アッサラーム夜想曲
穏やかな風 - 2 -
― 『穏やかな風・二』 ―
工房からナフィーサとケイトが出て行った後、花嫁 は諦めように小さく息を吐いた。
「まあ、いいか……元々渡すつもりで書いたものだし」
「きっと喜ばれると思いますよ。ムーン・シャイターンからは、手紙をいただいたのですか?」
「はい、何通かもらいました。その時は、僕も返事を書こうと思うんですけど……文章書くのすごく苦手で、後から読み返すと渡す勇気がなくなるんですよね……」
どんな文面を思い浮かべたのか、花嫁は照れ臭げに頭を掻いた。
「判ります。俺も文字を書くのは苦手だから」
文字の乱雑さは自覚している。読めぬとまでは言われないが、酔っ払いの文字のようだとは言われたことがある。
花嫁は瞳に悪戯っぽい光を灯して、くすりと笑った。
「先輩も僕と同じで、ちょっと字体崩れてますよね。すごく親近感湧きます。でも……前に僕が倒れた時、お見舞いにもらった手紙、すごく嬉しかったですよ。押し花の一筆箋もすごく可愛くて」
「あれは、妹の趣味です。最初、図面用紙に書いたんですけど、妹に見つかって、すごい剣幕で怒られまして」
一応、皺のない綺麗な図面用紙にしたためのだが、見つかった途端に“ありえないっ”と没収された。
「あはは、そういうことですかー。道理で……先輩、そういえば妹がいるんですよね」
妹だけでなく、兄と弟も一人ずついたのだが、先の聖戦で二人共亡くしてしまった。そのせいもあり、十歳離れた妹のことは、家族全員で可愛がっている。
「はい、殿下と同じ年頃ですよ。たまに帰ると軍の話をせがまれて、すっかり満足するまで離してもらえないんですよ」
「へぇー、仲良さそう」
明るい声の響きに、さり気なく花嫁の表情を窺った。穏やかな笑みに、密かに胸を撫で下ろす。昔はこうした話題に触れると、笑顔に一瞬寂しげな影が過 ることがあったのだ。
「手紙には、どんなことを書かれたのですか?」
「殆ど近況報告です。文章書くの下手くそで、全然簡潔に書けないんですよね。無駄に長くなってしまって」
「設計図はいつも簡潔でいらっしゃるのに」
「先輩、それ褒めてない! 設計図は細かく描きたいんですよぉー」
花嫁は悔しそうに拳を握りしめ、語尾を伸ばすと同時に、それを振りかざした。意気込みは伝わった。
思わず声を上げて笑っていると、花嫁は深いため息をついて、思慮深い眼差しでアルシャッドを見上げた。
「僕はこれくらいで、良かったのかもしれません」
「え?」
「僕がもし、先輩みたいな天才だったら、ナイフの改良くらいじゃ済まなかったから……」
「ふむ?」
首を傾けると、花嫁は頭をひと撫でするや、迷ったように口を開いた。
「――アッサラームで祝砲や帆船大砲門を見た時、ある強力な武器を思いついたんです。もし作り方を知っていたら、僕は作ってしまったかもしれない」
「どんな武器ですか?」
何気ない口調のつもりであったが、花嫁は表情を強張らせて、返答に詰まった。
「この世界の力の均衡を、大きく変えてしまう可能性があるから……」
「それほどまで? ふーむ、気になりますね」
どんなものだろう。祝砲を見て閃いたということは、遠距離における威嚇か、火薬の改良だろうか……。
「先輩に話したら、作れちゃいそうだから……」
花嫁は複雑そうな表情を作ると、微苦笑を浮かべた。
「火薬の類ですか? でしたら、俺の専門外です」
「いやー、先輩の万能さは僕が保障します! だからやっぱり黙秘です」
「買いかぶりですよ」
謙遜ではなく本音であったが、花嫁は瞳を輝かせてアルシャッドを見るや「そんなことない」と言い切った。
思わず苦笑で応えると『アイキューメッチャタカソウ。スゲーヨホント』と聞きなれない天上人の言葉を口ずさむ。教えてはくれなさそうだ。
「残念ですよ」
「はは、でも……鍛え抜いた鋼で戦うこの世界には不要かも、とも思うんです」
「火薬の類に神力は宿せませんし、鋼に勝る武器はないと思いますよ」
いかに性能や威力が良くとも、神力を宿せなくては意味がない。
それに剣や鉾は、先人達が改良を重ね、連綿と受け継がれてきた、古来最強の武器だ。その形状だけでも十分な威力を持つ。
「そうですよね……そう思うんですけど、厳しい戦況を聞くと、やっぱり作るべきだったのかな、もっと出来ることがあったんじゃないかってって不安になるんですよね」
花嫁は憂鬱そうに瞼を半ば伏せた。
「十分、皆の力になっていますよ。今朝も、こんな早くから差し入れを届けてくださって、皆も目を覚ましたら感動すると思いますよ」
桃を手に取り笑みかけたが、花嫁は心苦しげに首を振った。
「これくらい……本当は僕もクロガネ隊を手伝いたいんですけど、すみません」
「謝る必要はないでしょう。よく頑張っていらっしゃる。さぞお疲れでしょう」
「平気です。ちゃんと寝台で眠れるだけでも、感謝しなくちゃ」
それは全く同感である。身体を伸ばして、横になって眠れるというのは素晴らしいことだ。
「ジュリは、大丈夫かなぁ……」
黒髪の下の不安そうな顔を伏せて、心配げに独りごちる。
「今に戦況も好転しますよ」
どうにもならない気休めが口を突く。花嫁は心ここに在らずで生返事をすると、遠い目をした。
離れているムーン・シャイターンを想っているのかもしれない。
アッサラームが恋しいのはアルシャッドも同じだ。ここにいる誰もが同じ気持ちだろう。
早く帰りたいものだ、あの美しい金色の聖都へ――
工房からナフィーサとケイトが出て行った後、
「まあ、いいか……元々渡すつもりで書いたものだし」
「きっと喜ばれると思いますよ。ムーン・シャイターンからは、手紙をいただいたのですか?」
「はい、何通かもらいました。その時は、僕も返事を書こうと思うんですけど……文章書くのすごく苦手で、後から読み返すと渡す勇気がなくなるんですよね……」
どんな文面を思い浮かべたのか、花嫁は照れ臭げに頭を掻いた。
「判ります。俺も文字を書くのは苦手だから」
文字の乱雑さは自覚している。読めぬとまでは言われないが、酔っ払いの文字のようだとは言われたことがある。
花嫁は瞳に悪戯っぽい光を灯して、くすりと笑った。
「先輩も僕と同じで、ちょっと字体崩れてますよね。すごく親近感湧きます。でも……前に僕が倒れた時、お見舞いにもらった手紙、すごく嬉しかったですよ。押し花の一筆箋もすごく可愛くて」
「あれは、妹の趣味です。最初、図面用紙に書いたんですけど、妹に見つかって、すごい剣幕で怒られまして」
一応、皺のない綺麗な図面用紙にしたためのだが、見つかった途端に“ありえないっ”と没収された。
「あはは、そういうことですかー。道理で……先輩、そういえば妹がいるんですよね」
妹だけでなく、兄と弟も一人ずついたのだが、先の聖戦で二人共亡くしてしまった。そのせいもあり、十歳離れた妹のことは、家族全員で可愛がっている。
「はい、殿下と同じ年頃ですよ。たまに帰ると軍の話をせがまれて、すっかり満足するまで離してもらえないんですよ」
「へぇー、仲良さそう」
明るい声の響きに、さり気なく花嫁の表情を窺った。穏やかな笑みに、密かに胸を撫で下ろす。昔はこうした話題に触れると、笑顔に一瞬寂しげな影が
「手紙には、どんなことを書かれたのですか?」
「殆ど近況報告です。文章書くの下手くそで、全然簡潔に書けないんですよね。無駄に長くなってしまって」
「設計図はいつも簡潔でいらっしゃるのに」
「先輩、それ褒めてない! 設計図は細かく描きたいんですよぉー」
花嫁は悔しそうに拳を握りしめ、語尾を伸ばすと同時に、それを振りかざした。意気込みは伝わった。
思わず声を上げて笑っていると、花嫁は深いため息をついて、思慮深い眼差しでアルシャッドを見上げた。
「僕はこれくらいで、良かったのかもしれません」
「え?」
「僕がもし、先輩みたいな天才だったら、ナイフの改良くらいじゃ済まなかったから……」
「ふむ?」
首を傾けると、花嫁は頭をひと撫でするや、迷ったように口を開いた。
「――アッサラームで祝砲や帆船大砲門を見た時、ある強力な武器を思いついたんです。もし作り方を知っていたら、僕は作ってしまったかもしれない」
「どんな武器ですか?」
何気ない口調のつもりであったが、花嫁は表情を強張らせて、返答に詰まった。
「この世界の力の均衡を、大きく変えてしまう可能性があるから……」
「それほどまで? ふーむ、気になりますね」
どんなものだろう。祝砲を見て閃いたということは、遠距離における威嚇か、火薬の改良だろうか……。
「先輩に話したら、作れちゃいそうだから……」
花嫁は複雑そうな表情を作ると、微苦笑を浮かべた。
「火薬の類ですか? でしたら、俺の専門外です」
「いやー、先輩の万能さは僕が保障します! だからやっぱり黙秘です」
「買いかぶりですよ」
謙遜ではなく本音であったが、花嫁は瞳を輝かせてアルシャッドを見るや「そんなことない」と言い切った。
思わず苦笑で応えると『アイキューメッチャタカソウ。スゲーヨホント』と聞きなれない天上人の言葉を口ずさむ。教えてはくれなさそうだ。
「残念ですよ」
「はは、でも……鍛え抜いた鋼で戦うこの世界には不要かも、とも思うんです」
「火薬の類に神力は宿せませんし、鋼に勝る武器はないと思いますよ」
いかに性能や威力が良くとも、神力を宿せなくては意味がない。
それに剣や鉾は、先人達が改良を重ね、連綿と受け継がれてきた、古来最強の武器だ。その形状だけでも十分な威力を持つ。
「そうですよね……そう思うんですけど、厳しい戦況を聞くと、やっぱり作るべきだったのかな、もっと出来ることがあったんじゃないかってって不安になるんですよね」
花嫁は憂鬱そうに瞼を半ば伏せた。
「十分、皆の力になっていますよ。今朝も、こんな早くから差し入れを届けてくださって、皆も目を覚ましたら感動すると思いますよ」
桃を手に取り笑みかけたが、花嫁は心苦しげに首を振った。
「これくらい……本当は僕もクロガネ隊を手伝いたいんですけど、すみません」
「謝る必要はないでしょう。よく頑張っていらっしゃる。さぞお疲れでしょう」
「平気です。ちゃんと寝台で眠れるだけでも、感謝しなくちゃ」
それは全く同感である。身体を伸ばして、横になって眠れるというのは素晴らしいことだ。
「ジュリは、大丈夫かなぁ……」
黒髪の下の不安そうな顔を伏せて、心配げに独りごちる。
「今に戦況も好転しますよ」
どうにもならない気休めが口を突く。花嫁は心ここに在らずで生返事をすると、遠い目をした。
離れているムーン・シャイターンを想っているのかもしれない。
アッサラームが恋しいのはアルシャッドも同じだ。ここにいる誰もが同じ気持ちだろう。
早く帰りたいものだ、あの美しい金色の聖都へ――