アッサラーム夜想曲
第3部:アッサラームの獅子 - 14 -
早朝。アッサラーム・ヘキサ・シャイターン軍本部基地。
久しぶりにクロガネ隊に顔を出すと、今週の掃除当番、同僚のケイトは笑顔で出迎えてくれた。人形めいたローゼンアージュを恐れて、普段はあまり傍に寄ってこないのに、今日は駆けてきてくれる。
「殿下! 体調はもうよろしいのですか?」
「うん、ありがとう。もうすっかり大丈夫だよ。僕も掃除手伝うよ」
「いえ、そんな! お気になさらず」
いいから、いいからと腕まくりをすると、それまでじっとしていたローゼンアージュは光希の前に立った。
「僕がやりますから、殿下は座っていてください」
でも……と言いかけると、澄んだ瞳にじっと見つめられる。無言の圧を感じて、光希は口を閉ざした。
朝の準備をしていると、工房に人が集まり始めた。彼等は光希に気付くと、おっ、という顔で傍へやってくる。
「お元気になられて良かった。殿下がいないもんだから、どいつもこいつもしけた面して、鬱陶しいのなんの。アルシャッドなんてジメジメし過ぎて、カビが生えそうな勢いでしたよ」
そういってサイードが哄笑 すると、釣られたように周囲も笑った。しかし、アルシャッドだけは肩を落として頭を下げた。
「殿下の専属指導隊員にありながら、御身に無理をさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「違います! 僕が未熟だからいけないんです。アルシャッド先輩のおかげで、いい仕事が出来ました。今日からまたよろしくお願いします」
焦った光希が勢いよく頭を下げると、アルシャッドもほっとしたような顔で微笑んだ。
「主従愛ですなぁ」
傍で見ていたサイードに笑われて、二人して照れくさい思いをした。
久しぶりの工房は気が引き締まる。昼休の鐘が鳴り、肩を解していると、弾丸のようにユニヴァースが駆けこんできた。
「殿下! 生きてます?」
「煩い」
ニベもなく言い放ったのは、ローゼンアージュだ。
「こんにちは、ユニヴァース。生きてるよ」
光希は破顔した。良かった、彼も元気そうだ。
「良かったぁー……すみません、俺が無理な注文をしてしまったから」
「平気だよ。今回の仕事で少し自信がついたよ。アルシャッド先輩がいつも話している、心を打ち、映す装剣金工が何か、判った気がするんだ」
「でも俺、倒れるなんて思わなくて……」
「平気だって。僕が未熟だからいけないんだ。この世界の宗教や神事も、もっと真剣に学んでおけば良かったって後悔した。この世界では本当に鉄 に神力が宿るから……だから皆、一振りの剣に心を込めるんだね」
「俺……大切に使います」
ユニヴァースは腰に佩 いたサーベルを撫でると、真剣な眼差しを光希に向けた。
「うん、ありがとう。きっとユニヴァースを助けてくれるよ。今度製鉄班も見せてもらいたいな。刀身を生み出す鍛冶師、研師、白銀師がいるんだよね」
「そうですね。勉強になると思いますよ」
隣で作業をしていたアルシャッドは、手を休めず口を挟む。光希は一つ頷き、今度見せてもらおうと心に決めた。
午後になると、歩兵隊第一に所属しているローゼンアージュは合同演習の為に鍛錬場に向かった。ルスタムも神殿に用事があるからと工房を離れると、光希の護衛は武装親衛隊のユニヴァース一人になる。
「殿下、大仕事お疲れ様でした! こっそり抜け出して、サンマール広場に遊びにいきませんか? お礼に何でも好きなものを驕りますよ」
ユニヴァースは悪戯っぽく眼を輝かせると、悪魔の誘惑を囁いた。なんて魅力的なお誘いなのだろう。
「……でも、叱られない?」
「俺、便利な裏口知ってるんです。合同演習を見にいくって伝えて、演習が終わるまでに戻れば平気ですよ」
「そうかな……」
確かに息抜きしたい。すごくしたい……すぐに戻れば平気だろうか?
葛藤は短かった。
誘惑に負けた光希は、アルシャッドに合同演習にいく旨を伝えると、ユニヴァースと二人で、密かにアルサーガ宮殿を抜け出した。
この時下した決断を、後々まで悔やむことになるとは知らずに――
久しぶりにクロガネ隊に顔を出すと、今週の掃除当番、同僚のケイトは笑顔で出迎えてくれた。人形めいたローゼンアージュを恐れて、普段はあまり傍に寄ってこないのに、今日は駆けてきてくれる。
「殿下! 体調はもうよろしいのですか?」
「うん、ありがとう。もうすっかり大丈夫だよ。僕も掃除手伝うよ」
「いえ、そんな! お気になさらず」
いいから、いいからと腕まくりをすると、それまでじっとしていたローゼンアージュは光希の前に立った。
「僕がやりますから、殿下は座っていてください」
でも……と言いかけると、澄んだ瞳にじっと見つめられる。無言の圧を感じて、光希は口を閉ざした。
朝の準備をしていると、工房に人が集まり始めた。彼等は光希に気付くと、おっ、という顔で傍へやってくる。
「お元気になられて良かった。殿下がいないもんだから、どいつもこいつもしけた面して、鬱陶しいのなんの。アルシャッドなんてジメジメし過ぎて、カビが生えそうな勢いでしたよ」
そういってサイードが
「殿下の専属指導隊員にありながら、御身に無理をさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「違います! 僕が未熟だからいけないんです。アルシャッド先輩のおかげで、いい仕事が出来ました。今日からまたよろしくお願いします」
焦った光希が勢いよく頭を下げると、アルシャッドもほっとしたような顔で微笑んだ。
「主従愛ですなぁ」
傍で見ていたサイードに笑われて、二人して照れくさい思いをした。
久しぶりの工房は気が引き締まる。昼休の鐘が鳴り、肩を解していると、弾丸のようにユニヴァースが駆けこんできた。
「殿下! 生きてます?」
「煩い」
ニベもなく言い放ったのは、ローゼンアージュだ。
「こんにちは、ユニヴァース。生きてるよ」
光希は破顔した。良かった、彼も元気そうだ。
「良かったぁー……すみません、俺が無理な注文をしてしまったから」
「平気だよ。今回の仕事で少し自信がついたよ。アルシャッド先輩がいつも話している、心を打ち、映す装剣金工が何か、判った気がするんだ」
「でも俺、倒れるなんて思わなくて……」
「平気だって。僕が未熟だからいけないんだ。この世界の宗教や神事も、もっと真剣に学んでおけば良かったって後悔した。この世界では本当に
「俺……大切に使います」
ユニヴァースは腰に
「うん、ありがとう。きっとユニヴァースを助けてくれるよ。今度製鉄班も見せてもらいたいな。刀身を生み出す鍛冶師、研師、白銀師がいるんだよね」
「そうですね。勉強になると思いますよ」
隣で作業をしていたアルシャッドは、手を休めず口を挟む。光希は一つ頷き、今度見せてもらおうと心に決めた。
午後になると、歩兵隊第一に所属しているローゼンアージュは合同演習の為に鍛錬場に向かった。ルスタムも神殿に用事があるからと工房を離れると、光希の護衛は武装親衛隊のユニヴァース一人になる。
「殿下、大仕事お疲れ様でした! こっそり抜け出して、サンマール広場に遊びにいきませんか? お礼に何でも好きなものを驕りますよ」
ユニヴァースは悪戯っぽく眼を輝かせると、悪魔の誘惑を囁いた。なんて魅力的なお誘いなのだろう。
「……でも、叱られない?」
「俺、便利な裏口知ってるんです。合同演習を見にいくって伝えて、演習が終わるまでに戻れば平気ですよ」
「そうかな……」
確かに息抜きしたい。すごくしたい……すぐに戻れば平気だろうか?
葛藤は短かった。
誘惑に負けた光希は、アルシャッドに合同演習にいく旨を伝えると、ユニヴァースと二人で、密かにアルサーガ宮殿を抜け出した。
この時下した決断を、後々まで悔やむことになるとは知らずに――