アッサラーム夜想曲
空想の恋 - 10 -
晩鐘の鳴る時刻に、サリヴァンは皇帝の私室に呼ばれた。呼んだ張本人、
「お主、花嫁に何を吹きこんだ? 決死の表情で訪ねてきたぞ」
「人聞きの悪いことをおっしゃいますな。相談に乗っただけですよ……許可されたのでしょう?」
文句を聞き流しながら傍へ寄ると、彼の趣味であろう、精緻な金工
「仕方あるまい。神意に背くわけにはゆかぬ」
苦々しい口調に、サリヴァンは無言のまま、一礼で応えた。
「だが、迷ったぞ。悩ましいことだ。あちらに応えれば、こちらが立たぬ……シャイターンには恨まれるであろうな」
「恨むなど……」
今朝は典礼儀式に姿を見せなかったが、やはり、昨日の助言が後を引いたのだろうか。彼が腹を立てるとしたら、アデイルバッハではなく花嫁に対してであろう。
ここ最近の二人を思うと、少々心配になる。仲違いをしていなければ良いのだが……
「本当は私も、花嫁を連れていくことには反対だ。だが、神の啓示といわれては、無視するわけにもゆかぬ」
腕を組み、悩ましげに呟く皇帝を見て、サリヴァンも重々しく頷いた。
「ザインだけではなく、西全域に関わる神託かもしれませんからな」
「雨期は天空も荒れやすい。あの土地に大兵乱が起こるぞ。シャイターンには、軍を発する許可を与えた」
僅か一日の間に、皇帝はザインへの軍事介入を決断した。潔い彼の性格もあるが、神託はそれほど重要なものだ。宗教と政治が
「聖霊降臨儀式に参列するだけでは、済まなくなりそうですな……」
制圧が目的ではないが、有事に備えた軍事編成となるだろう。花嫁を連れていく以上、特別な武装親衛隊も必要だ。
「全く、退位まで待てぬものか。形式上ではあるが、他国にも援軍要請を出すようアースレイヤに命じたわい」
建前上の書状でも、アッサラームの呼びかけに応じない首領は西にいないであろう。いよいよ事態は、西の盟友諸国を巻きこむ様相を帯びてきた。
「せめて、異国で迎える一年の除夜が、穏やかであると良いのですが……」
「ええい、アースレイヤめ。私に号令を発せよとは、面倒ごとを押しつけよって!」
「は、は、は……」
駄々をこねるような口調に、サリヴァンはつい笑みを零した。
「退位したら、しばらく国を空けてやろうか。私に代わって踏ん張れば良いのだ」
人の悪い笑みを浮かべて、皇帝は愉快げに企んでいた。
天なる星が見下ろす、夜の
休む前の一時に、指から外した天球儀の指輪を指先に
廻る世界のどこか――
恋い慕う人はいるのだろうか。
指輪を弄び、やがて、あてどない想いを閉じるように、三連の輪を一つに畳んだ。静止した指輪を寝台の傍に置き、静かに横になる。
眠りは安らぎだ。
瞳を閉じて、束の間の空想の恋を楽しむ。
どれだけ年老いても、命が続く限り、君を待ち望む。いつまでも探し求めるのだろう……
瑠璃色の空の下、アッサラームを並んで歩けたかもしれない。偉大な英雄のように、祝福されし歓呼で迎えられたかもしれない。
それはきっと、サリヴァンの心を奪う
対岸に立つサリヴァンが視線をあげれば、
「貴方ほど、美しい人はいませんよ」
本心から告げれば、目の前に立つ花嫁は幸せそうにほほえみ、頷き返してくれる。
「ずっと、ずっと、お会いしたいと思っておりましたよ」
手を差し伸べれば、彼女も繊手を伸ばしてくれる。陽だまりのような笑みを浮かべて、同じ言葉を返してくれるのだ。
“愛しい人。ようやくお会いできましたね”
眠りに落ちゆく瞬間。なんとも、幸せな心地であった。