アッサラーム夜想曲

第3部:アッサラームの獅子 - 3 -

「それでは、試しに指輪を作ってみましょう」
 そういってサイードは、様々な材料の入った箱を作業台に置いて、よく見える位置に光希を座らせた。
「材料の粘土は、くろがねを溶いて暗所で七日保存したものです。これは作業中の乾燥防止に使う造形用油、油を塗る筆、粘土を均等にならす棍棒、それからたがね……は危ないので、型板で装飾を入れましょう。押しあてるだけでがつきます。造形芯材、これに粘土を巻いて指輪の型を作ります。即効性の乾燥粉は、粘土にまぶして固めます。それから、研磨剤に研磨台、真鍮ブラシ……」
 サイードが説明しながら指さす道具を、光希はしげしげと眺めた。磨くと黒くなるという湿った粘土は、今は殆ど白色をしている。初めて見る材料や道具だが、使い方は何となく想像がついた。
 興味津々で眺めている光希の傍で、ルスタムもまた危険がないかどうか確認している。やがて納得したように頷くと、部屋の隅に戻り、待機の姿勢を取った。
 一方、護衛に就いたばかりのローゼンアージュは、先程から光希に背中を向けて壁一面の武器保管棚を熱心に眺めている。後で光希も拝見させて欲しい。
 もう一人の少年兵、ユニヴァースは光希の隣に座ると、腰のベルトから刃渡り十センチ程の小さなダガーをはずして机にのせた。光希がじっと見ていると、
つかに蔦模様を入れているんですよ」
 ユニヴァースは、蔦模様の入った柄を見せてくれた。精緻な模様が側面半分くらいに描かれている。
「えっ、これ自分で入れたの?」
「はい、時間を見つけて少しずつ……」
 店売りと見紛う出来栄えだ。尊敬の眼差しで光希が仰ぎ見ると、ユニヴァースは照れたように視線を逸らした。
「おい、ユニヴァース。お前、堂々と座るんじゃない。殿下の護衛中だろうが」
 サイードが呆れたようにいった。ユニヴァースが答えるよりも早く、光希はいった。
「僕は平気です。ユニヴァースと一緒に作業したいです。いいでしょうか?」
「わー殿下、ありがとうございます!」
「お前がいうな」
 サイードは隻眼せきがんを細めたものの、ユニヴァースが道具に手を伸ばしても止めなかった。光希の前で、これだけ奔放に振る舞える者も珍しい。我関せず武器を眺めているローゼンアージュといい、同年代の気安さを感じて光希は嬉しかった。
「粘土は触るうちに固くなっていきます。肌を痛めますので、保湿油を指先によく馴染ませてから始めましょう。では先ず……」
 説明を受けながら手を動かし始めると、光希はすぐに没頭し、あっという間に三刻が経過した。
 昼時課の鐘が鳴る頃には、サイードの丁寧な説明のおかげで、指輪は大分仕上がった。網型を使って簡単な模様を入れただけだが、一通りの作業を体験できた。後は研磨して見栄えを整えるだけだ。
「殿下は筋が良い。道具の扱いにも慣れていますな。もしやお心得が?」
 サイードが感心したように訊ねた。
「似たような作業の経験があるんです」
 光希は照れたように、頭をかきながら答えた。
「良い出来栄えですね。殿下のように高貴な方でも、粘土に触れることなんてあるんですか?」
 手元を覗きこんだユニヴァースも、感心したような口調で訊ねた。
「うん。よく触っていたよ」
 日本では、と心のなかでつけ加える光希を見て、ユニヴァースはしきりに感心している。
「お前なぁ、少しは立場を弁えろ。殿下に対して、馴れ馴れし過ぎるぞ」
 サイードは何度目かの苦言を呈したが、
「俺もできましたぁ」
 ユニヴァースは軽く聞き流して、装飾の成果を光希に見せびらかした。
「わー、ユニヴァース、仕事早いね!」
 光希は目を輝かせた。
 さっきまで柄の半分にしか入っていなかった蔦模様が、残り半分にも同じように精緻な装飾が施されている。ちらっと見た限りでは、たがね二種しか使っていないのに、よくここまで仕上げたものだ。
 ありがとう、と御礼をいってダガーを返すと、ユニヴァースは、アージュ、と後ろ姿の少年に声をかけるや、いきなり彼の後頭部目掛けてそれをなげうった。
「ッ!?」
 光希は息を飲んだ。
 ダガーは寸分違わず、真っ直ぐにローゼンアージュの頭に――刺さると思いきや、瞬閃、まるで背中に目がついているかのように、ローゼンアージュは振り向き、指で挟んで受け留めた。
「えぇ――っ!」
 思わず光希は立ちあがり、驚愕の声をあげた。しかし驚いているのは光希ひとりだ。
 班長のサイードは、工房で投げるな、と至極最もな注意をしたかと思えば、外でやれ、と耳を疑う台詞をのたまった。
「綺麗だろ?」
 ユニヴァースは悪びれもなく、ローゼンアージュに訊いている。
「……刃が細い。こんなんじゃ殺せない」
「判れよ。お洒落だよ」
 無邪気な顔でとんでもない会話をする少年兵二人に、光希は怖くて、突っこみたくても突っこめない。
「殿下の御前で、物騒な真似はお止め下さい。無礼な振る舞いは私が許しませんよ」
 唖然とする光希を気遣い、まともな発言をしたのはルスタム只一人であった。