アッサラーム夜想曲

第2部:シャイターンの花嫁 - 29 -

「はぁ、はぁ……」

 息が上がるほどの熱烈なキスが終わり、ジュリアスを見つめると、唇を親指で拭われた。

「コーキは、私の花嫁ロザインです。誰にも渡さない。他の誰にも心を許したりしないで」

「……ジュリしか見ていないよ」

「もう公宮にはいかせません……どうしてもいくというのであれば、ブランシェット姫は適当な相手に降嫁させます」

 こんな状況だというのに、怒りに燃える青い瞳を見上げて、喜びを感じていた。手を伸ばしてジュリアスの頬を撫でる。

「ねぇ、嫉妬?」

 期待をこめて訊ねると、ジュリアスは怖い顔で睨んできた。恐怖ではなく、喜びで背筋が震える。

(嬉しい……)

 陶然とする光希の腰を強く引き寄せ、ジュリアスは尻を揉みしだきながら、下肢を隙間なく密着させた。耳朶に唇を寄せて、吐息を吹き込むように囁く。

「そうだけど? ここで犯されたいの?」

 少し乱暴な口調にぞくぞくする。ジュリアスに、嫉妬されるほど想われているのだ。

「ごめん、不安にさせて……彼女にはもう会いません。ごめんね……でも、嬉しい。今、ジュリが苦しんでいる気持ちは、僕がずっと悩んで、苦しんでいた気持ちだから。やっと、同じ気持ちになれた」

 訝しげに眉をひそめる綺麗な顔を両手に挟み、鼻の頭にキスをした。
 虚を突かれたように、目をしばたいたジュリアスは、少しだけ険を和らげた。探るように、光希の瞳を覗きこんでくる。

「僕は、公宮中の女に嫉妬していたよ。過去だと知っていても、辛かった。ジュリのことが、好きだから……僕だけのジュリでいて欲しいんだ」

「コーキだけの私ですよ」

「僕も、ジュリだけの僕だよ」

 拙い言葉ではあるが、ようやく気持ちを伝えられた。その一言が聞きたくて、いえなくて、ずっと苦しかった。

「ジュリは、綺麗で、強くて、英雄で、お金持ちで、優しいから……僕は不安なんだ。綺麗な女も男も、皆がジュリを好きになる。僕は負けてしまう……今夜ここへきたのも、僕の知らない間に、ジュリが他の誰かと一緒にいるのが嫌だからだ」

 正直に打ち明けると、ジュリアスは衝撃を受けたように、目を瞠った。

「そんな、不安に思う必要ないのに……私はコーキ以外の誰にも、興味ありませんよ」

「ジュリのせいじゃない。不安になるのは、僕が弱いから。自信がないんだ……」

「どうして? 私の唯一なのに」

 頬を両手で挟まれて、唇に触れるだけのキスが与えられる。更紗の衣装を握りしめながら、光希は歯痒げにジュリアスを仰いだ。

「……僕は、女じゃない。男です。でも、ジュリの為にできることが、何もない。ジャファールやアルスランが羨ましい。一緒に戦って、力になれる彼等が羨ましい」

 今夜は本当に惨めだった。凛々しいジュリアスの隣に、道化のような宮女の恰好でいることが恥ずかしくて、滑稽で、会場中から笑われている気がしていた。

「コーキは私の花嫁です。他の誰も、代わりにはなれない。できることが何もないなんて、そんな悲しいことをいわないでください。傍にいてくれるだけで十分です。私の大切な愛おしい姫……」

「姫ってやめて」

「え?」

「僕のこと、姫って呼ぶのやめて。僕は女じゃない。傷つくんだ」

「コーキ……」

「この恰好も、嫌なんだ。女みたいで、恥ずかしい」

「とても似合っていますよ」

 熱っぽく即答されて、思わず光希は変な顔になった。正気を疑いたくなる。頬を撫でる手から、顔を背けて逃げた。

「なら、ジュリが着てみる? こんな恰好、したいって思う?」

「え? 私が着たらおかしいでしょう」

「僕が着てもおかしいよ!」

「似合っているけど、嫌なら無理に着る必要はありませんよ。どんな格好が良かったのですか?」

「……ジュリと同じ格好」

 上目遣いに答えると、青い瞳に喜びの光が灯った。嬉しそうに、抱きしめられる。

「かわいいコーキ。私とお揃いがいいのですか?」

「……男の恰好がしたいんだ」

「判りました。コーキのことを“姫”と呼びません。他の者にも呼ばせません。宮女の恰好もしなくて良いです。ナフィーサにも、無理に着せぬよういっておきます……他には?」

 拗ねた顔をする光希を見て、ジュリアスは甘やかすようにほほえんだ。

「化粧も嫌だ」

「かわいいけど、判りました。化粧もしなくて良いです……他には?」

「僕を、女のように扱わないで。ジュリは優しいけど……僕はもっと、自分で頑張りたいんだ。手を引いてくれなくても、階段だって、馬車だって降りれるんだよ」

「私の態度が、コーキを傷つけていたのですね……気をつけます。ただし、私が危ないと判断した時には、止められても手を出しますよ」

「うん……ありがとう」

「コーキ、他には?」

「勉強、頑張ります。何でも一所懸命に覚えます。だから、僕を一人の男と認めてくれたら、公宮を出て仕事をしたい」

「はい、私にもお手伝いさせてください。一緒に考えていきましょう」

「……いいの?」

「嫌なの?」

「ううん! ありがとう!」

 そこでようやく、光希は笑顔になると、ジュリアスの背に腕を回してしがみついた。力強い腕がしっかりと抱き留めてくれる。

「ジュリは何でそんなに優しいの? 神様なの?」

 本気で訊ねると、綺麗な顔に柔らかな笑みが拡がった。

「コーキだけの私ですから。好きな人には、笑っていて欲しいじゃないですか」