アッサラーム夜想曲

再会 - 9 -

 ― 『再会・九』 ―




 終課の鐘が鳴る頃。
 天井から吊るされた、鋼のシャンデリア――蜜蝋を燃やす無数のしょくの灯の下、馴染の顔ぶれが、輪になって集まっている。
 輪の中心には、涙滴るいてき型のラムーダを抱えるナディアがおり、素晴らしい演奏で聴衆を楽しませていた。
 光希もジュリアスと共に輪に加わり、まろやかな音色に耳を傾けている。
 レパートリーの多いナディアは、いろいろ聴かせてくれるが、特に心に響く“アッサラーム夜想曲”には、望郷を掻きたてられる。
 金色に輝く美しい都の情景が、色鮮やかに瞼の奥に浮かぶ。
 澄んだ蒼穹の空。
 蜃楼かいやぐらの彼方。
 光の悪戯で天まで聳える、遥かなる尖塔……

「鬱蒼とした樹林もいいけど、黄金色の砂漠が懐かしいよ」

 演奏が途切れ、光希がしみじみと呟くと、周囲から同意の声がぱらぱらと上がった。

「凱旋が待ち遠しいなぁ」

 ヤシュムは、ぱんと膝を叩いた。彼はさっきから、アーヒムと焼串をさかなに、いかにも強そうな蒸留酒を飲んでいる。瓶の底に沈んでいる物体が、サソリに見えるのだが……
 じっと見つめていると、ジュリアスは干したナツメヤシの実を、光希の口に入れてくれた。仄かな甘みが美味しい。

「……初めてアッサラームを見た時、鏡みたいだなー、って思いましたよ」

 空と湖水の境目が溶けた世界に、深い感動を味わったことを覚えている。ナフィーサが、判ります、と便乗してきた。

「子供の頃、外から商隊キャラバンがやってくると、アッサラームの外観を眺めたくて、よく見送りに行きたいと強請っていました」

 微笑ましいエピソードに、光希は和んだ。ちなみに、現在十二歳のナフィーサの言う子供の頃とは、神殿宿舎に入る前、五歳以下を指している。

「ザインからも、観光にくるくらいだしな」

 ヤシュムの言葉をアーヒムは、巡礼だ、と否定した。ザインはバルヘブ西大陸の南西に栄える公国である。東西対戦では、西連合軍に万軍を発してくれた、アッサラームの盟友国でもある。

「そうそう、アッサラームに戻ったら遊びに行きたいんですけど、皆さん、お勧めの場所はありますか?」

 光希が何気なく尋ねると、皆、気前よく次から次へと教えてくれた。

「ナルドのかまど屋は、美味しいきじ料理を出しますよ」

 ジャファールに言われて、光希は眼を輝かせた。隣に座っているジュリアスに、知っているか尋ねると、首を左右に振って応えた。

「旧市街に行くなら、アルバ・センテをお勧めしますよ。一通りのジンを飲める」

 アルスランが応え、今度もジュリアスは知らなかった。

「祝福日にダリア・エルドーラ市場に行ってみるといいですよ。織物店の山と積まれた絹や、白磁や青磁が、そこら中に溢れていますから。気に入りの絨緞も見つかるかもしれませんよ」

 アルシャッドが提案すると、あちこちから相槌が返された。ジュリアスを見ると、流石に私も知っています、と苦笑された。尚、祝福日とは六日に一度の休日のことである。

「物見高いアッサラームっ子なら、誰でも知っていますよ」

 檳榔子びんろうじを噛みながら、ユニヴァースが笑う。水煙草みずたばこが流行ですよ、と継げばヤシュムが、総大将でも娯楽にふけるのか? とからかった。

「あんまり、柄の悪い場所を教えないでください」

 ジュリアスは不満そうに一同を睥睨した。しかし、光希はかなり興味を引かれた。

「そこ、行ってみたいなぁ。大きな市場なんだ?」

 思えば、アッサラームにきてからというものの、まともに外出して遊んだことが殆どない。ユニヴァースと宮殿を抜け出し時は、大惨事になってしまった。あれ以降、宮廷行事や神事は別として、私的な用事で出掛けたがあっただろうか。

「では、今度行ってみますか?」

 ジュリアスに誘われて、光希は破顔した。ぜひ行ってみたい。

「殿下達、出掛けるなら変装した方がいいですよ」

 ユニヴァースに言われて、光希は思わずジュリアスを見上げた。確かに、光希の黒髪もジュリアスの金髪もよく目立つ

かつらとか?」

「それでもいいですけど、一日つけてると疲れますよ。染粉をあげましょうか?」

「染めるって、銀色に?」

 全員が頷いた。まぁ、それもそうだ。他の色に染めたら、結局目立ってしまう。しかし、銀髪……ジュリアスは似合うだろうけれど、光希自身は銀髪に激しい抵抗を感じた。

「染めるのか――……」

 一瞬、そうまでして外出しなくてもいいか……という気になりかけた。本来、光希はかなりの引きこもりだ。

「嫌なら、帽子でもいいんじゃないですか?」

 ユニヴァースに妥協案を示され、ジュリアスを仰ぐと、いいと思いますよ、と了承された。

「殿下は肌も白いし、完全に隠すのは限界がありますよね。もし、本気で変装する気がおありなら、別人にしてさしあげますよ」

 ナフィーサに言われて、興味を引かれた。

「どんな風にするの?」

「顔に褐色の化粧をして、髪を染めて、手袋をすれば、限りなく市井しせいに溶け込めます」

「なるほど……考えとく」

 本気で変装をするのも、案外楽しいかもしれない。光希の心は少々傾いた。