アッサラーム夜想曲
花冠の競竜杯 - 25 -
ついに遊戯卓は完成し、納品日を迎えた。
光希は朝から緊張していた。大勢の前で作品を公開する瞬間を思うと、心臓がばくばくしてくる。自信はある。我ながら会心の出来栄えである。
だが、ヘイヴンは喜んでくれるだろうか?
喜んでほしい。そこには、まじりけのない嘘偽りのない感動があってほしい。
光希の身分や立場が、心にもない賛辞を彼の口からいわせるところを想像すると、胃がきりきりと痛くなってくる。
精神的な気鬱もあるが、体調もあまりよろしくない。熱っぽくて倦怠感がある。
馴染みの感覚に、光希はため息をついた。集中して制作に取り組んだあとは、いつもこうだ。鉄 に加護を宿した反動なのだろう。
ふと机の上に置いた小瓶に目が留まった。先日、アンジェリカからもらった滋養剤である。ちょうどいい、と光希は軽い気持ちで中身を煽った。
「……?」
なぜだろう。妙に後味が甘ったるい。だが、効果はあるようで、冷えた身体の内側がぽかぽかしてきた。
階段をおりて広間へ入ると、ひじ掛け椅子で寛いでいたジュリアスは、顔をあげて案じる表情を浮かべた。
「大丈夫ですか?」
「うん」
ぐったりしている光希を見て、ジュリアスは彼を甘やかしてやりたい、本能的な保護欲が芽生えた。できることなら、一日抱きかかえていてやりたい。
その心配そうな表情を見て、光希は意識して笑みを浮かべた。
「大丈夫だから。いこう?」
気遣わしげな眼差しを見つめて、しっかりと答える。ジュリアスは光希の腰を腕で支えると、髪に唇を落とした。
「あとで迎えにいきます」
「いいよ、納品にいくだけだし。ジュリも忙しいでしょう?」
「完成した玄関広間を、私も見てみたいんです。光希が精魂をこめて作った作品でしょう?」
そういわれると光希も断り辛い。黙りこむ光希の髪を、ジュリアスは優しく撫でた。
「無理はしないで、辛いようなら休ませてもらいなさい」
「うん、ちょっと熱っぽいみたい……納品を見届けたら直帰しようかな」
「そうしてください」
二人は同じ馬車に乗って軍部へ向かった。間もなく到着し、下りる前に、ジュリアスは身を乗り出して光希の顔に四点を結ぶキスを落とした。最後に唇にかすめるようなキスをすると、扉を開けた。
馬車を降りたあとも、ジュリアスは光希を気遣い、腰を抱いたまま軍部の中へ入った。階段の傍で立ち止まると、腕をほどいて光希の手を握った。目と目があう。
「またあとで」
「うん」
案じる瞳に笑みかけ、光希は背を向けた。
クロガネ隊の工房に入ると、既に集荷の準備が始まっていた。屈強な製鉄班の仲間が、梱包作業と運び入れを手伝っている。
ふらふらしている光希を見て、隊員達は慌てて光希を椅子に座らせた。
「すみません」
情けない顔でいう光希を見て、アルシャッドは心配そうに眉を寄せた。
「具合が悪そうですね。殿下は休んでいた方がいいのではありませんか?」
「いえ、一緒にいきます。同行させてください」
アルシャッドは困ったように、護衛のローゼンアージュを見た。青年はこくりと頷く。
「納品に立ち合いたい気持ちは判りますしねぇ……シャイターンの許可は得ているのですね?」
「はい、先輩」
縋るような眼差しを向けられ、アルシャッドは苦笑を浮かべた。
「判りました。準備出来次第、出発しましょう。ただし、殿下は動こうとせず、じっとしているんですよ」
「了解です」
光希は神妙な顔で頷いた。事実、身体が気怠くて動くのは辛いので、座らせてもらえるのはありがたい。
梱包が終わると、光希達は、護衛の騎兵隊に囲まれながら、六台の荷馬車でポルカ・ラセに向かった。
馬車の背もたれに身を預け、光希は外の情景にぼんやりとした視線を投げかけていた。発熱したように身体が火照っている。具合は良くなかったが、ポルカ・ラセが見えてくると、期待と緊張が身体の不調を凌駕した。
中へ入り、改装したポルカ・ラセの玄関広間を見て、光希は感嘆のため息をついた。
「わ……」
三階まで吹き抜けの天井から、巨大な円環照明が垂れ下がっている。光希の希望通り、円環の中央から、銀鎖が垂れ下がり、水晶を吊るせるようになっていた。
金色の照明は、襞彫 りの壁に、妙 なる影を落としている。
壁には間隔を空けて、八枚のタペストリ が飾られている。競竜杯で競う八頭の竜だ。アルスランの飛竜、ブランカも鮮やかな色彩で織られている。
完璧な空間配置だ。
クロガネ隊の手を借りて、職布でくるまれた遊戯卓は、円環照明の真下に配置された。
準備が進むにつれて、広間に従業員達が集まってきた。感動的な瞬間を分かち合おうと、期待に瞳を輝かせている。
光希は緊張しながら、遊戯卓の傍に立った。
職布が外され、煌く宝石をあしらわれた銀色装飾の遊戯卓が姿を現すと、四方から感嘆のため息が漏れた。ヘイヴンも銀縁の片眼鏡の奥から、薄氷色の瞳を輝かせた。
「信じられない。完璧だ! これほど素晴らしいとは、思いませんでした」
彼と目があい、光希は予期せぬ超常感覚が走るのを感じた。得体の知れぬ寒気を感じたが、彼の嘘偽りのない賞賛の言葉の方に意識を奪われた。
「天井から水晶の照明を吊るして、遊戯卓のちょうど中央にくるように配置します。そうすればきっと、玄関広間を燦然 と照らしてくれますよ」
光希が意気揚々というと、ヘイヴンは笑顔で頷いた。
「それは楽しみですね」
早速、高い天井から垂れ下がる銀鎖を調節して、水晶の照明がとりつけられた。
多面角形の水晶は、照明の光をまばゆく反射して、壮麗な七色の光を広間になげかけた。蒼、朱金、緑……多様な光の色彩が、床や壁に無数に散らばっている。
どこからか、拍手が湧き起こった。忽ち広間をどよもす拍手と大歓声に満ちあふれた。
「想像もしていませんでした。夢のような光景です。まるで光の歌劇舞台を見ているようですよ」
ヘイヴンの言葉に、光希は胸がいっぱいになった。
「良かった、喜んでもらえて。実は、朝からずっと緊張していたんです」
「ええ、お見事ですよ。本当に……良ければ細工専門の骨董屋店を出してみませんか?」
熱心なヘイヴンの申し出に、ローゼンアージュは警戒する眼差しを送っているが、光希は嬉しかった。胸に手を当てて、心をこめて呟く。
「この遊戯社交場に、幸運が訪れますように」
「何よりも有難いご加護ですよ」
ヘイヴンは抱擁の代わりに、光希の前に跪くとその手を取り、恭しく甲に唇を落とした。
様子を見守っていたローゼンアージュが我慢できたのはそこまでで、光希を引きはがすと、冷たい一瞥をヘイヴンに送った。
「アージュ、大丈夫だよ。ヘイヴンさんに失礼でしょう」
不服そうな青年と、焦ったように窘める光希を見て、ヘイヴンは笑った。彼は思った。部屋で寛いでいる時でさえ、光希の傍には護衛がいる。当然、部屋の外、建物の外にもいる。離れていても、ジュリアスは彼の動向に目を光らせている……この人は、どれほどの窮屈を味わっているのだろう?
「こんなに警備がちがちで、窮屈ではありませんか? 私なら一日で音を上げそうですよ」
小声で囁かれて光希は驚いたが、すぐに口元を緩めた。
「そうでもありません。僕は引きこもりな質 で、工房にいることが殆どですから」
「本当に?」
いかにも驚いた、という風に答えるヘイヴンを見て、光希は笑った。彼には人を愉しませる、天性の才がある。
「お気遣いありがとうございます。好きなことを仕事にしていられるし、僕はとても恵まれていると思うんです」
親しみをこめた笑みを返す光希を見て、ヘイヴンはほほ笑んだ。
「私は殿下に大恩があります。息抜きが必要でしたら、いつでも遊びにいらしてくださいね。喜んでお迎えいたしましょう」
「ありがとうございます。僕はすっかりポルカ・ラセのファンだから。入り浸って、破産しないように気をつけないと!」
ヘイヴンは朗らかに笑った。
遊戯卓の納品を無事に終えて、広間の細かな調整や後片づけをしていると、巡邏隊の兵士が報告にやってきた。間もなく、ジュリアスが到着するらしい。光希の胸は期待に高鳴ったが、際どい体調の変化に顔色を失くした。
「どうかしましたか?」
「いえ……」
光希は身を屈めて、茫然と呟いた。
笑止千万。あるまじき場所で、なぜか下半身が昂っている。
(嘘だろ、なんで勃起してるんだ??)
超弩級 の衝撃に襲われ、ざっと冷や汗が噴き出した。
光希は朝から緊張していた。大勢の前で作品を公開する瞬間を思うと、心臓がばくばくしてくる。自信はある。我ながら会心の出来栄えである。
だが、ヘイヴンは喜んでくれるだろうか?
喜んでほしい。そこには、まじりけのない嘘偽りのない感動があってほしい。
光希の身分や立場が、心にもない賛辞を彼の口からいわせるところを想像すると、胃がきりきりと痛くなってくる。
精神的な気鬱もあるが、体調もあまりよろしくない。熱っぽくて倦怠感がある。
馴染みの感覚に、光希はため息をついた。集中して制作に取り組んだあとは、いつもこうだ。
ふと机の上に置いた小瓶に目が留まった。先日、アンジェリカからもらった滋養剤である。ちょうどいい、と光希は軽い気持ちで中身を煽った。
「……?」
なぜだろう。妙に後味が甘ったるい。だが、効果はあるようで、冷えた身体の内側がぽかぽかしてきた。
階段をおりて広間へ入ると、ひじ掛け椅子で寛いでいたジュリアスは、顔をあげて案じる表情を浮かべた。
「大丈夫ですか?」
「うん」
ぐったりしている光希を見て、ジュリアスは彼を甘やかしてやりたい、本能的な保護欲が芽生えた。できることなら、一日抱きかかえていてやりたい。
その心配そうな表情を見て、光希は意識して笑みを浮かべた。
「大丈夫だから。いこう?」
気遣わしげな眼差しを見つめて、しっかりと答える。ジュリアスは光希の腰を腕で支えると、髪に唇を落とした。
「あとで迎えにいきます」
「いいよ、納品にいくだけだし。ジュリも忙しいでしょう?」
「完成した玄関広間を、私も見てみたいんです。光希が精魂をこめて作った作品でしょう?」
そういわれると光希も断り辛い。黙りこむ光希の髪を、ジュリアスは優しく撫でた。
「無理はしないで、辛いようなら休ませてもらいなさい」
「うん、ちょっと熱っぽいみたい……納品を見届けたら直帰しようかな」
「そうしてください」
二人は同じ馬車に乗って軍部へ向かった。間もなく到着し、下りる前に、ジュリアスは身を乗り出して光希の顔に四点を結ぶキスを落とした。最後に唇にかすめるようなキスをすると、扉を開けた。
馬車を降りたあとも、ジュリアスは光希を気遣い、腰を抱いたまま軍部の中へ入った。階段の傍で立ち止まると、腕をほどいて光希の手を握った。目と目があう。
「またあとで」
「うん」
案じる瞳に笑みかけ、光希は背を向けた。
クロガネ隊の工房に入ると、既に集荷の準備が始まっていた。屈強な製鉄班の仲間が、梱包作業と運び入れを手伝っている。
ふらふらしている光希を見て、隊員達は慌てて光希を椅子に座らせた。
「すみません」
情けない顔でいう光希を見て、アルシャッドは心配そうに眉を寄せた。
「具合が悪そうですね。殿下は休んでいた方がいいのではありませんか?」
「いえ、一緒にいきます。同行させてください」
アルシャッドは困ったように、護衛のローゼンアージュを見た。青年はこくりと頷く。
「納品に立ち合いたい気持ちは判りますしねぇ……シャイターンの許可は得ているのですね?」
「はい、先輩」
縋るような眼差しを向けられ、アルシャッドは苦笑を浮かべた。
「判りました。準備出来次第、出発しましょう。ただし、殿下は動こうとせず、じっとしているんですよ」
「了解です」
光希は神妙な顔で頷いた。事実、身体が気怠くて動くのは辛いので、座らせてもらえるのはありがたい。
梱包が終わると、光希達は、護衛の騎兵隊に囲まれながら、六台の荷馬車でポルカ・ラセに向かった。
馬車の背もたれに身を預け、光希は外の情景にぼんやりとした視線を投げかけていた。発熱したように身体が火照っている。具合は良くなかったが、ポルカ・ラセが見えてくると、期待と緊張が身体の不調を凌駕した。
中へ入り、改装したポルカ・ラセの玄関広間を見て、光希は感嘆のため息をついた。
「わ……」
三階まで吹き抜けの天井から、巨大な円環照明が垂れ下がっている。光希の希望通り、円環の中央から、銀鎖が垂れ下がり、水晶を吊るせるようになっていた。
金色の照明は、
壁には間隔を空けて、八枚の
完璧な空間配置だ。
クロガネ隊の手を借りて、職布でくるまれた遊戯卓は、円環照明の真下に配置された。
準備が進むにつれて、広間に従業員達が集まってきた。感動的な瞬間を分かち合おうと、期待に瞳を輝かせている。
光希は緊張しながら、遊戯卓の傍に立った。
職布が外され、煌く宝石をあしらわれた銀色装飾の遊戯卓が姿を現すと、四方から感嘆のため息が漏れた。ヘイヴンも銀縁の片眼鏡の奥から、薄氷色の瞳を輝かせた。
「信じられない。完璧だ! これほど素晴らしいとは、思いませんでした」
彼と目があい、光希は予期せぬ超常感覚が走るのを感じた。得体の知れぬ寒気を感じたが、彼の嘘偽りのない賞賛の言葉の方に意識を奪われた。
「天井から水晶の照明を吊るして、遊戯卓のちょうど中央にくるように配置します。そうすればきっと、玄関広間を
光希が意気揚々というと、ヘイヴンは笑顔で頷いた。
「それは楽しみですね」
早速、高い天井から垂れ下がる銀鎖を調節して、水晶の照明がとりつけられた。
多面角形の水晶は、照明の光をまばゆく反射して、壮麗な七色の光を広間になげかけた。蒼、朱金、緑……多様な光の色彩が、床や壁に無数に散らばっている。
どこからか、拍手が湧き起こった。忽ち広間をどよもす拍手と大歓声に満ちあふれた。
「想像もしていませんでした。夢のような光景です。まるで光の歌劇舞台を見ているようですよ」
ヘイヴンの言葉に、光希は胸がいっぱいになった。
「良かった、喜んでもらえて。実は、朝からずっと緊張していたんです」
「ええ、お見事ですよ。本当に……良ければ細工専門の骨董屋店を出してみませんか?」
熱心なヘイヴンの申し出に、ローゼンアージュは警戒する眼差しを送っているが、光希は嬉しかった。胸に手を当てて、心をこめて呟く。
「この遊戯社交場に、幸運が訪れますように」
「何よりも有難いご加護ですよ」
ヘイヴンは抱擁の代わりに、光希の前に跪くとその手を取り、恭しく甲に唇を落とした。
様子を見守っていたローゼンアージュが我慢できたのはそこまでで、光希を引きはがすと、冷たい一瞥をヘイヴンに送った。
「アージュ、大丈夫だよ。ヘイヴンさんに失礼でしょう」
不服そうな青年と、焦ったように窘める光希を見て、ヘイヴンは笑った。彼は思った。部屋で寛いでいる時でさえ、光希の傍には護衛がいる。当然、部屋の外、建物の外にもいる。離れていても、ジュリアスは彼の動向に目を光らせている……この人は、どれほどの窮屈を味わっているのだろう?
「こんなに警備がちがちで、窮屈ではありませんか? 私なら一日で音を上げそうですよ」
小声で囁かれて光希は驚いたが、すぐに口元を緩めた。
「そうでもありません。僕は引きこもりな
「本当に?」
いかにも驚いた、という風に答えるヘイヴンを見て、光希は笑った。彼には人を愉しませる、天性の才がある。
「お気遣いありがとうございます。好きなことを仕事にしていられるし、僕はとても恵まれていると思うんです」
親しみをこめた笑みを返す光希を見て、ヘイヴンはほほ笑んだ。
「私は殿下に大恩があります。息抜きが必要でしたら、いつでも遊びにいらしてくださいね。喜んでお迎えいたしましょう」
「ありがとうございます。僕はすっかりポルカ・ラセのファンだから。入り浸って、破産しないように気をつけないと!」
ヘイヴンは朗らかに笑った。
遊戯卓の納品を無事に終えて、広間の細かな調整や後片づけをしていると、巡邏隊の兵士が報告にやってきた。間もなく、ジュリアスが到着するらしい。光希の胸は期待に高鳴ったが、際どい体調の変化に顔色を失くした。
「どうかしましたか?」
「いえ……」
光希は身を屈めて、茫然と呟いた。
笑止千万。あるまじき場所で、なぜか下半身が昂っている。
(嘘だろ、なんで勃起してるんだ??)
超