アッサラーム夜想曲
第2部:シャイターンの花嫁 - 27 -
乾いた笑みでブランシェット達に応えていると、人をかき分けてやってくるジュリアスの姿が見えた。その隣には、こちらを指さすシェリーティアの姿もある。
二人の姿を見た途端に、心は更に沈んだ。
挨拶もそこそこに、追いかけてくるジュリアスの前から逃げ出した。
(もうやだ、一人になりたい)
人波のおかげで、小柄な光希はかえって逃げやすかった。皆、自分より背が高いので、埋もれてしまえば見つかりにくい。
人の合間を縫うようにして壁面のバルコニーまで辿り着くと、静かに硝子扉を開いて外へ忍び出た。
「はぁー……」
ようやく一人になれた。力なくへたり込み、重いため息を吐く。
もう、何もかも嫌だ。こんな恰好、早く脱いでしまいたい……うんざりしていると、突然、肩に上着を掛けられた。
振り向いた先には、ジュリアスかと思いきや、意外な人物がいた。
「アースレイヤ皇太子……」
「こんばんは。主役がこんな所でどうしたのですか? 風邪を引いてしまいますよ」
「貴方こそ」
「息抜きですよ。ずっと人に囲まれていると、気疲れしてしまいますからね。西妃 と交代で抜けて、適当に休憩しているんです」
皇太子の気さくな物言いに、光希は肩から力を抜いた。
「……僕も、息抜きです」
「声をかけられて大変でしょう? 貴方もシャイターンと交代で抜け出しているのですか?」
「そうですね……」
困ったことに、普通に会話が始まってしまった。
彼はジュリアスの政敵だと聞いているが、こうして話していると、最初に抱いた印象の通り、穏やかで優しい青年のように思える。
「よく出てこれましたね。祝賀会ではバルコニーを解放していないのですよ。私は知っていたから、期間中はここで息抜きしようと最初から目をつけていたのです」
「そうですか」
硬質な返事を聞いて、アースレイヤは微苦笑を漏らした。
「そう警戒しないでください。別に貴方を取って食おうなんて、考えていませんよ」
「アースレイヤ皇太子は……」
いいかけて、言葉を切った。いっていいものかどうか躊躇っていると、空色の瞳に楽しげな光が灯る。
「何ですか?」
ジュリアスを殺そうとしているって、本当?……なんて、訊けるわけがない。というか、暗殺を企むような男と二人きりでいて平気だろうか?
「今なら、何でも答えてさしあげますよ。訊きたいことがあれば、遠慮なくどうぞ?」
「どうして……?」
「うん?」
「どうして、答えてくれるのですか?」
「貴方に興味がありますから。青い星の御使い、心なきシャイターンを繋ぐ花嫁 。一度話してみたいと、前から思っていました」
強い視線を向けられて、光希は目を瞬 いた。
サリヴァンに聞いた話では、アッサラームでは宇宙を神々の世界 として崇める天文学信仰があり、宝石持ち、或いは神降ろしの花嫁は、青い星に住まう神から遣わされた御使いと考えられているのだという。
身分に関わらず、アッサラームに暮らす人々は信心深いと聞く。しかし、彼の光希を見る瞳には、純粋な信仰心だけではない、もっと深遠な光がうかがえた。
「アースレイヤ皇太子は……公宮にどれくらい、恋人がいるんですか?」
話題を探して、思いついたことを口にすると、アースレイヤは虚を突かれた顔をした。
「そうですね……妃を恋人と呼ぶのであれば、過去に何人もいましたが、今は二人ですね」
悪びれもなく、何人もいたといわれ、思わず胡乱げな眼差しになった。
「今は、どうして二人しかいないのですか?」
「さぁ、気づくといないのです」
「……好きな人はいないのですか?」
アースレイヤは面白い冗談を聞いたように、瞳を煌かせた。
「好きな人……妃達のことは分け隔てなく好きですよ」
「それは好きとは、違うと思う……貴方は色男だ。一人に決められないなんて、悪い男だ」
非難がましい眼差しを向けると、アースレイヤは噴き出した。楽しそうに、声を上げて笑う。
「あはは、つい笑ってしまった。面白い人ですねぇ、それに結構かわいい」
からかわれて、光希の目が据わった。
「やめて、僕は男です。嬉しくありません」
「おや? 恋人に、散々いわれているのでしょう? 貴方を見つめる彼ときたら、この人はなんて綺麗なんだろう……って目をしていましたよ。氷のような男だと思っていましたが、貴方の傍にいると、偉大な英雄も恋する一人の若者ですね」
「ジュリを、悪くいわないでください」
「褒めているのです。貴方を手に入れて、人間味が出てきた。面白い男になったと思いますよ」
「……ジュリに、酷いことはしないで」
「酷いことって?」
なんといえばいいか判らず、無言でアースレイヤを見つめた。彼は含みのある笑みを浮かべると、手を伸ばして光希の頬を撫でた。
「そんな無防備に、見つめるものではありませんよ。姫、貴方の黒い瞳は、特に相手を勘違いさせてしまいそうだ」
空色の双眸が眇められる。光希は顔をしかめると、頬に伸ばされた手を振り払った。
「どうやら時間切れのようですね。貴方の英雄が迎えにきたようですよ」
弾かれたように振り向くと、バルコニーの先にジュリアスが立っていた。怖い顔をして、こちらを睨んでいる。
立ち尽くしていると、頬に柔らかい感触がした。ぶわっと悪寒が走る。ジュリアスの全身から、冬の息吹のような、青い炎が発せられたのだ。
「心配しなくても、祝宴の場でそう酷いことはしませんよ。趣味の範囲で、嫌がらせをするだけです」
光希は焦って頬を押さえると、アースレイヤを振り返った。突き飛ばしてやろうと思ったのに、難なく躱されてしまう。
刹那、鋼が風を裂いた――
飛びのいたアースレイヤは、頬を押えている。
ジュリアスの投げた短剣が、頬を僅かに裂いたようだ。白銀の髪がはらはらと宙を舞う。
血の滲む頬を押えながら、アースレイヤは楽しそうに笑った。
「ふふ、男の嫉妬は見苦しいと思いませんか? いやぁ、本当に面白い男になりましたね。いいものが見れました。私は退散しますから、あとはお二人でどうぞ」
悪戯に爆弾を投下して、回収もせずにアースレイヤは退散した。
本音をいえば、光希もこの場から逃げてしまいたい。無言で近づいてくるジュリアスが恐ろしい。
二人の姿を見た途端に、心は更に沈んだ。
挨拶もそこそこに、追いかけてくるジュリアスの前から逃げ出した。
(もうやだ、一人になりたい)
人波のおかげで、小柄な光希はかえって逃げやすかった。皆、自分より背が高いので、埋もれてしまえば見つかりにくい。
人の合間を縫うようにして壁面のバルコニーまで辿り着くと、静かに硝子扉を開いて外へ忍び出た。
「はぁー……」
ようやく一人になれた。力なくへたり込み、重いため息を吐く。
もう、何もかも嫌だ。こんな恰好、早く脱いでしまいたい……うんざりしていると、突然、肩に上着を掛けられた。
振り向いた先には、ジュリアスかと思いきや、意外な人物がいた。
「アースレイヤ皇太子……」
「こんばんは。主役がこんな所でどうしたのですか? 風邪を引いてしまいますよ」
「貴方こそ」
「息抜きですよ。ずっと人に囲まれていると、気疲れしてしまいますからね。
皇太子の気さくな物言いに、光希は肩から力を抜いた。
「……僕も、息抜きです」
「声をかけられて大変でしょう? 貴方もシャイターンと交代で抜け出しているのですか?」
「そうですね……」
困ったことに、普通に会話が始まってしまった。
彼はジュリアスの政敵だと聞いているが、こうして話していると、最初に抱いた印象の通り、穏やかで優しい青年のように思える。
「よく出てこれましたね。祝賀会ではバルコニーを解放していないのですよ。私は知っていたから、期間中はここで息抜きしようと最初から目をつけていたのです」
「そうですか」
硬質な返事を聞いて、アースレイヤは微苦笑を漏らした。
「そう警戒しないでください。別に貴方を取って食おうなんて、考えていませんよ」
「アースレイヤ皇太子は……」
いいかけて、言葉を切った。いっていいものかどうか躊躇っていると、空色の瞳に楽しげな光が灯る。
「何ですか?」
ジュリアスを殺そうとしているって、本当?……なんて、訊けるわけがない。というか、暗殺を企むような男と二人きりでいて平気だろうか?
「今なら、何でも答えてさしあげますよ。訊きたいことがあれば、遠慮なくどうぞ?」
「どうして……?」
「うん?」
「どうして、答えてくれるのですか?」
「貴方に興味がありますから。青い星の御使い、心なきシャイターンを繋ぐ
強い視線を向けられて、光希は目を
サリヴァンに聞いた話では、アッサラームでは宇宙を
身分に関わらず、アッサラームに暮らす人々は信心深いと聞く。しかし、彼の光希を見る瞳には、純粋な信仰心だけではない、もっと深遠な光がうかがえた。
「アースレイヤ皇太子は……公宮にどれくらい、恋人がいるんですか?」
話題を探して、思いついたことを口にすると、アースレイヤは虚を突かれた顔をした。
「そうですね……妃を恋人と呼ぶのであれば、過去に何人もいましたが、今は二人ですね」
悪びれもなく、何人もいたといわれ、思わず胡乱げな眼差しになった。
「今は、どうして二人しかいないのですか?」
「さぁ、気づくといないのです」
「……好きな人はいないのですか?」
アースレイヤは面白い冗談を聞いたように、瞳を煌かせた。
「好きな人……妃達のことは分け隔てなく好きですよ」
「それは好きとは、違うと思う……貴方は色男だ。一人に決められないなんて、悪い男だ」
非難がましい眼差しを向けると、アースレイヤは噴き出した。楽しそうに、声を上げて笑う。
「あはは、つい笑ってしまった。面白い人ですねぇ、それに結構かわいい」
からかわれて、光希の目が据わった。
「やめて、僕は男です。嬉しくありません」
「おや? 恋人に、散々いわれているのでしょう? 貴方を見つめる彼ときたら、この人はなんて綺麗なんだろう……って目をしていましたよ。氷のような男だと思っていましたが、貴方の傍にいると、偉大な英雄も恋する一人の若者ですね」
「ジュリを、悪くいわないでください」
「褒めているのです。貴方を手に入れて、人間味が出てきた。面白い男になったと思いますよ」
「……ジュリに、酷いことはしないで」
「酷いことって?」
なんといえばいいか判らず、無言でアースレイヤを見つめた。彼は含みのある笑みを浮かべると、手を伸ばして光希の頬を撫でた。
「そんな無防備に、見つめるものではありませんよ。姫、貴方の黒い瞳は、特に相手を勘違いさせてしまいそうだ」
空色の双眸が眇められる。光希は顔をしかめると、頬に伸ばされた手を振り払った。
「どうやら時間切れのようですね。貴方の英雄が迎えにきたようですよ」
弾かれたように振り向くと、バルコニーの先にジュリアスが立っていた。怖い顔をして、こちらを睨んでいる。
立ち尽くしていると、頬に柔らかい感触がした。ぶわっと悪寒が走る。ジュリアスの全身から、冬の息吹のような、青い炎が発せられたのだ。
「心配しなくても、祝宴の場でそう酷いことはしませんよ。趣味の範囲で、嫌がらせをするだけです」
光希は焦って頬を押さえると、アースレイヤを振り返った。突き飛ばしてやろうと思ったのに、難なく躱されてしまう。
刹那、鋼が風を裂いた――
飛びのいたアースレイヤは、頬を押えている。
ジュリアスの投げた短剣が、頬を僅かに裂いたようだ。白銀の髪がはらはらと宙を舞う。
血の滲む頬を押えながら、アースレイヤは楽しそうに笑った。
「ふふ、男の嫉妬は見苦しいと思いませんか? いやぁ、本当に面白い男になりましたね。いいものが見れました。私は退散しますから、あとはお二人でどうぞ」
悪戯に爆弾を投下して、回収もせずにアースレイヤは退散した。
本音をいえば、光希もこの場から逃げてしまいたい。無言で近づいてくるジュリアスが恐ろしい。