アッサラーム夜想曲

帰還 - 1 -

 ジュリアス・ムーン・シャイターン――アッサラーム軍、総大将。

 中央広域戦――史上最大の東西戦争では、聖戦を共にしたアーヒム、ヤシュムと共に、中央激戦区の前線に立つ。
 序盤は、山岳湿地帯の行軍、山岳戦闘民族の奇襲に苦しめられるが、山岳狭路まで押し進むと、高地に布陣せしめハヌゥアビスとの決戦に臨む。
 敵軍との圧倒的兵力差を難関地形の布陣と戦略で補い、優勢に運ぶが、ノーヴァ壊滅の勢いに呑まれ後退を余儀なくされる。
 ノーグロッジ上空につくナディアの本陣と合流し、仕切り直し、最終決戦に臨む。
 東西戦争の開戦から八十余日。遂に敵サルビア軍の総大将――ハヌゥアビスに勝利を喫する。
 戦局はアッサラーム軍に傾き、和睦調停の申し入れを受け入れる形で東西戦争は終結した。

 スクワド砂漠の南東に位置する国門から軍を発して半年、ジュリアス率いる本陣は国門に到着。
 実に半年ぶりに光希と再会を果たす。
 二人は暫く国門に留まり、アッサラームから発せられた国門警備隊と交代する形で帰郷を開始。
 終戦から九十余日。アッサラームから軍を発してから十ヵ月。晴れて、凱旋を果たそうとしていた――。




 ― 『帰還・一』 ―




 茫漠ぼうばくたる碧空の下。黄金色に煌めく砂の上に、悠々と翔ける飛竜の影が落ちる。
 砂の彼方に浮かぶ、懐かしい蜃気楼。
 遥かな尖塔はおぼろに揺れ、天まで伸びゆく聖都アッサラームが見える。
 乾いた風に頬を嬲られ、胸の内に“帰ってきた”という強い想いが不意にこみあげた。

「久しぶりだなぁ……」

 手綱を引くジュリアスの腕の中で、光希は弾んだ声をあげる。気持ちはよく判る……アッサラームを発ってから、随分と日が流れたものだ。

「そろそろ下ります。覆面をつけて」

 舞い上がる砂を吸わぬよう、着用を促すと、光希は首肯で応じて覆面を押し上げた。こちらを振り向いて、これでよし……と視線で合図する様が可愛らしい。
 顔を覆う厚布の内で笑みながら、ジュリアスは手綱を引いた。
 飛竜の群れはゆったりと旋回して、静かに下降を始める。
 国門を発してから、西を目指して右翼、中軍、左翼と遠征軍を三つに分けて進んできた。
 隊伍たいごの先鋒は総司令官ジュリアス、副指令官のアーヒム。次いでヤシュム、ナディア、ジャファールと続く。
 衝撃を最小限に抑えて、アッサラームから少し離れた砂の上に下りる。
 この後は聖戦の時と同じように、重騎兵隊と足並みを揃えて、聖都アッサラームに凱旋を果たす予定だ。
 砂塵が落ち着くと、下士官達は天幕の準備に奔走する。
 やがて、先鋒隊の到着を告げる鏑矢かぶらやが、天に向かって垂直に放たれた。賑々しい音色を拾い、間もなく宮殿を伝令が走ることだろう。
 天幕が張られると、ジュリアスは光希を連れて早々に下がった。外套を脱いで、同じように寛ぐ光希を腕の中に引き寄せる。

「疲れましたか?」

「僕は平気。ジュリは?」

「私も平気です」

「帰ってきたね……」

 平気と応えたが、光希の声には疲労が滲んでいた。無理もない。最短で翔けたとはいえ、ここまで数十日に及ぶ行軍であった。
 本心を明かせば、華々しい凱旋よりも公宮の私邸に連れ帰り、早く休ませてやりたい。

「肩の調子はどう?」

「問題ありませんよ」

 とうに塞いだ傷を、光希は未だに気にかける。少し身体を離すと、黒水晶のような双眸にジュリアスを映して微笑んだ。

「聖戦の時を思い出すね」

「はい……」

 あの時と大きな違いがあるとすれば、ハヌゥアビスの脅威を退けたことだろう。勝機を分けたのは、この腕に光希がいればこそ。

「苦しいよ、ジュリ」

「すみません」

 思いにふけるうちに、きつく抱きしめてしまったらしい。身体を離すと、天幕の外から「お飲み物を」と控えめな声がかかる。
 外へ出ると、下士官が直立の姿勢で水差しを持っていた。どうやら、声をかける機会を窺っていたらしい。

「ありがとう」

 水差しを受け取ると、

「いえ! あの、光栄です。晴れて凱旋に臨めることが出来て……」

 若い下士官は、頬を紅潮させて一礼した。彼が去った後も、こちらを窺う複数の視線を感じる。
 やれやれ……声をかけられる前に天幕に下がった。
 光希とのんびり過ごしたくとも、外に張った簡易天幕ではなかなかそうも行かない。ため息を洩らすと、勘違いしたらしい光希に腕を引かれた。絨緞の上に座るよう促される。

「休んだ方がいいよ」

「いえ、私は……」

「運転お疲れ!」

 妙に凛々しい表情でねぎらわれた。流暢な公用語を身に着けても、光希の言葉には度々笑みを誘われる。

「はい、ありがとうございます」

 大人しく体勢を崩すと、腕を引いて小柄な身体を引き寄せる。力を抜いて、背を預けてくれる重みが愛おしい。
 本当は肌を触れ合わせたいけれど……こうして傍にいてくれるだけでも癒される。
 黒髪を分けて、こめかみに唇を寄せると嬉しそうに笑う。その瞬間、堪らなく幸せだと感じた。