アッサラーム夜想曲

第4部:天球儀の指輪 - 14 -

 大歓声に迎えられた最後の演目。
 銅鑼どらが鳴り、試合開始を告げる旗が八の字を描くように振り下ろされた。
 これまで開始と同時に踏み込んできたユニヴァースは、ここへきて慎重にじりじりとすり足になった。一方ジュリアスは、泰然と構えている。
 張りつめた空気が闘技場を覆い、沸いていた観衆もシン……と静まり返った。

「臆してるな」

 ルーンナイトの言葉に、気付かされる。斬り込む前から、ユニヴァースは後ろへ下がっていたのだ。今までずっと、前のめりの姿勢だったのに。

「挑戦者は、恐れることなく斬り込まなくては」

 しかし、ユニヴァースは己の後退を気付くや、勢いよくジュリアスに向かって斬り込んだ。
 キィン――ッ! 鋼がしなる。
 くろがねを鳴らして、眼にも止まらぬ剣戟けんげきが始まった。

「どちらを応援しているのですか?」

 アースレイヤの問いに、光希は顔を前に向けたまま、ジュリ! と即答した。
 だが、どちらも惚れ惚れするような雄姿で、眼を離せない。これでは、アンジェリカを笑えない。
 彼は本当に強い。ユニヴァースの剣筋が見えているような身のこなしで、風のように身をひるがえし、合間に鋭いひらめきを放つ。
 序盤は、完全にユニヴァースの応戦一方に見えた。
 次第に動きは良くなり、ユニヴァースは積極的にジュリの間合いに飛びこんだ。
 それでも尚、光希でも判るほどに、二人の剣技には開きがある。
 ユニヴァースからゆらりと青い燐光が漏れた。あれは、シャイターンの神力ではないのか。

「いいのっ!?」

 思わずルーンナイトを見ると、肩をすくめて肯定された。

「別に、禁止されているわけではありませんよ」

 打ち合う剣戟の音が変わった。
 ギィンッ! 鋼の重さを戛然かつぜんと響かせる。
 剣閃に金色の火花が飛び散った。
 ジュリアスの優勢は変わらないが、一撃でも入れば大惨事になる。ジュリアスも神力で応戦しないのだろうか……

「ジュリ……」

 ふと、ジュリアスとユニヴァースは剣を合わせたまま動きを止めた。ユニヴァースが何か言葉をかけているように見える。こんな時に、何を話しているのだろう?
 次の瞬間、ジュリアスは青い炎を剣に宿して、今までで一番鋭い一撃をユニヴァースに放った。
 かろうじて受け身を取ったものの、ユニヴァースは場外まで弾き飛ばされる。
 オォ――ッ!!
 唖然としていると、闘技場は割れるような拍手喝采に包まれた。
 観客は全員総立ちで、手を鳴らしている。花びらや祝杯が勢いよく宙を舞った。

「ジュリ――ッ!!」

 光希は夢中で叫んだ。ジュリアスは光希を見て誇らしげに腕を上げた。
 本当に素晴らしい試合だった。ローゼンアージュから花を全て受け取ると、光希は勢いよく会場に放った。

「おめでとう――っ!!」

 腕を振りながら声を張り上げていると、貴妃席からリビライラ達が、気品に満ちた仕草で花を投げ入れた。これぞあるべき公宮の佳人の姿だ。
 大雑把過ぎたか……と後悔しかけたが、ジュリアスは器用に風を操り、光希の投げ入れた花をいくつか手に取ると、花びらに口づけた。
 オォ……ッ!!
 大歓声は、動揺したようなどよめきに転じる。次いで耳をろうする黄色い悲鳴が響き渡った。

「流石ですわ、シャイターン! 良かったですわね、殿下っ」

 アンジェリカの言葉に、光希は満面の笑みで頷いた。アデイルバッハも傍へやってくると、いい試合だった、と満足そうに労った。
 場外に弾き飛ばされたユニヴァースは、空を仰いで転がっていたが、人が駆け寄る前に自力で立ち上がった。
 肋骨辺りを押さえてはいるが……立って歩けるらしい。
 ジュリアスはユニヴァースの傍へ歩み寄ると、軽く腕を叩いた。ユニヴァースは深く頭を下げ、ジュリアスはその頭をぺしっと叩いた。
 何だか、清々しい気持ちにさせられる。二人共、本当に恰好良かった。
 閉幕式が終わると、朝から騒いでいた観客達は千鳥足でふらふらと闘技場を後にした。
 皇帝陛下が退出すると、ようやく貴妃席も解放された。
 早くも撤収準備の始まった闘技場に、クロガネ隊や顔見知りの隊員達が、こちらを見上げている様子に気がついた。手を振ると、嬉しそうに振り返してくれる。

「殿下、今日はご一緒できて光栄でしたわ。またいつでも、遊びにいらしてくださいね」

 リビライラに声をかけられて、光希は慌てて振り向いた。宮廷挨拶を交わすと、彼女は優雅に去ってゆく。

「あの……東妃ユスラン様を案じるお姿に、感動いたしました。とても的確なご判断と勇気でしたわ。またお会いできることを、楽しみにしております」

 アンジェリカにも声をかけられた。

「僕も、楽しかったです。今日はありがとうございました」

 こちらこそ、という気持ちでいっぱいだ。
 なんせアースレイヤとリビライラだけでは、空気が微妙過ぎて間が持たなかった。サンベリアも更に酷い状態になっていただろう。明るく機転の利く彼女が一緒にいてくれて助かった。