アッサラーム夜想曲

第3部:アッサラームの獅子 - 5 -

 クロガネ隊の加工班を出た後、隣の製鉄班にも寄ろうとしたが、鋼の頑強な扉と、恐ろしげな警告文を見て足を止めた。張り紙にはこうある。

“この先危険。高熱注意。防御服必須”

 扉には赤い絵の具で注意喚起する絵図も描かれている。倒れかけた鍋から液体が零れて、倒れた人の上に降り注ぐ……判り易い内容だ。
 この中で何が行われているのか。怖い物見たさで、しげしげと扉を眺めていると、ユニヴァースは念を押すように口を開いた。

「装備がないと中には入れませんよ?」

「うん、判っています」

 行こうか、と言葉を続けようとしたところで、ギィ……と扉は開いた。恐怖にのけぞる光希を、後ろからユニヴァースが支えている。
 中からダース●ーダーのように、全身真っ黒の防御服に身を包んだ男が出てきた。
 シュコー……と不気味な全面マスクの排気弁から、空気の漏れる音が聞こえる。男はサイード並みの巨躯で、仰け反らないと顔が見えない。その異様な外見は、昔観たテキサス●ーンソー、或いはジェイ●ンの惨殺シーンを光希に連想させた。
 禍々しい外見に反して、男は、入るか? と親指で部屋を指し、かわいらしく首を傾げた。

「あ……すみません、驚いてしまって……わ、『あっつ』!」

「殿下、お下がりください」

 扉の中から熱気が漏れて、チリチリと頬を撫でる。たじろぐ光希の身体を、ルスタムは部屋から遠ざけた。
 まるで、サウナみたいな熱さだ。こんな所で作業をして、身体は平気なのだろうか?
 キィン……と鋼を叩く音。ゴォッと熱気が舞う音。ヴォォッ!! と野太い男の叫び声まで聞こえる。
 恐い。
 熱気から更に逃げるように後じさると、光希は首を左右に振りながら男を見上げた。

「すみません、熱くて……また今度、万全の準備をしてお邪魔します」

 お辞儀すると、男はシュコー……と空気を吐き出しながら頷いた。背を向けて、後ろ手に分厚い扉を閉める。
 興味はあるが、製鉄班の工房に入るには、覚悟が要りそうだ。
 そのあともあちこちを散策し、気付けば陽が暮れようとしていた。
 黄昏。
 軍部の休憩室や作戦会議室を見せてもらった後、最後に軍舎を見にいくことにした。兵士達はまだ訓練中らしく、軍舎に人の気配はあまり無い。
 案内してくれたユニヴァースとローゼンアージュの二人は上等兵で、大部屋に八人で寝泊まりしているという。

「わー……結構広いね」

 長方形の部屋の壁面はクリーム色の煉瓦で覆われており、正面奥に大きな格子窓が一つ。左右には、くろがねで組んだ頑丈な二段の寝台が並んでいる。
 寝台ごとに簡易仕切り布が取り付けられていて、一応プライベート空間の配慮はされているようだ。壁には武器棚が設置されており、どの寝台にも二本以上の武器が掛けられていた。

「いやぁ、今は誰もいないから広く見えますが、八人全員入ると窮屈ですよぉー」

 少々うんざりした顔で、ユニヴァースはぼやいた。確かにそうかもしれない。長身体躯の男ばかりでは、さぞ圧迫感があるだろう。

「それにしては、綺麗だね。すごく片付いている」

 男部屋と思えぬほど、部屋の隅々まで掃除が行き届いている。棚もきちんと整理整頓されており、とても綺麗だ。
 感心して眺めていると、ユニヴァースはしたり顔で頷いた。

「殿下がお見えになるからと、鬼軍曹に死ぬほど掃除させられたんです。これで綺麗じゃなかったら、俺達は死にます」

「そうなんだ」

 いろいろあったらしい……ローゼンアージュも横を向いて遠い眼をしている。

「ユニヴァースの寝台はどれ?」

「一番右奥の下段です」

「お、窓際なんだね……うん、なるほど」

 武器棚に、大小さまざまな武器が、これでもかというほど掛けられてる。蒐集魂の伺える陳列ぶりだ。

「座ってみても良い?」

 寝心地が気になり尋ねると、ユニヴァースは少し眼を瞠ったものの、どうぞ、と了承してくれた。
 物言いたげなルスタムには気付かず、光希は革靴も脱ぐと、ごろんと横に寝転がった。

「へー、結構落ち着く……」

「殿下!?」
「いけません殿下、はしたない」

 周囲の慌てた声を聞いて、光希は跳ね起きた。

「えっ?」

花嫁ロザインともあろう御方が、みだりに男の寝所に触れてはなりません。靴まで脱いでしまわれて……シャイターンに叱られますよ」

「う、すみません……」

 しまった、行儀が悪かったようだ。苦言を呈するルスタムに同意するように、ユニヴァースも頷いている。
 久しぶりに同年代と一緒にいるせいで、少々浮かれているのかもしれない。気をつけねばと思いながら、光希は靴を履き直して立ち上がった。