アッサラーム夜想曲
空想の恋 - 3 -
西の大陸の中心都市、金色 の聖都アッサラーム。
季節の移ろいは殆どなく、一年を分かつ雨季と乾季の別があるだけ。
蒼穹 は遥かに遠く、降り注ぐ日射しは力強く大地を照らす。風は爽やかに乾いており、時に砂の上を吹き荒ぶこともある。
日中の砂漠は熱砂となり、夜は真逆で冷えこむ。
厳しい自然に囲まれたアッサラームは、街中を大河が横断する砂漠の巨大オアシスだ。大神殿のカリヨンが高らかに響き渡る、シャイターンに守護されし悠久の聖都である。
アッサラーム軍は、数十日を費やして懐かしい聖都を目指した。
近づくにつれ、風に運ばれてジャスミンや麝香草 、紫丁香花 が薫る。
光の悪戯で、天まで伸びる金色の尖塔を視界に映し、サリヴァンは静かに一礼した。
長らく行軍を共にした彼等は、見目華やかな隊伍 を整えてから凱旋門を抜ける予定だが、サリヴァンは一足先に宮殿を訪れた。
「よく戻ったな」
絢爛華麗な謁見の間に入ると、アデイルバッハは玉座を立ってサリヴァンを労った。
「陛下、ただいま戻りました。お変わりありませんか?」
「朗報を聞いてから、アッサラーム中が活気づいている。気分が良い」
満面の笑みを浮かべる皇帝を見て、サリヴァンも知らず笑んだ。主君であり、知己である彼の顔を見て、帰ってきたのだと、ふと実感がこみあげたのだ。
「凱旋は、それは賑やかなものになりますな」
「うむ。楽しみだ」
皇帝は、しごく満足そうに笑った。
その通り、英雄達の凱旋は、それは賑やかなものであった。飛竜達が曲芸飛行を披露し、色とりどりの花びらが宙を舞った。
一行は、街中の歓呼によって迎えられ、英雄とその花嫁 を乗せた凱旋車が傍を通ると、誰もが喝采を叫んだ。
長らく不在であった公宮第一位を迎えたことにより、公宮関係者も顔に喜色を浮かべて奔走した。
しかし国を挙げて祝福された二人であったが、公宮をきっかけに、想いあうが故のすれ違いを招いてしまった。
気が急いたのか、ジュリアスは早暁から神殿にやってきて、サリヴァンを見るなりこういった。
「公宮を解散してください」
「そう、焦らずとも良いでしょう」
「急ぎたいのです。でないと、コーキの信頼を得られない」
「解散は決まっておりますが、神事はまだ先ですよ」
老婆心ながら言葉をかけてみたが、彼は譲らなかった。
「手続きなど、悠長に待てません。私の権威を以 てして、可及的速やかに解散して欲しいのです」
「……かしこまりました」
意志の固さを認め、異例と知りつつ解散要求をサリヴァンは受け入れた。
その急報は、公宮の権威であるバカルディーノ家を始め、各有権者を激震させた。
公宮行事を無視してまで解散されたジュリアスの公宮は注目を集め、様々な憶測を呼んだ。
しかし、公宮に暮らす女たちには、救いであったかもしれない。報われぬ想い、満たされぬ愛への苦悩から、解放されたのだから。
一人、また一人と公宮を去っていった。サリヴァンが一時世話をした、ジュリアスの婚約者候補、シェリーティアもその一人だ。
「サリヴァン様、大変お世話になりました」
宮女の衣装を脱いだ美しい娘は、深々と頭をさげた。
「お元気で」
「はい」
娘は万感をこめるように公宮を仰ぎ見ると、澄んだ瞳を細めた。長く注がれる視線を追い駆けると、遠く回廊の奥に、様子をうかがうように佇む花嫁の姿が見えた。
「……憎めない方でしたわ」
娘はくすりと微笑した。
天上人をたとえるにしては不敬な言葉だ。けれど、娘の浮かべる微苦笑に悪意はなく、ある種の感傷と、自嘲めいた色だけが浮かんでいた。
既視感を覚える、やるせない表情。叶わぬ想いを諦めた者が浮かべる、優しくも哀しい表情。
報われぬ恋。空想の恋を追い駆けた娘は、静かに公宮を後にした。
遠ざかり、小さくなりゆく後ろ姿を見守りながら、サリヴァンは、この世界、この時代にはいない空想の花嫁を思い浮かべた。
かの人を想う時、清涼な風が流れて、ジャスミンが薫る。
瞳を閉じれば――
瞼の奥に、いまだ見たことのない想い人が、慈母のような笑みを湛えて振り向いた。
そっと胸のうちで呼びかける。
“お元気ですか?”
“どこに、いらっしゃるのですか?”
“今生では、お会いできませんか?”
“言葉をかけてもらえるのなら……名を呼んでくださいませんか?”
“私の名は、サリヴァン。サリヴァン・アリム・シャイターンと申します”
……叶わぬ想いだ。
けれども……こうして夢想している限り、いつまでも青春を追い駆けていられるような気もする。
年老いてなお、目に映る光景を清涼に捉えられるのは、陽炎 のような貴方のおかげかもしれない。
季節の移ろいは殆どなく、一年を分かつ雨季と乾季の別があるだけ。
日中の砂漠は熱砂となり、夜は真逆で冷えこむ。
厳しい自然に囲まれたアッサラームは、街中を大河が横断する砂漠の巨大オアシスだ。大神殿のカリヨンが高らかに響き渡る、シャイターンに守護されし悠久の聖都である。
アッサラーム軍は、数十日を費やして懐かしい聖都を目指した。
近づくにつれ、風に運ばれてジャスミンや
光の悪戯で、天まで伸びる金色の尖塔を視界に映し、サリヴァンは静かに一礼した。
長らく行軍を共にした彼等は、見目華やかな
「よく戻ったな」
絢爛華麗な謁見の間に入ると、アデイルバッハは玉座を立ってサリヴァンを労った。
「陛下、ただいま戻りました。お変わりありませんか?」
「朗報を聞いてから、アッサラーム中が活気づいている。気分が良い」
満面の笑みを浮かべる皇帝を見て、サリヴァンも知らず笑んだ。主君であり、知己である彼の顔を見て、帰ってきたのだと、ふと実感がこみあげたのだ。
「凱旋は、それは賑やかなものになりますな」
「うむ。楽しみだ」
皇帝は、しごく満足そうに笑った。
その通り、英雄達の凱旋は、それは賑やかなものであった。飛竜達が曲芸飛行を披露し、色とりどりの花びらが宙を舞った。
一行は、街中の歓呼によって迎えられ、英雄とその
長らく不在であった公宮第一位を迎えたことにより、公宮関係者も顔に喜色を浮かべて奔走した。
しかし国を挙げて祝福された二人であったが、公宮をきっかけに、想いあうが故のすれ違いを招いてしまった。
気が急いたのか、ジュリアスは早暁から神殿にやってきて、サリヴァンを見るなりこういった。
「公宮を解散してください」
「そう、焦らずとも良いでしょう」
「急ぎたいのです。でないと、コーキの信頼を得られない」
「解散は決まっておりますが、神事はまだ先ですよ」
老婆心ながら言葉をかけてみたが、彼は譲らなかった。
「手続きなど、悠長に待てません。私の権威を
「……かしこまりました」
意志の固さを認め、異例と知りつつ解散要求をサリヴァンは受け入れた。
その急報は、公宮の権威であるバカルディーノ家を始め、各有権者を激震させた。
公宮行事を無視してまで解散されたジュリアスの公宮は注目を集め、様々な憶測を呼んだ。
しかし、公宮に暮らす女たちには、救いであったかもしれない。報われぬ想い、満たされぬ愛への苦悩から、解放されたのだから。
一人、また一人と公宮を去っていった。サリヴァンが一時世話をした、ジュリアスの婚約者候補、シェリーティアもその一人だ。
「サリヴァン様、大変お世話になりました」
宮女の衣装を脱いだ美しい娘は、深々と頭をさげた。
「お元気で」
「はい」
娘は万感をこめるように公宮を仰ぎ見ると、澄んだ瞳を細めた。長く注がれる視線を追い駆けると、遠く回廊の奥に、様子をうかがうように佇む花嫁の姿が見えた。
「……憎めない方でしたわ」
娘はくすりと微笑した。
天上人をたとえるにしては不敬な言葉だ。けれど、娘の浮かべる微苦笑に悪意はなく、ある種の感傷と、自嘲めいた色だけが浮かんでいた。
既視感を覚える、やるせない表情。叶わぬ想いを諦めた者が浮かべる、優しくも哀しい表情。
報われぬ恋。空想の恋を追い駆けた娘は、静かに公宮を後にした。
遠ざかり、小さくなりゆく後ろ姿を見守りながら、サリヴァンは、この世界、この時代にはいない空想の花嫁を思い浮かべた。
かの人を想う時、清涼な風が流れて、ジャスミンが薫る。
瞳を閉じれば――
瞼の奥に、いまだ見たことのない想い人が、慈母のような笑みを湛えて振り向いた。
そっと胸のうちで呼びかける。
“お元気ですか?”
“どこに、いらっしゃるのですか?”
“今生では、お会いできませんか?”
“言葉をかけてもらえるのなら……名を呼んでくださいませんか?”
“私の名は、サリヴァン。サリヴァン・アリム・シャイターンと申します”
……叶わぬ想いだ。
けれども……こうして夢想している限り、いつまでも青春を追い駆けていられるような気もする。
年老いてなお、目に映る光景を清涼に捉えられるのは、