も確保しなければならなかった。
 進軍は、退路は、損害は、兵力は、拠点数は、指揮する将は――
 各々が、必死の形相で目まぐるしく計算している。気持ちは判るが、彼等の焦燥ぶりは逆にサリヴァンを冷静にさせた。
「……細かく隊を分けるとしましょう。深入りせず、浅く攻めてゆけば、どこかに必ず綻びが見えてくる。穴の開いた拠点を見つけたら、兵力を一点集中させるのです。近い部隊はこれに応じ、確実に制圧していきましょう」
 砂漠と違い、場所の限られた街中では、機動の制限が多い。決勝部隊がどこかに潜んでいたとしても、援軍として駆けつけるには時間を要する。
 兵力を問えば、圧倒的にこちらが有利なのだ。
 同時に反旗を翻し、機動の混乱を招きたいようだが、冷静に対処しさえすれば、逆に敵は兵力を分散させたが故の弱体化が顕著になる。
「どれだけ火を噴いたところで、アッサラーム全域に哨戒網を張り巡らせている、こちらの有利に変わりはありませんからな」
 落ち着いたサリヴァンの声は、呻いていた一同を黙らせた。それぞれが険を和らげ、首肯で応じる。
 作戦は軍勢の全てにただちに伝えられた。
 応じる前線の将も見事なもので、サリヴァンの意図を正確に汲み取り、浅い牽制を繰り返しては敵の苛立ちを誘った。
 同時に開戦した拠点にも、やがて様々な違いが見え始めた。くみしやすい拠点へ集中砲火の指示をだすと、蜂が襲いかかるように、瞬く間に制圧してみせる。作戦が機動に乗り始めるまでに、そう時間はかからなかった。
「……シャイターンも人が悪いと思いましたが、納得がいきました。聖者とは思えぬ采配ぶりです」
 どこか悪戯めいた光を瞳に点して、アースレイヤは賞賛を口にした。サリヴァンと同じように、彼もまたサリヴァンを測っていたらしい。
「年の功ですよ」
「ご謙遜を。隣にいてくださると、とても心強いですよ」
 おもねるでもなく、アースレイヤは繕いのない微笑を浮かべた。
 間もなくジュリアス自ら前線を切り開くと、アースレイヤも現場に駆けつけ、花嫁は無事に救出された。
 勝者が敗者を思う通りに遇するのは、世の習い、戦争の掟である。
 首謀者であるヴァレンティーンは拘束され、この世の春を謳歌していたヘルベルト家の栄華は地に堕ちた。
 私財没収。私領も全て差し押さえられ、新たな当主を擁立することも叶わず、一家断絶の極刑を、擁護してきたアースレイヤに申し渡されたのだ。