アッサラーム夜想曲

第3部:アッサラームの獅子 - 21 -

 地響きと共に、天井から細かな破片が零れ落ちる。吊るされた鳥籠は揺れて、小鳥達は不安そうに鳴き騒いだ。
 ヴァレンティーンは光希の上から身体を起こすと、檻の外へ飛び出した。光希も慌てて身体を起こすと、涙を拭って周囲に視線を走らせる。
 武装した男達は、ヴァレンティーンを背に庇うように武器を構えた。
 階段からも、続々と武装した私兵達が雪崩れ込んでくる。
 重々しい、物騒な雰囲気だ。
 光希は倒れた家具の影に隠れると、顔を覗かせた。
 階段から息を切らして駆け込んできた男は、ヴァレンティーンを見るなり声を張り上げた。

「ヴァレンティーン様! 軍が攻めてきましたッ!」

「飛竜隊十五、騎馬隊五十、歩兵百。シャイターンの麾下きか精鋭です! 屋敷を包囲、正門突破、現在交戦中です!」

 思わず、ジュリ、と声に出た。胸に熱いものがこみあげ、視界はたちまち潤んだ。
 助けにきてくれた。絶対にきてくれるって、信じていたッ!
 やがて階段上から、怒号や鋭い剣戟けんげきの音が聞こえてきた。闘いが始まったようだ。
 しかし――
 ここには、ヴァレンティーン一人を守る為に、武装した男達が大勢集まっている。
 ジュリアス達の強さは知っているが、物騒な男達を観察しているうちに、ふと心配になった。
 アッサラーム軍の基本装備は、大小に差はあれど、腰にいたサーベルだ。分厚いくろがねを相手にすれば、刃は欠けてしまう。
 殺人鬼のような容貌の男も大勢いる。
 巨大な鉈や斧、戦棍せんこん――先端に棘のある鉄の棒――を持っている巨漢もいる……あんなもので殴られたら、身体が消し飛ぶのではないか?
 階段から私兵達が転がり落ちてきた。
 次いで待ち望んでいたアッサラーム・ヘキサ・シャイターン軍の兵士達が、青い波動と共に飛び出した。先鋒にいるのはジュリアスだ。

「きたぞぉッ!!」

 私兵の隊長らしき男が叫ぶ。
 交戦の劈頭へきとうから、彼我ひが入り乱れての接近戦となった。地下室は、殺戮の場と化す。
 苛烈を極める激戦だ。
 鋼と鋼の打ち合いは戛然かつぜんと響き、朱金の火花を散らした。
 肉や骨を切る鈍い音、呻き声、怒声、断末魔。鮮血が飛び散り、白壁を濡らしてゆく。
 視界が辛い。正視に耐えぬ凄惨な光景だ。
 しかし、どこかにジュリアスがいると思うと、金髪を探して、視線は勝手に彷徨った。

「光希!」

 乱戦を抜けて、青い燐光に包まれたジュリアスが現れた。鉄柵を掴んでこちらを見ている。

「ジュリ!」

 光希は家具の影からまろび出た。傍に駆け寄ると、鉄柵を掴む血濡れたジュリアスの手の上に、自分の手を重ねる。

「怪我はっ!?」

 青い双眸に、光希を映して声を荒立てる。光希は、嗚咽で声にならない……必死に首を左右に振った。
 その時、ジュリアスの背中を狙って私兵の一人がサーベルを振りかぶる。
 ジュリアスは気配を読んだように振り向くと――瞬閃、相手を斬り伏せた。更に挟撃きょうげきする刃を躱し、これも斬り伏せる。光希を振り返り、爛と輝く青い双眸で見つめた。

「すぐに片付けます。物陰に隠れていて。いいと言うまで、出てこないで」

 光希は何度も頷いた。ジュリアスは鉄柵の間から手を伸ばすと、光希の頬に触れた。人を斬ったとは思えぬ……優しく労わりに満ちた仕草で涙の跡を拭う。

「絶対に大丈夫だから」

 僅かに見つめ合った後、風のように身を翻した。次々と鬼神の如し強さで敵を薙ぎ払う。
 光希は物陰に隠れると、ジュリアスの姿を必死に眼で追いかけた。光矢の如し速さに見失いそうになる。
 アッサラーム軍の――ジュリアスの強さは圧倒的であった。
 半刻も経たずに決着はついた。
 血の海の中、立っている人間はアッサラーム軍の兵士と、ヴァレンティーン只一人。
 私兵は死んだか、或いは戦闘不能で呻吟しんぎんしている。しかし、血の海の中には、アッサラーム軍の兵士も沈んでいた。
 悪夢のような光景の中、ヴァレンティーンは泰然たいぜんと佇んでいる。

「剣を抜くなら、相手になりますよ」

 ジュリアスは勁烈けいれつな眼差しで男を射抜いた。

「血気盛んなシャイターン、武器をしまいなさい。お気に入りの屋敷を随分と汚してくれた。綺麗に掃除していただきますよ」

「無意味です。それより、抜かないのですか? ここで私に切り捨てられた方が、この先お前の見る地獄に比べれば、まだ幸せかもしれませんよ?」

「随分と大口を叩く。この場で私を切り捨てるというのなら、やって見せてみよ!」

 静まりかえった地下に、恫喝どうかつを吠える。
 ジュリアスの身体から、怒りを帯びた青い燐光が燃え上がった。しかし、息を吐くと静かにサーベルを鞘に戻す。
 男は勝ち誇ったように、嗤った。

「血なまぐさいなぁ……もう。こんな所で斬り合わないで欲しいな」

 ふと、場にそぐわぬ穏やかな声が地下に響いた。
 階段から現れたのは、黒い軍服を纏ったアースレイヤだ。血の海の中を、優雅な足取りでやってくる。周囲の兵士は、敬礼と共に道を譲った。

 ヴァレンティーンは、笑みを消した。