アッサラーム夜想曲

第2部:シャイターンの花嫁 - 26 -

 ジュリアスに声をかける人間は多いが、大抵の者はつれない態度であしらわれるうちに、諦めてその場を去っていく。
 しかし、中には隣に立つ光希に目をつけて、会話を引き延ばす者もいた。

「お美しい花嫁ロザインですな」

 目を見れば、欠片も美しいと思っていないことは明白である。光希は辟易しながらも、仮面のような笑みを貼りつけて礼を口にした。隣でジュリアスが不機嫌になるのが判る。
 それなりに見栄えのする男は、お愛想とばかりに光希の手を取るや、唇を寄せようとした。

「あの……」

「私の花嫁に、許可なく触れないでいただきたい」

 光希が拒否するよりも早く、ジュリアスはその手を男から奪い返した。守るように光希の肩を引き寄せる様子を見て、男は可笑しそうに肩をすくめた。

「これはこれは……大変失礼いたしました。仲睦まじいご様子で羨ましい。ご婚礼おめでとうございます」

 少々顔を引き攣らせながら、光希は祝辞を聞き流した。大した話題もないのなら、さっさと立ち去って欲しい。
 そう思っていると、ジュリアスが男の口上を適当に遮って追い払ってくれた。

「疲れましたか? 休憩室に下がりますか?」

 ひっそり息を吐いていると、気遣うように声をかけられた。

「ジュリは?」

「陛下のご挨拶が終わるまでは、ここにいます」

「僕も平気です」

 頷いてみせたところで、ジュリアスの側近であるジャファールとアルスランが、嬉しそうな様子で傍へやってきた。

「シャイターン、花嫁、ご挨拶が遅くなり申し訳ありません。この度のご婚礼、誠におめでとうございます」

「ありがとうございます」

 応えるジュリアスの声も明るい。先ほどまで相手をしていた貴人達と比べて、口調も態度も随分と柔らかい。

「お綺麗ですよ」

 ジャファールから世辞をいわれると、悪気がないと知っていても、何だか無償に悔しくなった。好きで宮女の恰好をしているわけではない。褒められても、嬉しくない。
 ふて腐れつつ、三人の歓談に耳を傾けた。
 淡白なジュリアスを散々見たあとなので、彼等との会話は、余計に和やかなものに感じられた。

(いいなァ……)

 彼等のように、気兼ねなく他愛もない雑談をできる相手が、光希も欲しかった。
 ちなみに、ジャファールとアルスランは、血の繋がらない兄弟である。
 戦争孤児のアルスランを、縁あってジャファールの家が引き取り、二人は兄弟のように育てられたと聞いている。
 冷たい印象を与えるアルスランだが、十歳離れたジャファールのことはとても信頼しているようで、軍に入ったのもジャファールの影響らしい。彼等には砂漠で言葉を不自由にしていた頃、大変世話になった。
 野営地での日々を思い出していると、突然、会場の中心から盛大な歓声があがった。
 何事かと顔を向けると、アデイルバッハ・ダガー・イスハーク皇帝が手をあげて、歓声に応えていた。

「よくぞ集まってくれた。めでたい席である。今宵も存分に楽しんで欲しい。今夜はシャイターンと花嫁が揃って顔を見せてくれた。この国の英雄とその花嫁に、皆の者、盛大な拍手を」

 皇帝自ら手を鳴らすと、周囲も呼応するように手を鳴らし、会場はたちまち大歓声に包まれた。
 ジャファールとアルスランも、わざわざ数歩下がって手を鳴らしている。
 群衆の視線が一斉に集まり、光希は口から心臓が飛び出しそうになったが、ジュリアスは涼しげな笑みで応えている。
 歓声が鳴りやむと、皇帝は、シャイターンの怒りを買いたくなければ、花嫁に手を出してはならぬぞ、と茶化して周囲を沸かせた。
 音楽が流れ出すと、本格的に宴は幕を開けた。
 アデイルバッハから少し離れたところに、西妃レイランを傍らに伴うアースレイヤの姿を見つけた。
 麗しい皇太子夫妻は大人気のようだ。男女共に大勢に囲まれて、ひっきりなしに話しかけられている。
 勝気な美少女、パールメラは空いているアースレイヤの反対側に回りこみ、人目も憚らず腕をからませていた。
 興味津々でアースレイヤ皇太子一行を眺めていると、肩を撫でられた。びくっとして隣を仰ぐと、ジュリアスと目が合った。

「どうかしましたか?」

「あ、いや……アースレイヤ皇太子があそこに」

 指さす方に目を向けると、ジュリアスは興味なさそうに頷いた。

「声をかけられると面倒です。近づかない方が良いですよ。ところで、何か料理をお持ちしましょうか?」

「あ、食べたいです。一緒にいってもいい?」

 席を立とうと身じろぐと、すかさずジュリアスに肩を押された。

「姫はここで待っていてください。すぐに取ってきますから」

 全身に衝撃が走った。

「『姫じゃねーし』……いや、僕は男です。平気です」

「シャイターン、私が取ってきましょうか?」

「でしたら私が……」

 やりとりを見ていたジャファールとアルスランが、親切に名乗り出た。
 あまりにも居たたまれず、光希は、自分でいきます、といい置いて逃げるように席を立った。背中に声をかけられたが、無視して走る。

「ごきげんよう、殿下」

 山のように料理が並べられたテーブルに近づくと、宮女達に呼び止められた。振り向くと、煌びやかに着飾った女達は、優雅に膝を折った。

「シャイターンとのご婚礼、誠におめでとうございます。末姫の私達がこうして宴に列席させていただけるのも、全て殿下が公宮にいらして下さったおかげですわ。大変感謝しております」

 女達は光希と同じように、身体の線がはっきりとした、上下に分かれた腹の出る衣装を着ていた。似たような衣装のはずなのに、柳のような美女達が身に着けると、全く別の衣装に見える。
 自分の存在が、酷く滑稽に思えた。羞恥でどうにかなってしまいそうで、思わず視線が足元に落ちる。

「殿下……」

 可憐な声に顔をあげると、愛らしい美少女、ブランシェットがこちらを見ていた。
 よりによって、こんな姿を見られるなんて――
 真っ白に燃え尽きて、灰と化している光希に気づかず、ブランシェットは嬉しそうにほほえんだ。

「とてもお綺麗ですわ、殿下。私達、これから舞台に上がらせていただきますの、良ければご覧になってくださいまし」

 少女は光希を見て、少しも変な顔はしなかった。それどころか笑顔で褒めそやす。
 けれど、その言葉が、笑顔が、光希の矜持きょうじを無残に引き裂いた。