アッサラーム夜想曲

第3部:アッサラームの獅子 - 4 -

 無表情でダガーをユニヴァースに手渡すローゼンアージュを見て、光希も傍へ寄った。

「後ろを向いていたのに、よく取れたね! 僕も、アージュって呼んで良い?」

 人形めいた少年は、無表情を溶かして微笑を閃かせた。ほっとして、光希も笑顔になる。

「アージュは、ずっと武器を眺めていたね。気に入ったものはあった?」

 こくりと頷いた少年は、壁面の武器保管棚から禍々しいダガーを手に取った。まるで宝物を献上するように、膝をついて恭しい手つきで光希に差し出す。

「あ、ありがとう……」

 恐る恐る手に取ると、ルスタムが心配そうに寄ってきた。

「殿下、お気をつけて」

「はい……結構重いね。尖ってるし、刺さったら大変だ」

 しっかりした柄、竹を斜めにカットしたような、筒状の刀身、刃渡りは十五センチ以上ある。

「よく設計された、効率の良い殺傷武器です。身体のどこに刺しても致命傷を与えられるでしょう。刺されば側面の棘が邪魔をして抜けず、ものの数分で筒から身体中の血が流れて死に至ります。使い方は……」

 そんな生々しい説明は欲しくない。聞くに耐えず、ストップ! ストップ! と光希はうわずった声で中断した。

「すと……?」

 可愛らしく首を傾げ、ローゼンアージュは澄み切った双眸で光希を見つめ返した。天使のような容貌に反して、口から飛び出す言葉は物騒の極みだ。

「殿下が怯えています。言葉をお選びください」

 落ち着いた声でルスタムが窘めると、全員が、感心したように光希を見下ろした。

「この部屋は、殿下の眼には毒かもしれませんなぁ」

「なるほどぉー」

「……危ないですよ」

 戸惑う光希の手から、ローゼンアージュは意外と大きな手で、ダガーを取り上げた。
 周囲を見渡せば、どういうわけか、幼い子供を見るような瞳をしている。落ち着きが悪くて、そろりと視線を逸らすと、窓の外からこちらを覗きこむ大勢の顔に気付いた。

「お前ら、何してる!」

 ドスの利いた一喝に、やじ馬達は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。関係のない工房の新人達までもが、椅子を鳴らして動揺を見せている。光希もちょっぴり怖かった。
 一方、サイードが怖くないらしい古参達は、よぉ、と鷹揚な笑顔で手を上げている。

「殿下がお見えになるって聞いて、鍛錬上で待機してたんだけど……全然こないから、気になっちまってな」

「ふん、残念だったな。ずっと加工班ここに居たのさ」

 彼等の会話が気になった光希は、恐る恐る窓辺へ近寄った。途端に、おおっ、とどよめきが上がる。その声に驚いて足を止めると、たちまち静かになった。

「あの、こんにちは……僕を待ってくれている人がいるのでしょうか?」

 砕けた様子で話していた彼等は、規律に則った軍人よろしく、背筋を伸ばして片腕を胸に当てた。

「煩くして、大変申し訳ありません。殿下がこられると聞いて、皆浮き足立っていただけにございます。お気になさらず、どうぞご歓談ください……お邪魔になる、戻ろうや」

 答えた彼は、後半の言葉を周囲に呼びかけた。各々同意の声を上げるや、去り際に光希を見上げて声をかける。

「殿下、お会いできて光栄に存じます」
「良ければ今度、鍛錬場にもいらしてください」
「御前失礼いたします」

 彼等を見送った後、光希は済まなそうな顔でサイードを見上げた。

「すみません、長居してしまいました。そろそろ行きますね」

「なんの。殿下にお越しいただき、大変光栄に存じます。隊員達にも良い励みとなりました。こんな所で良ければ、いつでもいらしてください」

 強面の班長は、白い歯を見せて笑った。工房の隊員達も手を休めて、顔に好意を浮かべてこちらを見ている。ほっとして、光希は肩から力を抜いた。

「ありがとうございます。今日は本当に楽しかったです。あの、明日も、きても良いでしょうか?」

 顔色を窺うように問いかけると、サイードは僅かに眼を瞠り、

「もちろんですとも。お気に召していただいたようで、嬉しい限りです」

 気持ちいのいい笑顔で快諾してくれた。